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『ウィッカーマンfinal cut』・『ミッドサマー』の私的な感想・解説(理解)


先日、『ウィッカーマンfinal cut』を初めて観る機会があったのですが、「カルト映画」と評されることの多い本作も、私はかなりキチンと作られた映画であるという感想を持ちました。

そして、『ウィッカーマン』といえば、これに影響を受けた『ミッドサマー』を外すことは出来ないでしょう。

個人的には『ミッドサマー』には高めの評価をしていますが、『ウィッカーマン』を見た後では、また少しだけ違った評価が出来ました。

というのも、『ミッドサマー』という映画は『ウィッカーマン』のテーマを違った形で昇華させているということに気が付いたからです。



『ウィッカーマン』のバージョンについて


『ウィッカーマン』の内容を語る前に、『ウィッカーマン』にはいくつかバージョンがあることについて述べておきます。

まず私が観た『ウィッカーマンfinal cut』ですが、これは「final cut」と銘打つだけあって1973年の公開版とは異なり、監督が自ら再編集を行ったものです。

これは製作会社がオリジナルのものを気に入らなかったので公開時に編集したという、映画業界ではあるあるの事情によるものです。


それは公開版の『ウィッカーマン』に比べて僅かに長く(88分と94分)、冒頭部など僅かに違いがあるのですが、致命的に印象が変わるということはギリギリありません。

ちなみに、私の気付いた限りでの変更点は以下です。


・最初と最後の不気味な太陽シンボルが公開版では出てこない。(後述の『ミッドサマー』の冒頭部にも通じる。)

・公開版では、finalcutで最初に映る礼拝のシーンが1泊目の夜に変更されている。

・それに伴い、公開版では1泊目の夜に宿屋の娘が主人公を誘惑している。(finalcutでは2泊目の夜。)

・それに伴い、公開版では1泊目の夜に宿屋の娘の元に若い男が訪ねるシーンや、カタツムリが交尾するシーンが無い。


個人的には後述する作品のテーマを考えるとやはりfinalcutの方が良いと思います。

しかし、エンタメ作品としては最初にいきなり上陸した方が入りとしてスムーズかもしれません。


そして、もう一つはリメイク版の『ウィッカーマン』です。

これは2006年に公開されたもので、話の大筋は1973年版のものと大きくはズレていないのですが、舞台設定や人物設定に少し変更があります。

そして、その変更というものがオリジナルを考えると致命的なものであり、加えて様々な点で作品としての質が下がっているので、これは正直、見なくてよい作品だと思います。


ちなみに、『ウィッカーマン』の公開版とリメイク版であればU-NEXTにありました。

他のサブスクにも公開版ならオリジナルがあるかもしれません。

公開版って昔からサブスクにありましたっけ?無いと思っていたのですが。

それで今回観ていないオリジナル版をわざわざ観に行ったのですが……、まぁそれはそれで色んな発見があったので良しとします。



『ウィッカーマンfinal cut』の感想・解説


さて、以上を踏まえた上で、『ウィッカーマン』の内容について論じることにします。

『ウィッカーマン』は作中を通したその奇妙な雰囲気から、カルト映画の代表作の一つとして紹介されることが多い映画です。

そして、私もそういう前知識でいたのですが、観た後ではそう思わないというのが私の意見です。


というのも、『ウィッカーマン』という作品は「宗教(キリスト教)観」というものをテーマにして作られた優れた作品だと考えるからです。

ここでの「宗教」というのは「キリスト教」・「科学」・「法律」・「国家」といった西欧的価値観を指しています。

『ウィッカーマン』はそういう西欧的な価値観が絶対的なものの見方ではないことを暴こうとしている作品だと言えます。


それは主人公が生贄として捧げられるというエンディングによって表現される構成になっています。

キリスト・科学・法律を信じる警官、「法の支配(教皇)」を焼き払う事で自身達の神が力を取り戻すという「カルト(異端)」じみた考えが達成されるというエンディングには以下の意味があると考えます。

①西欧的価値観(キリスト・科学・法律)を遵守することは絶対的なものではないこと

②「異端」に対する「主流」は、それを担保する「数」が逆転した瞬間からその立場を失うこと(=民主主義の穴、価値観の崩壊、パラダイムシフト)


