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2015年ごろ、ミラノと東京で起きた偶然について

2015年のゴールデンウイークに、ふと思い立ってヨーロッパへ弾丸旅行に行った。目的は、UEFAチャンピオンズリーグ準決勝第2戦の2試合を両方観戦すること。

まずイタリア・トリノでユベントスvsレアルマドリーを見たあと、翌日にバルセロナに渡って、バルセロナvsバイエルン。カンプノウのチケットはネットで購入済み、サンチャゴベルナベウのは現地でその辺の人から買うつもりだった。

その前日にはサンシーロでサネッティの引退試合(インテルオールスターvs世界選抜みたいなやつ。フィーゴやロベカル、世界の中田英寿もいた)も見たりして、ただひたすらに欧州サッカーを堪能するためだけの旅だ。友達と2人で、完全にノリだけで行った。

ところが結果として、カンプノウの試合はミラノのスポーツバーで見ることになった。理由はバルセロナへのフライトの朝、トリノの駅前で友達の財布やパスポート、カメラなど一式が入ったポーチが何者かによって盗まれてしまったからだ。

その日は予定を変更してミラノに滞在、煩雑なパスポートの再発行手続きに明け暮れることになった。確か5万円くらいしたカンプノウのチケットはパァ。

ただ、翌日に傷心のままバルセロナに渡ったら、なぜか現地のアルゼンチン人コミュニティと一緒に地球の裏側のコパリベルタドーレスを応援するという貴重な経験をすることになり、結果としてサッカー三昧の印象的な1週間を過ごすことにはなったのだった。

とまあ、終わってみれば話すネタに事欠かない素晴らしい旅だったのだけれど、今回話したいのはサッカーの話ではない。この「予定外のミラノ滞在」の1日に起こった奇跡的な出来事について、だ。

友達がパスポートを盗まれたこの日、ぼくの方は風邪をひいたようで明らかに熱があり、警察やら大使館やらに付き添う間も意識が朦朧としていた。大使館内で友達が日本の家族と連絡を取っている際も、ぼくは人目も憚らずにベンチにぐったりと横たわっていた。

そんな救いのない1日だったのだが、夕方になって驚くべき出来事に遭遇した。

パスポート再発行のために必要な証明写真を撮りに、友達と一緒に地下鉄の駅に行くことになった。改札口脇にあるスピード写真機で友達が撮影している間、ぼくは朦朧とする意識の中で、改札の向こうからやってくる人たちを見るともなく眺めていた。

すると、その中の1人にどこか見覚えのある顔があることに気付いた。コンマ何秒か考えた後、ぼくはそれが誰であったかを思い出した。

その3年ほど前にぼくがラオス北部の世界遺産の街ルアンパバーンに滞在していた際に出会い、仲良くなっていたイタリア人の女の子だった。

記憶の奥底にあった彼女の名前をなんとか引っ張り出して、それなりに大きな声で彼女に向かって声をかけた。

彼女の方はぼくのことを思い出すのに少し時間がかかったみたいだった。仲良くなったとは言っても会ったのはその一度きりだったし、ラオスにいた頃のぼくはかなり奇抜な髪型をしていたので、無理もない。

だがそのあとすぐに思い出して、一緒にいた会社の同僚たちに興奮した様子でぼくとの関係を説明していた。ぼくの朦朧とした意識も一気にクリアになった。

まあ生きているとこういう偶然というのはあるにはあるのだけれど、それにしても遠くミラノの地下鉄の改札で、偶然同じ時期にラオスを旅していたがゆえに出会ったイタリア人女性と再会することになろうとは。

しかも、不幸な出来事があって1日長くミラノに滞在していなければ、この再会はあり得なかった。あるいはパスポートを盗まれたのが友人ではなくぼくだったら、スピード写真機の中にいるぼくと彼女が顔を合わせることはなかったのだ。まあなんというか、意味を感じずにはいられない奇跡的な出来事だと思えた。

ただ、これほど劇的な出来事は稀だったにしても、あらためて考えてみると、ぼくらの人生はそのほとんどが偶然でできている。起こり得たまったく別のストーリーとの差異は、本当に小さなものだ。

無数のパラレルなストーリーがある中で、奇跡的にいまあるようなストーリーを生きている。あらためてそのことに意識を向けると、もうそのことだけでお腹いっぱいになるくらいの瑞々しい感動を覚える。それ以上のことはいらない、というような。

確かこの出来事があったのと同じ年か、その前の年のクリスマスイブ。ぼくは当時勤めていた会社の同僚の独身女性3人と「予定のない者同士」の飲み会に参加し、いわゆるプレゼント交換というものをやった。

プレゼントの上限は1000円。包装されて中身がわからない状態で、音楽が流れている間グルグルとプレゼントを交換し続け、止まった時に手元にあったものを持ち帰るという、よくあるやつだ。

そこでぼくは、雌雄のクワガタを持ち込むというちょっとした悪ふざけをした。袋の中からクワガタが出てきて喜ぶ女性は、そこにはおそらく1人もいなかったと思う。かろうじてネタとして笑いに昇華できる女性も1人しかいなかった。

しかし偶然にも、クワガタたちはその彼女の前に止まったのだ。雌雄はその場で、聖夜にちなんで「ルドルフ」と「イブ」と名付けられ、その後しばらく、彼女のSNSに彩りを加えることとなった。

その彼女が、ぼくのいまの妻でもある。

#コラム #エッセイ #ポエム #人生 #旅

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