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「君たちはどう生きるか」俺はこう生きた

引退するって言ってなかったっけ…?

 スタジオ・ジブリ最新作。監督は宮﨑駿。
 事前の宣伝や広告をほとんど打たないという戦略。普段からテレビを観ない私は映画館に貼られているポスターを見るたびに思い出し、公開直前で告知を行っていないということを知った。公開前日あたりからSNSで話題に登るようになっていた印象。「君たちはどう生きるか」という題名と「宮崎駿が監督する」ということ、そして鳥のような生き物が描かれたポスターだけしか事前に我々に渡された情報はない。題名については吉野源三郎著の同盟小説「君たちはどう生きるか」があるのでおそらくこれを原作もしくはモチーフにしているのであろうという予想は立つ。
 同監督の前作である「風立ちぬ」がトップで好きな映画。モノづくりが好きなのでハマった。そんな「風立ちぬ」から10年(そんな時間が経ったのかという驚き)にして、最新作があるということで、上記の宣伝なしというのも相まって”宮崎駿の最新作“という言葉のみで観に行った(多くの人がそうしかない)。


自伝+ファンタジーの混在

 映画は空襲警報の音で始まる。どうやら戦時日本が舞台のようだ。ドタバタと大人たちが騒ぎだし、寝ていた少年が起きると、母親のいる病院で火事があったのだという。ここでこの少年が主人公であろうことも分かった。少年は大人たちと一緒に病院に行こうとするのだが、寝巻き姿では行けないということで、わざわざ着替えに戻ってから外へ出て行く。このことから少年の育ちがいいこと、真面目な性格だろうということが分かる。この冒頭のシーンだけで、前作の「風立ちぬ」と同じく戦争を背景にした映画なのかと思いきや(戦車などが並び、ミリオタ満載のケレン味溢れる物語が始まるのかと思った)、疎開先での田舎暮らしが始まり、そして異世界へ飛び立つという、事前に想像した内容(そもそも想像する素材がないのだが)、また予想のできない展開へ舞台は移っていく。

 この映画は少年がファンタジーの世界へ冒険し成長していく話だ。こう書くと「不思議の国のアリス」を始めとした児童文学やアニメーション映画ではよく描かれてきたオーソドックスなものである。スタジオ・ジブリだけでも「千と千尋の神隠し」「猫の恩返し」など異世界冒険モノは存在する。しかし今作の大きな特徴は、映画の冒頭部分(現実世界)の尺が長いことだ。ファンタジーの世界は尺的には半分くらいだろうか(実際にストップウォッチで測った訳ではない)。比重としては半々に感じた。これはこの映画が宮崎駿の自伝ないし私小説的な構造を持っているからであると思う。彼の原点などを追った著書などで語られていた幼少期の話などとリンクした内容が描かれていた。例えば父親が飛行機工場の仕事をしていたこと(叔父が社長、父親が工場長だったらしい)などから容易に想像がついた。工場に場所がないので風防を家に持ってきたのも実際にあった話らしい。戦争で家が潤っていたという事に対して、不満を感じていたそうだが、事実として比較的裕福な家で育ったことが映画からも伺える。

 後半のファンタジー部分についても私小説的と言える部分があるだろうが、少なくとも前半の部分はよりプライベートな生々しさを目の当たりにすることで、後半への弾みになっていると感じた。同時に一本の映画にそれらが混在しているためやや分かりにくいさを生んでいるようにも思えた。また、私小説といった事には訳があって、それが今回の宮崎駿のP.Nが宮﨑駿となっていることからだ。「埼」が「﨑」に変わっており、今までとは異なる作品であることが象徴されている。


夢で見たような世界

 後半、眞人は青鷺の誘いもあり、母親が生きているのか、そして行方不明になったナツコさんを助けに向かうが、その世界の中では”こうだからこうしてああする“といった理屈で舞台が変わっていかない。例えばスパイ映画であれば、核兵器のスイッチが悪者の手にわたり、それの解除に必要なアイテムを争奪するためにヨーロッパへ渡る…といったストーリーラインがあるが、ここでは目的はあるにせよ、その場その場で起こったこと、出会った人々、そして眞人の感情などが半ば衝動的に描かれている。自然とその目的は達成に向かっていくのだが、このファンタジーの世界は眞人のイマジナリーな世界で超ご都合主義的な展開が許される世界とすると、その難解さに対して眞人の内面を写しだしていると言えるのかもしれない。劇中で実際にそのような表現はないが、確かなモチーフとして描かれていると思っている。

