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今日こんなものを食った 番外編

といっても、ついさっき食ったものなのだけど。

大学に入りたてのころだから、もう40年も前の話になる。
ちょうど今時分の季節のころ父が入院した。
昔から腹が弱くて、ちょくちょく腹痛を起こす人だったが、さすがに入院となると穏やかではない。
幸い歩いて行ける病院だったので母が仕事を終えると病院へ通い、時には泊まって来たりしていた。
ぼくは大学入りたてでデパートのお中元要員のバイトも始まっていたから、まあたまに覗く程度だ。
そのうち退院するだろう。
誰しもがそう思っていたはずだ。

ある晩の深夜、自宅の電話が鳴った。
もう部屋に行って寝ようかと思っていた頃で、そんな時間に電話なんて滅多に鳴らないから、かなり驚いた。
出ると母からだった。

「お父さん、病院変わるから」

なんの話だか分からなかった。
よくよく聞いてみると、要するに容態が急変し、入院している病院では対処し切れないから救急車で大きな病院に行くという。
言葉の調子から、かなりまずいことになっているのは分かった。

病院名を聞いたが、初めて聞く名前の病院で場所もよく分からない。
母も相当な方向音痴な人だし、自身もよくわかっていなかっただろうから、さっぱり要領を得ない。
ぼくは電話ひとまず切り、叔父の家に電話をかけて事情を話し車を先導してもらうことにした。
当時健在だった祖父を起こす。
息子の一大事である。
飛び起きてあっという間に準備をしていた。

病院に着くと手術が始まっていた。
不安そうに椅子に座る母を見つける。
なんとも心細く、また小さく見えたものだ。

手術は朝方に終わった。
死線を彷徨ったのである。
父は腸閉塞から腸が破裂し、体内に内容物をばら撒いてしまったようであった。
15センチほど腸を切除し身体中からドレンを付けた状態で眠っている父。
それから3ヶ月近く、家からは車でも1時間ほどかかる病院へ通う毎日が始まった。

ぼくはまだ学校もあったし、やがて夏休みに入ったがバイトも佳境に入り休むわけにはいかない。
なので母は慣れない地下鉄やバスを乗り継いで通っていた。
いくら若かったとはいえ大変だっただろうと思う。

時間が空いたときは、ぼくが車で送ったり迎えに行った。
母もさすがに帰ってからなにか作る気にはならなかったのか、迎えに行ったときは「なにか食べて帰ろうか」ということになった。
おじいちゃんはどうするの?と聞くと「あの人はみそ汁とごはんがあれば大丈夫だから」と笑った。

だいたい病院近くのそば屋に行った。
ふと、まだあるのか気になってみてみたら、ちゃんとあって嬉しくなった。

このページの写真にもあるが、よく「カレーラーメン」を食った。
ごはんも付いてくるが、まだ10代だったぼくは足りなくて「串カツ」なんかを追加したりしていた。
これがまた旨かった。
特に変わったものではない。
具材だって少なかった。
まあ特別なにかが旨い!という店ではないのだ。
病院の近くにありがちな、なんでもある定食屋の風情である。
しかしぼくはこのカレーラーメンが大変に気に入っていた。

時々思いついてカレーラーメンを作る。
一八のに比べたら、ぼくの方がかなり豪華である。
たぶん手間もぼくの方がかけているはず(笑)

夕方でテレビからは野球中継。
向こうのテーブルでは、おじさんがビールを飲みながらスポーツ新聞を見ている。
店内はそんなに混み合っていない。
ぼくはラーメンを啜りながら、その日の父の様子を聞き母の愚痴を聞いた。

遠い日の思い出である。
父は秋の初めに退院した。
その日にぼくは前方不注意のワゴン車に突っ込まれて、生まれて初めて救急車に乗ることになる。

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