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問いがなければ何も返ってこないのです

リュシアン・フェーヴル著、長谷川輝夫訳『歴史のための闘い』平凡社、1995年。

著者のフェーヴルは、現代の歴史学を形作った人物の1人である。そのような人物による歴史学の入門書だ。

もう古典の部類に入ってくるような古い本だが、フェーヴルの主張は明快で理解しやすいものとなっている。また、フェーヴル以前の歴史(学)に対するフェーヴルによる批判は、現在の歴史教育にも通ずるものがあるだろう。

過去の歴史学とは、どのようなものか。それは知識を重視し、事実の発見に重きを置くような学問のあり方である。このような姿勢をフェーヴルは厳しく批判する。このような批判の源泉は、フェーヴルがリセで受けた歴史の授業にある。リセでは、より多くの歴史上の事実を知っていることが優秀であるとされていた。フェーヴルはこのような教師や歴史教育の姿勢に嫌気がさしていたのである。

こうした批判の上で、歴史家の問題意識に基づいて資料を読み解いていくこと、それにより事実に解釈を加えることが、新しい歴史学のあるべき姿だと主張する。それは、歴史家の問題意識に基づいて研究を始め、問いを立てること、その問いに基づいて仮説を立て、史料を読んで解釈するというものだ。これは今まさに行われている歴史学の姿である。(事実発見がいけないのではなく、それだけが歴史学の目的ではない、ということだろう)

フェーヴルによるリセでの歴史教育への批判を見て、私は既視感を覚えた。フェーヴルは知識偏重はいけないという主張をしている。これは近年の歴史教育、さらには学校教育で盛んに取り沙汰されていたことである。暗記でいけるとか、知識偏重はだめで思考力を問わなければならないとか。その結果、2022年度からは思考力とか表現力といったものを重視する新学習指導要領が施行された。この取り組みの評価ができるようになるまでには、しばらく時間を要するだろう。

とはいえ、フェーヴルがリセの歴史教育に対してした批判を見るに、100年以上前から歴史の教育を取り巻く議論は変わっていないということはわかる。それだけ解決が容易でない問題ということなのかもしれない。


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