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勝手につぶやき<光る君へ(第15回)>

今日の放送内容に触れているので、録画等をこれから見る予定の方はご承知おきください。

今回のテーマは「居場所」だと思う。

★父の息子

跡継ぎに指名されず「人殺し」と罵られ、妻子にも逃げられて、公任の屋敷で飲んだくれる道兼は「父に騙された」と嘆く。
彼にとっては、父に信頼され愛される息子というポジションが、居場所だったのだろう。
それを失った道兼は「俺に生きる場所はない」と言う。

哀れではあるが、私の心には
「いやいや、いまさらそんな視聴者の同情を買おうとしたって、そもそもいきなりまひろの母を殺したじゃん」(物語上では)
という思いがある。
道長にとっては兄でもあるし、藤原家を守るための同志でもあるから、支えようとするのは当然なのだろうが、私は根に持っている。

★職責「中宮」

「帝を大切にし仲睦まじくするだけではいけないのですか」と問う定子に中宮の務めを説く母。
中宮は帝の妻ということだけではなくて、中宮という職責なのよね。
妻業、母業、娘業みたいな。
それは「愛すること」とはまた別の話。
「中宮様が輝けば摂政様のまつりごとも輝きます」
この職責が定子に与えられた居場所ということなのか。

★職責「女房」

定子中宮の女房になることが決まったききょうは、「夫も子も父もいなくなって喜びを伝える人がいないから」とまひろを訪ねる。
うん、誰かに言いたいよね。
聞いてくれる相手がいて良かったね。

ききょうは「女房」という居場所を得た。
元夫は少納言ではないけれど、ひとめ惚れした定子が命名してくれたということだけで嬉しい清少納言。


★職責「藤原家」

公費の無駄遣いに憤り、摂政にクレームをつける道長。
「関白様が範を示さなければ、誰もが公の財をふところに入れるようになりまする」
いまの総理大臣も、自分に処分を科さないしね。
だから不正なお金の問題はきっとこれからも起こる。

伊周との弓比べは、接待弓比べ。
実力を出せば「関白になる」という願いの矢も当たる。

★妻

流産という当時の穢れの折にも優しく接してくれた道長を、明子は愛するようになったのだろう。
憎悪の対象がいなくなって「憎まなければならない」という呪縛が解けたのかもしれない。
そして、2番手ながら「妻」という居場所で安らいでいるように見える。
お腹の子が無事に生まれれば、その居場所はさらに安泰に思えるのだろう。
実際には、倫子との身分の差は、子らの出世にも影響したらしいけれど。

★居場所がない

出来の良くなかった弟は擬文章生に合格して、一家の希望の光となる。
ききょうや弟に比べて「私は一歩も前に進んでいない」と思うまひろ。
自分の居場所が見つからない。

先妻の子であるさわは、後妻の子らが成長するにつれて家庭での居場所を失っていく。
そして気晴らしに、まひろを石山詣に誘う。
まひろが父におずおずと「よろしいでしょうか?」と問うたのは、父が許すかではなく家計が許すかということだろう。

さわ「私たち、このままずっと夫を持たなければ、一緒に暮らしません?
年老いても助け合いながら。」
まひろ「それはまことによいかもしれません。」
うん。
気の合う同性との老後はいいかもしれない。
でも一緒に暮らすのは嫌だな。
いざというときすぐに駆けつけられるほどの距離で、仲良くするのがいいなぁ。

石山寺で道綱にまひろと間違われて夜這いをかけられるさわ。
このときの道綱の言い訳がすごくいい。
でも、何を言っても最後に名前すら間違えてしまわれたら傷つくよね、さわさん。
「私には才気もなく殿御を引き付ける魅力もなく、家には居場所もない。
もう死んでしまいたい!」

★妾・書き手

石山寺で出会った道綱の母は、
「日記を書くことでおのれの悲しみを救いました。妾の痛みを癒しました」と言う。
妻という居場所はないが妾には妾の居場所がある。
そこに愛された者のプライドも感じる。
そして、日記もまた居場所だったのだろう。

私も書くことで救われてきた。
家庭で得られなかった私の居場所はいつも「書く場所」にあった。
いまも。

「できることなら嫡妻に」という道綱の母の実感ある言葉が、妾を承知できなかったまひろに刺さる。
しかしその一方で、書くということが居場所になる兆しがここで見えてきたように思う。

居場所ってなんだろう。
自分を必要とする場所だろうか。
物理的なものもあるだろうけれど、精神的に。
自分でなければならないもの。
自分が欠けたら替えの利かないもの。
かけがえがないと、誰かが思って、認めてくれるものかな。
いや、まず自分が。

★好き!好き!清少納言

初回の放送直後に書いたとおり、私はもともと「清少納言」推し。
でも、今回のキャストを知ったとき、「そうかー」みたいな困惑があった。
しかし、先週の放送を見てからやっぱり私は「好き!好き!清少納言」なのだとあらためて感じている。

予告によれば、来週はいよいよ「香炉峰の雪」らしい。
このエピソード、自慢げとか高慢とかいう見方もあるけれど、私は好きなのだ。
定子中宮の問いかけに、言葉で答えないでアクションで表すのは粋じゃないか。
今日のききょうの台詞で「中宮様は漢詩も和歌もおできになるけれど、お相手をする女房がいないのですって」というのもあったし、定子は彼女のリアクションを楽しみにして問いかけ、彼女もその信頼に応えたというふうに描かれると期待している。

数日前、下重暁子氏の著書「ひとりになったら、ひとりにふさわしく 私の清少納言考」が紹介されているのを見たけれど、あらましだけで非常に共感した。
少女時代からずっと、長編恋愛小説より、世の中を斜に見た辛口エッセイのほうが私の好みである。
実際には、どちらもあまり読んでないのだけれど。

でも「源氏物語」は、最初は小学校のとき兄が持っていた与謝野晶子版、その後自分で買った円地文子の現代語訳を読んだ。
「枕草子」と「徒然草」は、原文と現代語訳分が全文対比されているものを読んだ。
いずれにしても何十年も前で古すぎて、忘れてしまっているところ多々あれど、好き!好き!清少納言の思いだけは変わっていない。

滋賀県人じゃないけれど、琵琶湖も大好き!


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