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だらだら過ごすのが生きがいです。

帰宅してテレビをつけたら「シニアワーカー」とやらの特集をやっていた。
いまでさえ働きたくないのに、働かないと生活していけないから働いているのに、高齢になってまで働きたくない。

本当に仕事に生きがいを感じているかたを否定するつもりは毛頭ないが、これから高齢者になっていく身にとっては、みんながみんなそうだというようなイメージを持たれるのは嫌だなぁと思う。

「シニアワーカー」という言いよう自体が好きじゃない。
「高齢労働者」というとリアル過ぎるからごまかしているような胡散臭さを感じてしまう。
必要もないのにカタカナにしたり、言い方を変えるのは、後ろめたいことがあるせいではないのか。

去年の8月までという話だった契約が延長されて9月になり、12月になり、3月になり、6月になった。
あと2か月、あと2か月と自分に言い聞かせてきたのに、今日「7月まで延ばしてもらえませんか?」と打診され、ううううううっと思ったけれど、お金のこともあるから、最終的には受けてしまった。
またかよ、私。
ここでお金があれば、バシッと断れるのだが、それができないのが悔しい。
お金のほうに揺らいでしまう自分が情けない。

多くはないけれど友達もいるし、互いに都合のいいときだけ共感できるネットの距離感も悪くないと思っている私は、「社会的なつながり」のために働きたいという高齢者の声は、別の惑星のもののように感じる。

私はそういうのいいから、もうとにかくだらだらしたい。
土日とか連休とか、週3日とか4日とかじゃなく、365日24時間だらだらと過ごしたい。
「しなければならないこと」がひとつもなく、ただだらだらと過ごすことが私の生きがいである。
だらだらしたいから生きている。

介護や兼業主婦をしていたころと比べれば、もういまの暮らしは天と地ほど違ってだらだらしている。
でも、それでもまだだらだらが足らない。

明日からGW。
元夫は旅嫌いな人だったので、26年間、連休に旅行したことはない。
だから、たとえ自分の会社が休みでも、主婦としての24時間労働がびっしり詰まっているわけで、年末年始とともにこの時期は地獄だった。
朝ご飯を作り終わると昼ご飯を考え、昼ご飯が済むと晩ご飯のことを思案する。
それらの間にたびたび珈琲を入れる。
休みの日は、ずっとキッチンに立っていた印象がある。
あるいは、両方の実家への介護に行くか。
その地獄のツケを、私はまだ取り戻せていない気がしている。

ひとりになってからは、連休が待ち遠しいし、実際に楽しい。
出かけないのは、結婚していたころと同じだけど、ひとりで家でだらだらしているのがとてつもなく楽しい。
誰の何の役にも立たず、何も産み出さない。
それでもいいという安堵。
それは長く「子なし」を非難されてきた私の人生の、まさしく肯定なのだ。

しかし、昔はあんなに長くて拷問のようだったGWも、いまはすぐに終わってしまう。
連休が明けても「仕事をする予定がない」「働く必要がない」という感覚を味わいたい。

「仕事を辞めたい」と言うと、「ほかに何かやりたいことがあるのか」と問う人がいるけれど、それがないとダメなの?
「何もやりたくない」じゃダメ?

1円のお金にもならないことだけをやって暮らすこと。
あるいは、何もせずただだらだらと過ごす生活、それが成り立つ状況に憧れている。

今日は、久しぶりに往復の通勤を徒歩にしたので、スマホの万歩計は17,000を超えた。
靴の内側が破れて、足の裏に直接中身?の角が当たったところが水膨れになって痛い。
仕事が捗らない人を見ているのがしんどいので、ついつい助太刀を申し出て、結果今日も多忙だった。



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