薬物依存のニュースと想像力

最近の、俳優の方が違法薬物所持で逮捕された件の関連記事について。

小栗旬さんが俳優の仕事を

「じゃあ『人を殺した経験ありますか?』ってところに行き着いた結果、僕らは人を殺したことはないけど、人を殺す役をやらないといけないというのが、最終的に一番究極で悩まなければいけない部分だと思う」
「ということは、いろんな想像力で補いましょうっていうのが、一番重要なところだよね」

と話している映像がTwitterで流れてきました。ああそうだよなあ、この人すっごいいいなあ、と心から思って。変な言い方ですが、小栗さんってだから俳優の皆で使える稽古場を作ってるんだろうなあと納得したりしました。

この会話については相手の方がこの時動揺してた、とか、小栗さんの言葉が響かなかった、とか、まるで皆が検証班になってる内容ばかりがニュースになっているので、その記事は下らないからここには貼りません。

「自分が想像もつかないような出来事を想像する力が人間にはある」っていうのは、俳優ではなくとも人間である私たち誰もが、一旦踏みとどまって思い出していいことじゃないでしょうか。

わざわざ断ることでもないが、私は俳優ではありません。多くの人もきっと俳優や、いわゆる有名人ではないでしょう。

でもどうでしょう? たった一人で自分という仕事をする中で、想像もつかないような、逃れられないしんどさや苦しみがもしかしたらあったのかもしれないな、と思いを寄せるところまではできるんじゃないでしょうか。私たち一人ひとりが、たとえ一度も孤独になったことがなかったとしても。

私は違法薬物ビジネスが嫌いです。弱っている誰かにつけ込んで中毒にさせてしまえば、お金と体を搾り取るだけ搾り取ることができるからです。

でもそれと、薬物に悩み苦しむ人を叩くのは全く相容れないことです。

実は私は過去、薬物依存というものを全く知りませんでした。恥ずかしながら、アル中という言葉はお酒好きで飲みすぎてしまうという意味だと思っていて、アルコール依存症という病気を指す言葉だとも分かっていませんでした。そして、病気であることも、容易に治らず苦しむということも。違法薬物ビジネスが嫌いということと、「薬やめなよ」ということがごっちゃになって人を傷つけたこともありました。精神保健の世界に入って初めて依存症を知りましたが、今でも依存症当事者の方の本当の苦しさは理解できていないかもしれません。でも、依存症となるとき、その人はたった一人ぽっちなのだ、ということは分かります。

映像は小栗さんの「自分の想像力をもうちょっと信じてみようかなと思うことも、増えてきたかもしれない」という言葉で終わっていました。この言葉はおそらく映像を見た視聴者に対しても、思いやりのある投げかけでした。

私たちは、もうちょっと自分の想像力を信じることができるはずで、そうならば今必要なのは、当事者の会話の様子を検証することや叩くことではなく、今が苦しいと感じている人が治療に向かい、回復する道のりを歩けるよう見守ることじゃないでしょうか。

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