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Shionitter

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私、不肖「信頼出来ない語り手」明智紫苑の独り言です。ツイッターなどと同様の投稿もしています。
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最も主役の座にふさわしい三冠馬が、最も主役にふさわしくないキャラクターにされてしまったのは実に残念だ。ビワハヤヒデとナリタブライアンを女性版諸葛兄弟にしておけば、代わりに「彼女」に「一匹狼」属性を割り当てられて、もっと史実の「彼」に近いキャラクターに出来ただろうに。

ハルウララ「みんな、三族皆コロコロしてあげるね」
シリウス「ウララ陛下、それだけは勘弁してくだされ」
ラモーヌ「お願いします、妹は助けて」
オルフェ「我が兄を助けてくだされ」
ドンナ「私の一族に類が及ばないように…」
ウララ「このコロコロクリーナーでみんなを『浄化』してあげるね」

ハルウララ「ウサギさんもワンちゃんもお風呂に入れてあげるの!」
酈食其「……」
韓信「……」

ハルウララ「みんな勝ったから、手打ちと半殺しにしてあげるね!」
シリウスシンボリ「何!?」
メジロラモーヌ「え?」
オルフェーヴル「うっ…!」
ジェンティルドンナ「何ですって!?」
注.「手打ち」は手打ちうどん、「半殺し」はおはぎの意味です。

ハルウララ「オルフェちゃん、車裂きの刑と属鏤(しょくる)の剣とどっちが好き?」
オルフェーヴル「余はどちらも好かぬ」
ウララ「じゃあ、どちらもお誕生日プレゼントとしていらないんだね?」
オルフェ「……」

イスラボニータとイクイノックスを並べてみると、石川まりこと倉田ひとみを思い出す…なんて言ったら世代がバレるな。
あ、「石川ひとみ」と「倉田まり子」の間違いだった。

宮城谷さんは基本的に「人格者」しか主人公にしないのがもったいないんだよな。それゆえに、私は塚本靑史氏の偶像破壊的な作風を好むのだ。ウマ娘版オルフェーヴルの性格だって、塚本氏の小説の主人公ならば「あり」なのだ。

意図的に「パンク」と「ヘヴィメタル」を混同してみせる「ロック嫌い」の人は多分いるだろうな。ただし、前述のような悪意で、何でもかんでも着せ替え人形を「リカちゃん」扱いしたり、テレビゲーム全般を「ファミコン」扱いする人は多分少ないだろうが、そもそも嫌うほどの興味もないだろうな。

自分自身以外の誰かが屈原のような潔癖な性格であれば、私はその潔癖さをほめたたえられるだろう。しかし、私自身は屈原のようではありたくない。屈原のような人物とは、あくまでも「他者」であればこそ尊いのだ。

グィネヴィアとエレインはアーサー王とランスロット卿を簀巻きにし、グレートヒェンとヘレナはファウスト博士を簀巻きにして、豊平川に投げ捨てた。 #風雲キャメロット城 #札幌楚漢戦争

T.H.ホワイト版グィネヴィアは比較的人格者寄りの人物像で、バーナード・コーンウェル版グィネヴィアは才色兼備のグラマラスな野心家で、この二人は魅力的で好きだけど、ブラッドリー版グィネヴィア(グウェンフウィファル)は「外見だけが取り柄」でしかない。

今、『アヴァロンの霧』2巻目を再読しているけど、グウェンフウィファルがモーゲンと敵対する理屈はきちんと描かれているんだな。海音寺潮五郎の『孫子』の龐涓もそうだ。それに対して、宮城谷さんの『楽毅』の燕の恵王の人物造形は前述の二人と比べると手抜きでしかない。