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京都くま蝉(2日目)

昨日の余韻が残っている朝
御朱印帳待ちで始まる前に書いてくれるとのこと

東寺は、駅からはそう遠くなく
「たまには…歩こうか」
ポツリと一人呟き、東寺に向かいました

早めに到着しそうで…
Xmas modeの予定外の場所へ

…!
この看板にダックス号を思い出し、思わず足が止まりました。
これを確認しに来たように何も買うこともなく、いそいそと後にした訳です。

待ち合わせは、
東寺前の雑賀門前、看板前

何か書いてる?
誘われるように近づいてみると…


"因縁の法と自分が一つになる必要がある"

「天に…心を読まれている」
そう感じたのは、自分の心そのものが文字に曝け出されたものだったからでした。

いつもくまちゃんが気付きとして伝え続けてくれている言葉も含まれていました。

何かしらの自分へのサインが、もう既に始まっているのだと察しながら…
唖然と立ち尽くしたのも束の間、くまちゃんやスタッフさん達と再会。

この看板の前で「お願いします。」と差し出したご朱印帳にくまちゃんが筆した言葉。 

今だけは、2人だけの話にします。
『大切なことを…君は知っているだろう?』  
そんな言葉が聞こえてくるようで。
くまちゃんは、本音の自分を自分に気付かせて、諭してくれる存在です。 

そして、
一礼し、みんなで門をくぐりました。

🔮宝珠
お手水の前を通ろうとした時、くまちゃんの言葉に引き寄せられるように向かいました。

そこには"宝珠" がありました。

くまちゃんは、この宝珠に触れながら
『これを…どう感じる? 
 昔の人達は、心穏やかにする仕組みを知ってい
 て、宝珠を創った。

 こうして出会えるのも"ご縁"なんだよ。 

 今に至るまでに遺される創り出した人の背景を
 観じていて欲しい。』
そう遺されたものへ心の捉え方を教えてくれました。

宝珠とは…つまり、宝の玉。
お手水社にあると言うことは、『水が宝』だと言う意味があるのではないか?と考えました。

自分が創り手なのだとしたなら…
美しい水の結晶を◯と成し、永遠とする。つまり、水を宝の玉である宝珠に見立てて表現するだろうと想像しました。

三種の神器の物語と連動しているような…?
まだまだ続きそうな予感をしつつこの場所を後にしました。

🪨柱の基盤石跡
くまちゃんは、続けて自分達に問います。
『何だと思う?』 

柱跡の基盤のような石…
と言うことは、何らかの建物の跡のはずだと推測しました。

そして、
堅石をも割り裂き空に突き抜けたのが…
『椿の木』

この姿は、自然の威力を物語っていて、地震等の自然災害にも揺るがない柱跡を残すことで耐震を願意とし、同時に五重塔の存在と偉大さを表現していると感じました。

椿の花言葉は、『美』。
自分もこの椿のように…遺された大切なものとともに存在し合うことで変わりゆく美を見出し、時代と共に生きたいと感じました。


📿金堂

            引用 東寺HP 金堂より

薬師如来
日光菩薩
月光菩薩
が鎮座される金堂。

本尊はあらゆる病から人々を救う…
"寧で幸であれと願う想い"から

              東寺HP 金堂より

くまちゃんがいつも言霊のように伝えてくれる『サチアレ』
そのものだと受け取りました。

薬師如来の台座下で、願いを成就するよう如来へと捧げ持つ十二神将の姿を通して…
くまちゃんは 
『一人のため…一人一人が役を成す。』
大切さを諭してくれました。


📿講堂

             引用 東寺HP 講堂より

ごくりっと生唾を飲み込む静けさ…
講堂の中心に佇む大日如来は、圧巻です。

                                      引用 東寺HP  講堂より

宇宙の中心を現す大日如来を中心に、立体曼荼羅のごとく幾体の像がぐるりと守護するように存在を顕にしていました。

くまちゃんは、平安時代に遺した人達の想いを、まるで代弁し、汲み取るように、現代の自分達に語りかけます。
『この時代の人の心を読み解くんだ…
 あらゆる心を癒し包み込んでいるだろう?

 自分の心を捉え、観じて、心の結論を導いてゆ
 くことができるように…

 像の全ての背後からも観じれるように創られて
 いる。将来の人達が観るであろうことを祈りを
 込めまるで生き続けているように表現をしたん
 だ。

 水銀が用いられてることが、どうゆうことなの
 か分かるかい?
 聖なる不老不死の薬とも言われる反面、毒性が
 あり、命をも奪いかねない…

 この時代の人達は智慧を生かして命を懸けて水
 銀を用いた錬金術から創り出したんだよ。』

生きているような姿を遺したのも、命を懸けて魂を生き写したのだと感じました。

コッコッと鳴る靴音は、講堂内の天井にまで響きながら神聖さを物語ります。

大日如来の背中を拝みながらの拝観もそろそろ終盤…そこには、多聞天の姿がありました。尼藍婆(にらんば)と毘藍婆(びらんば)が両足を捧げ持ちます。

それを観たくまちゃんは、
『餓鬼って…何だか憎めないんだ。
 どんなに踏みつけられても前へと向かって…
 表現にも可愛らしさがある。』
と何かを思い出しながら伝えてくれました。

鬼と言えば…"赤鬼ゴンちゃん。"

自分も餓鬼に対して、どこかしらくまちゃんと同じような想いがあります。それと同時に今までの経験をぎゅっと心に抱きしめました。
*餓鬼
三途・五趣(五道)・六趣(六道)の一つ。餓鬼は常に飢えと乾きに苦しみ、食物、また飲物でさえも手に取ると火に変わってしまうので、決して満たされることがないとされる。ただし、天部と同じように福楽を受ける種類もいるとされる。
            引用 Wikipediaより

そして、くまちゃんが呟いた一言…
まるで何かに招かれるように次への場所へと導いてゆきました。

📿五重塔

五重塔は
地(基礎)
水(塔身)
火(笠)
風(請花)
空(宝珠)
と言う仏教の5大思想の宇宙観が表現されています

誰かが…いる?ふっと見上げると…
いました!