そして、これらを表現するためには作中でそれぞれ以下の描写を行う必要がありました。

①如何に主人公が西欧的価値観に染まっている人間であるのかということ

②現実世界を生きる観客の多くが不気味とさえ思うような奇妙な風習や雰囲気、すなわち「異端」を作中を通して終始映し出すこと


①について、これは主人公の言動によって表現されていました。

主人公はそもそも「警官」という公権力の象徴である職業についています。

そして、事ある毎に「本土の法律」を持ち出しては捜査を進め、それは「科学的ではない」といって作物が不作の理由を正そうとします。


特に、それら西欧的価値観の基盤となっている「キリスト教」への信心はとても深いものだと表現されていました。

主人公はキリスト教でタブーとされている「性」が乱れている島の雰囲気に常に嫌悪感を示していました。

宿屋の娘の誘惑に興奮しながらも、性行為に及ぶことを拒みます。(キリスト教は結婚前の性行為を禁じているため)


それはfinalcut版で監督がわざわざ礼拝の様子をファーストカットに持ってきたということからも分かります。

ファーストカットというのは作品の印象を左右するという点で重要な訳ですが、そこでわざわざ「主人公は敬虔なクリスチャンである」・「宗教的な雰囲気」という情報を付加しているということは無視できません。


また②について、これが本作を多くの人間が「カルト映画」と評するようになっている部分です。


本作の特徴として、「異端」を表現するためにカルト・ホラー映画だと思えるぐらい不気味な習慣やシンボルが終始スクリーンに映し出されています。

例えば、動物の被り物をした住民がコッチを見ていたり、墓石の代わりに植えられた木にへその緒がぶら下がっていたり、変な小物や風習が節々に見られます。

確かに、これらは場面場面を切り抜けばカルト映画のような独特な画になるのですが、それらは単に「異端(カルト)」を表現するためなのですから、当然と言えば当然なのです。


むしろ、そう見えないことが問題なのであって、「カルト映画のように見える」ということ自体が観客をコントロールしている証明に他なりません。


他にも映像の手法として、ホラー的な手法は確かに使われていました。

結構多めに刻まれたカットの中には不気味なシンボルが挟まれたりして、落ち着かない感じがします。

主人公の心を動揺させるかのように、住民達は主人公を監視して、奇妙な行為を仕掛けてきます。

『アングスト/不安』ほどではないですが、結構変わったアングルのカットも多く見られました。


しかし、これらもそういう演出をすることで「異端」としてよそ者になり視線を浴びせられた時の不安感を観客に与えるという意図があるので、別にこの映画はホラー映画という訳ではないのです。

だから、この映画は終始至極まともで、良く作られた映画だと思いました。



『ミッドサマー』の評価が変わった


従って、この『ウィッカーマン』に影響を受けたという『ミッドサマー』も、どの部分に影響を受けたのか考えなければいけません。


それで、私が一番印象が変わったのは、『ミッドサマー』で主人公のダニーに見捨てられる彼氏の「クリスチャン」でした。

というのも、オリジナルの『ウィッカーマン』を観ていない時の『ミッドサマー』初回鑑賞時には、私はこの名前に特段の意味を感じなかったからです。

何故ならば名前がそのようなものであっても、前述したようにキャラクターとして「敬虔なクリスチャン」を表す言動が描写されていなかったので、そういう意味がないと思っていたからです。

しかし、『ウィッカーマンfinal cut』を鑑賞した後には、『ミッドサマー』の評価も少し変わりました。


すなわち、『ミッドサマー』ではオリジナルの『ウィッカーマン』を踏まえた上で、主人公のダニーに「キリスト教」を異端として焼き払わせた訳です。

これは精神疾患を抱えていて孤独なダニー、つまり社会的には生きづらくて肩身の狭い「異端」のダニーが、メイクイーンとして村に受け入れられ「主流」となり自分を見捨てた彼氏を焼き払ったというエンディングを指しています。

それには、もちろん「女の復讐」というエンタメ的にスカッとする意味も込められていたと思います。


しかし、何よりも「キリスト教」という男性優位の西欧的価値観を他ならぬ「異端」かつ「女性」のダニーが「その手で」ひっくり返してしまったという点で、強いメッセージが込められていたんだなと気付かされました。


「魔女狩り」を今度は魔女自身が行う。

欲におぼれ、自身を見捨てた「キリスト教」という西欧的価値観はもう要らない。「私」が今度は絶対的な価値観だから。

『ミッドサマー』はそういうエンディングだったのだということが『ウィッカーマンfinal cut』を見てようやく理解出来ました。


『ウィッカーマン』では「こういう見方もある」ぐらいのメッセージだったものが、『ミッドサマー』では明確に転覆させられたという違いは、似て非なるものだと思います。

社会や文化は『ウィッカーマン』公開から『ミッドサマー』公開までの40年ほどで、そこまで変容したのかと私は思わざるを得ませんでした。

しかし、その世界もまた別の視点から見れば「異端」なのでしょう。


(※サムネの画像はシネマトゥデイのYoutube予告動画からキャプチャしました)






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