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「琉球愛歌」を聞いて沖縄を想う  (私の祖母の沖縄戦の話)


私の祖母のこと (沖縄戦を生き抜いた)

現在90歳の私の祖母は、沖縄でいよいよ戦争が始まるという時、とても不安になりました。

様々な情報が飛び交う中、大人から言われていたことが、

「もし米軍に捕まったら、もう終わりだよ。捕虜になったら、女性は辱められ、酷い目に遭う。」


祖母たち家族は沖縄に、米軍が上陸した早い段階で、米軍に捕まりました。

「もうおしまいだ」そう心の中で叫んだそうです。


しかしどうだったでしょう。米軍の人たちは、とても優しかったのだそうです。


米軍が良いとか、日本軍が悪いとか、そういうことではなく、戦争というものは、悲しい憶測が飛び交い、それによって簡単に人が命を落とすということだと思いました。


今回お話しした、この沖縄戦前からの’’憶測’’は、人々を不安にさせ、地域によっては、「捕まるくらいなら先に命を断とう」そう決心して悲しい結末を迎えた地域が多く存在します。

私はこの話を、生まれ故郷の大阪で、小学校3年生の時に母から聞きました。遠い沖縄にいる私のおばあちゃんがこんな恐ろしい経験をしたのだと聞き、私はその命を繋いてくれた沖縄の家族に感謝しました。それと同時に、「こんな大事なこと!早く誰かに知らせないと!」と、子ども心に考えたのを思い出します。

平和の礎

沖縄戦などで亡くなられたすべての人々の氏名を刻んだ記念碑で、平和の礎は太平洋戦争・沖縄戦終結50周年を記念して1995年6月23日に建設されました。

私の祖母のお姉さんと、私の曽祖父の名前もここに刻まれています。


平和の礎

今は天国にいる私の祖父が、子どもだった私たち孫達を連れて、車を走らせ、ここまでよく連れてきてもらいました。

その車のラジオから流れていた曲「島唄」を聞きながら。



私の祖父母は沖縄の人だったので、私はずっと大阪にいたにもかかわらず、勝手に沖縄のことをよく考えるようになり、その思いがたまりに溜まって、こうして沖縄移住につながったのだと思います。


皆さんのおじいさま、おばあさまもそれぞれの地域で辛い戦争時代の体験が、記憶が、あるかも知れません。

ともに語り継いで、まいりましょう。


平和を祈りましょう。

戦争を生き抜いた家族の話を大切に伝えていきましょう。


最後まで読んでいただきありがとうございました。


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