五重塔全体を支えている邪鬼達。
4柱を支える4体とも自分なりの表現をしながら、まるで生きているような面持ちで支え続けています。

               引用 東寺HPより

仏教では、鬼を改心させて仏門へと招き入れ、守護役を与えることがあるそうです。 
*邪鬼
人間に害悪をなす存在という意味で手長足長などの鬼などの代名詞にして、あるいは悪逆非道な行為をする人物などを比喩的にあらわす際に用いられる。
             引用 Wikipediaより

手長足長…?
そう言えば、お昼ご飯の時にこのお2人に会っていました。

この手長、自分にはどうにもANiMiのオータスと類似してみえるのですが…

手長は、"不老長寿の神仙"としてもみられ、給仕者や従者を意味しているそうで。ここから繋がったのが、手名稚(てなづち)祭神でした。


この流れ…
名古屋くま蝉を受けた方なら、もうお気づきですよね?


仏教は、お釈迦様が悟りを開かれたことから始まります。 

空海は、
"ことば"に隠された意味こそ真実の意味であり、それを知ることのできる教えを  

「密教」 

としました。

五重塔の密教の世界観は、この世のものではない空間…過去現在未来の三界が繋がり続ける『空海』の祈りの象徴を現していると感じました。

              引用 東寺HP 五重塔より

拝観後…
五重塔の余韻が浸る中でくまちゃんが諭します。『いつの時代も伝統的で変わらぬ美しさを見越し
 て創っているんだ。

 創る人か…
 見る人か…
 これからどう在りたいか
 
 五重塔のように…
 "みんなが主役"なんだ。

 そして、支える役である邪鬼がいてこそ、五重
 塔が存在できる。

 みんなが五重塔だとしたら、
 僕が…その邪鬼になる。』

くまちゃんが邪鬼になるのであるならば、自分ももう一人の邪鬼になると約束します。

そして、同じく感じたのは、自分一人ではありませんでした。

誰かって?

ここでは、未来のお楽しみに置いておきますね。


🍚食堂(食堂)

             引用 東寺HP 食堂より

「何となく…懐かしい」
そんな言葉をはるさんにぽつっと…呟きながら足を踏み入れた瞬間。

雲の如く…現れました。

食堂は、僧が生活のなかに修行を見出す場。
かつて本尊に、些細な声も聞き逃さず救済してくれる千手観音菩薩がいらしたことから、観音堂とも呼ばれています。
            引用 東寺HP 食堂より

この場所は…自分の人生を現わしていました。
いわば、自分が人生の役の一つでもあると感じています。

命いただいてから今までの経験、人生として大切にしたい歩みが、今の命に在ることを改めて気付きとしていただきました。

大切なあの人の声が…
そっと自分の心に寄り添いました。
『表面だけを見るのでははなく、
 内面をみるのです。
 あなたは幾つの手をお持ちですか?』
…と。

宝物をありがとう…はるさん。
ずっと大切にします。

📿大師堂

            引用 東寺HP 大師堂より

空海がいた時間は今も変わらず流れ、ここでは今も生身供が続く場所でもあります。

くまちゃんを初め、スタッフの方々、みなさんとともに…
"今、生かされている"ことを調和した合掌に預け、空海と繋がっている空間にも感じさせた神聖な祈りの時間は、あっと言う間に過ぎてゆきました。

🌙おわりに
くまちゃんは、刻々とせまる時間の終わりを察しつつ…
この言葉に想いを乗せて、話し始めました。

               引用 東寺HPより

これは東寺の御詠歌で、空海が晩年、高野山金剛峯寺へ身を移した際に詠まれ、東寺を去る際に不動明王さえも涙したと言い伝えられています。

『空海は、今も生きていると言われている。
 そう…生きているんだよ、今も。

 何のために
 誰のために
 どう生きてゆく?

 …自分の与えられた命を。

 今の自分を自分なりに見つめ直して
 誰かの生きる糧になるために
 何度でも…生き直すんだ

 心の器を広げて
 愛を表現していくんだ

 "みんなが…空海なんだよ"』

同時に自分のなかに空海が遺した
『即身成仏』
と言う言葉が浮かんでいました。

仏教の修行者が密教の実践を通じ、今生のうちに成仏を達成すること…
今、この世に命があるからこそ仏になれることを意味する言葉です。

くまちゃんは、きっと、この想いを託した…
己にも自分達にも。

空海は、
『祈りなき行動は妄動であり、
 行動なき祈りは妄想である』
と言う信念をもっていました。

               引用 東寺HP より

水なき地に水を
道なき道に道を
食の乏しきものに食を
病むもののために医となる

空海の生き様。


帰り道…
今の自分に問いかけ静かに対話しました。


空を見上げているか?
風を感じているか? 

この世の息心地は…
どうだ?

今を…
生き切っているのか?

まだ
終わってないだろう
おまえの命を使い切ることを

森羅万象
生きとし生かされている地球
与えられた命そのものに感謝し
今の時代に生き続け
他が為の生きる灯火になり
永遠に生き続けよう

空海を観じて
くまちゃんを通じて
心に灯された灯火を

自分は

今も
これからも
命ある限り 

灯し続けて生きたい。

これから始まる三日月の空に願いを託して…
『本当にありがとうございました』

         引用 東寺HP 東寺の歴史より

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