 というのも、この体験は子供の頃にみた”夢の世界”のようだ。夢は自分(脳内)で作られるものである意味で他者が介入しないご都合世界だ。そして青鷺の勧誘やペリカン、インコといった存在はホラー映画のような不気味さを持っている。夏風邪を引いたときに学校を休んでベッドで見た夢がこんな感じだった気がする。ヒッチコックの「鳥」を見た後も同じような夢を見た。


多重するメタファー

 いろいろと考えることが多い。「ああ、これはアレを指しているのか」等、ほぼ全てのシーンで勝手な想像を張り巡らせてしまう。ポスターにも描かれた象徴的な青鷺。最初は眞人を怪しく誘う存在として不気味な存在で描かれるが、途中からはおちゃらけた憎めない案内役として眞人と行動を共にする。最初は歪みあっていたが、最後は友達になる。そんな青鷺は宮﨑駿にとっての高畑勲なのではないかなと思ったりもしたが、大きくはアニメーションそのもののモチーフなのではないかとも思った。無論、高畑勲というアニメーションの作り手、というのもあるのでその含因関係に大小はなく、そもそも複合的なモチーフとして描かれているのだと思うが。

 白く丸っこいワラワラたちは戦争で貧しく食べ物もなく死んでいった子供達がキリコによってお腹いっぱいになり、そして輪廻転生いていく姿を描いたのではないか。そしてそれら命を奪うペリカンたちは、直後に登場する老いたペリカンが「仕方なく食べている」と告白する。これは零戦を始めとした飛行機やそれに乗るパイロットを指すのだろうか。大叔父と終盤登場する13個の積み木については、宮﨑駿による13本の長編作品を表し、それらを積み重ねる人を託したいという願望、そしてそれらは最終的に積み木は崩れ、世界が崩壊するというのは、跡継ぎがいないスタジオ・ジブリそのものを表しているようにも感じた。といったように全般通して、モチーフが多く、正直観ていて疲れるので途中から考えるのを辞めたがどうしても浮かんできてしまう。今までのジブリ作品も何らかしらのモチーフやその時代的背景があったが、それらはストレートに観ていて伝わる部分も多かった。今作ではそれが少ないように感じた。これらを素直に受け取ると“分からない”に繋がりそうだ。


夏子という存在

 個人的に面白いと思ったのが夏子さん。眞人にとっては母親の妹であり、父親はその妹と再婚する。現代視点で見ると気持ち悪い話だなと思ってしまうが、逆縁婚という家柄を維持するために身内と再婚する昔はよくあった慣習らしい。眞人は父親の帰りを2階から待ち、そこで叔母と父親がキスをするところを目撃し、後退りするシーンが入る。そしてつわりがひどくなるとロクに見舞いに行かない。眞人にとっては夏子は父親から母親を奪った存在であり、態度で夏子を母親として認めていないこと、そして亡くなった母親を夢に見るほど未だに追っていることが分かる。育ちのよく品のある眞人は表情に出さないが、態度として出し、その子供のような我儘さをコンプレックスとして抱いている。

 父親にもその子供ぷりを求める。学校でいじめに会うも、道で拾った石をこめかみに打ちつけ自傷する。父親に心配してもらうためにやったのだろうか。そんな父親は復讐してやる!と犯人探しに躍起になっており、眞人が求めていた反応とズレている。しかし、そのことを夏子は分かっており、怪我をさせてごめんなさいとようやく見舞いにきた眞人に謝罪をする。この辺りから眞人の行動は主体性を帯び始め、矢を作ったりと、その力が青鷺へ向かっていく。

 しかし夏子は石の世界へ入り込んでしまう。そして儀式的な空間で眠る夏子は迎えにきた眞人を突き放してしまう。この時の夏子の表情は今まで描かれていたものと異なり焦燥しきった顔になっており別人のようだ。これまでの凜とした佇まいとはかけ離れた描かれ方をしている。あの世界に囚われてインコたちに洗脳されているのかとも思ったが、一種のマタニティブルーなのかとも思った。そもそも以前のシーンから、突然姉を亡くし、連れ子の母親になるのにその子と上手くいかないこと、そして子供を産むこと、あの大きな家の主人としてのプレッシャー(映画冒頭で表玄関から入って誰も迎えに来ないなど、あまり上手くいってないようだ)が描かれていた。そんな眞人は「夏子さん」でも「夏子叔母さん」でもなく「お母さん、夏子お母さん」と言って連れ戻そうとする。この時「そして父になる」ではないが、そして母になったのかもしれない。

