地主は普段何をしているのか
こんにちは。あとつぎじぬおです。
突然だが、地主は普段何をしているのだろうか。
これってすごい謎じゃないだろうか。
勤め人のように朝出社し、夜帰るわけでもなく、だからとってTHE 中小企業の社長のように、プレイヤー兼マネージャーとしてバタバタ動いているイメージもないだろう。
普段何してるん?もしかして暇なん?
そんな疑問に今日は答えてみたい。
地主は暇なのか
もったいぶらずに結論から言おう。
暇だ。暇である。
以上、それでは今日はこれまで!じゃあね!
というのも味気ないので、もう少し暇の内訳について書いてみたいと思う。
まず、なぜ暇か、ということについては、書くまでもないと思う。
それは、サラリーマンに不動産オーナーを兼ねている人が多いことからも分かるように、賃貸不動産のオーナーとは、定常的な業務がない仕事だからである。
例えば、物件に問題が起きたときや、何か大きな変化を起こすときは、もちろん自分が動くが、そうでないときは特段何もする必要がないというものだからだ。
だから暇であるということ自体に特に疑問点はないと思う。
地主は楽なのか
では、次の問いとして、暇=楽なのか、という問いについて考えてみたい。
僕は、地主というのは、暇ではあるけど、楽ではないと感じている。
イメージしてもらうに近いのはやっぱり経営者だと思う。
経営者は、何かあったときに責任を取らなければいけないし、事業に伴うリスクを常に負っている。
だけど、自分が常に動かなければならないかというと、自分がいなくても回る仕組みさえ作ってしまえば、自分の時間はできる。
例えば、飲食店の店長は忙しいけど、一方で飲食店のオーナーは店にいる必要がないので自分の時間ができる。
それを暇、と表現するのであれば、その暇が地主の暇にも近いと言えるだろう。
では、僕自身がどう感じているかというと、時間的には暇だけど、頭脳や精神面の疲労は、正直勤め人時代と比べ物にならないと感じている。
なぜなら、自分が最終責任者の立場となると、何十年先のことを考えて、トータルでものごとを見て意思決定していくという、勤め人時代にはやってこなかったことが必要になるからだ。
勤め人時代はというと、大きい枠組みでは上司の指示に従いながら、自分の与えられた範囲で創意工夫を発揮すればよかった。
それが経営者となると、もっと前の前提条件のようなところから、自分が規定していく必要がある。
例えば、僕は会社に入って、そもそも理念がなかったので、理念を作った。
それは会社に勤めていたら、まず自分が考えることはないことだと思う。
そうやって一つ一つ自分で考えて実行していくのはもちろん楽しいしやりがいはあるけど、「自分次第」の面積が本当に広いので難しさを感じることもある。
また、うちのような同族経営だと、自分の意見だけでは動けず、関係者の親族を巻き込んで、向かうべき方向に進むよう働きかける必要がある。
もちろんそれらのコミュニケーションは必要なことなのだが、ぶっちゃけかなり疲れる。
人の感情に向き合うことも当然大事な一方で、事業面ではやるべきことはやらなければならない。
人の意見を尊重する部分と、それでもやるべきことはやらなければならない、という二面の間での葛藤には苦しさもある。
そして、将来的なビジョンに向かってやるべきことをやり続けるということは、地主であれば永遠に続くのだ。
何か一つの意思決定やプロジェクトを終えて、もう何も考えなくていい、もう何もリスクがない、責任がない、という状態には永遠にならない。
時間的には暇でも、そのことに日々頭や精神を使っているという意味では、何も知らない人がいう「暇」とは、別種の暇ではあるのかなと思っている。
身体は空いているけど、頭脳と精神は忙しい、みたいな。
不動産収入を不労所得と呼ぶことについて
だから、ちょっと話題はそれるが僕は不動産収入を不労所得と表現するのは、適切ではないと思っている。
なぜなら、不労というのは、元々そうあるわけではなく、仕組みや体制を作った場合、結果として自分が不労であるというだけだからだ。
また、これまで書いてきたように身体は不労であっても、頭や精神は不労ではない。
むしろ将来に向かってやるべきことが思うように進まない状態にいるときは、相当な忍耐強さが求められる。
そういった状況のときには、生活には全く問題ない範囲のお金をもらって、ある程度思考停止状態でも会社に行っていれば成立する勤め人の方がよっぽど楽なんじゃないかと思ったりもする。
いや、もちろん勤め人も大変だ。それも経験しているので分かっている。ただ、自分が負うリスクと責任という観点では、という話である。
ましてや、不動産というのは、時間軸が長いビジネスモデルだ。今日やって明日どうこう、1年後どうこうという話ではない。
今のアクションが何十年後に関わるし、相続を挟むことを考えると代替わりも考慮に入れて、物事を判断していく必要がある。
それは、ある程度暇になる対価としては全然ペイしていると感じるくらい、大変さの伴う仕事ではある。
だから、結論としては、地主は暇ではあるけれど、楽ではないというのが僕の結論だ。
もちろん、本当に暇している地主もいるかもしれない。
でも、本当に暇をしているだけで、将来に向けての準備をしていないのであれば、いつか没落するだけである。
暇を享受した分、その没落を以て、ペイするのである。
地主や不動産賃貸は、一般的な事業とは別で捉えられることも多いが、それでも立派な資本主義の一部である。
世の中の需要と供給の影響も受けるし、税率が変われば納税額も変わるのだ。
そういった意味では特権でも何でもないのである。
この世の中を本当に冷静に見て、自分のやらなければならないことを判断できる地主だけが今後生き残っていけると思う。
ボケーっとしているボンクラ後継ぎがいるとしたら、その人を羨ましがる必要はないのだ。
世の中因果応報で、自分がやったこと、やらなかったことは、いつか全て自分に返ってくるのである。
長く書きすぎた。ではまた。
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