 映画全体のボリュームとしては大きく割かれているわけではないのだが、個人的には夏子主軸でみる物語としても面白いなと感じた。そう考えると、上述した、あのファンタジーの世界は眞人のイマジナリーな世界のモチーフだけでなく夏子にとっても心の突っかかりであった眞人や姉(少女期の姉とその息子が救けにくるというのも象徴的だ)が登場する世界であり並行して混在しているのかもしれない。


まとめ

 こういった映画感想文をまとめる際に、事前に映画サイトやSNSでその映画についての評論や感想などを読むようにしている。出来るだけ引っ張られたくないので、ザックリとしか読まないが、「よく分からなかった」といった感想が目立った。同時に題名の「君たちはどう生きるか」に引っ張られている人も多いと感じた。「君たちはどう生きるか」は映画途中に母親からのプレゼントとして登場するマクガフィン、物語を進めるための装置として描かれている。実際に眞人がこの本を読むシーンで映画は転換を迎える。実際はアイルランドの児童文学である「失われたものたちの本」(ジョン・コナリー著)が原作になっているらしい(もっぱらクレジットされていないので怪しいが、そのあらすじを読む限りでは確かに同じ話だ)。未読だが、少なくとも〜〜〜による「君たちはどう生きるか」を元に映画は作られていない。メッセージ性もやや異なると思う。宮﨑駿が「君たちは」と言うモノだからどうしても挑戦的に受け止め身構えてしまうが、どちらかというと「俺はこう生きたぜ by駿」という作品だ。タイトルに押し付けがたさを感じる人もいるらしいが、わりとその辺はどうでもいい気がする(もちろん受け止め方は人それぞれなので否定するつもりはない)。

 そもそも事前情報無しに、どう踏み込んだらいいか分からないまま手探りで鑑賞するしかなく、蓋を開けてみれば私小説的であり、舞台転換も夢のように整合性があるわけでもない。しかし「よく分からない」がそのまま「つまらない・面白くない」に繋がらず、面白い部分があるのではないかと思う。


その他思ったこと

 事前情報を出さない、ことで映画的な何かサプライズがあるのではないかという淡い期待もあったが、正直ストーリー的にそういったものがあるわけではない。もちろんネタバレとか事前情報無しにニュートラルな状態で映画を観るという楽しみ方は好き。それでも一番驚いたのは、父親を演じていたのが木村拓哉であるということ。今まで思っていたキムタクは何を演じてもキムタクにしか見えない問題が、ここでは全く感じさせられなかった。事前情報がないことで変な先入観がなかったこと、それ自体は大きいがあの昭和感丸出しな父親を木村拓哉が演じているとは思わなかった。とても良かった。

 キリコと一緒に獲った魚(?)に刃をいれ捌くシーンは「もののけ姫」で見たなぁなど、総集編のような側面もありそうだ。急いで前のめりで階段を駆け登るシーンもよく見る表現だ。しかし今までの作品と比べて、アニメーション的表現のあるキメのシーンは少ないように感じた。「カリオストロの城」でルパンが屋根を走ってビヨーンとジャンプして渡っていくシーンのような名場面みたいなのがない。最後、世界が崩壊していくシーンも、案外あっさりとしていた。ワラワラが螺旋状に登っていくシーンも感動的だなとは思ったがやや短め。そのあたりの思い切った踏み込みが足りないなぁ…と思ってしまった。いわゆるジブリ飯シーンも少なめ。ヒミ様のつくるバターとジャムたっぷり(おじさんは胃もたれしそう)のパンを眞人が口元をジャムだらけにしながら美味しそうに食べるシーンくらいか。母親の前で無邪気に食べる眞人の子供らしさが垣間見れて面白かったが。
とはいえ、冒頭の火の表現が、ヒミ様の火を操る表現と一致し同じ母親であるということを繋げるなど細部に見応えがないわけではない。

 ポスターの鳥みたいなやつが、思ったより可愛くない鳥、なんなら鳥のぬいぐるみ着たおじさんで想像の180°違った。何の根拠もない勝手な想像なのでSNSで事前に話題になっていたのが面白い。マスク下の顔を勝手に美化する現象(名前が何なのかは知らない)に似てる。


おわり

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