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【短篇】僕の仕事は17時30分に始まる

 僕の今のアルバイトは、衣装に着替える所から始まる。まあこれは大体、どの仕事も一緒だと思うのだけど。
 ただ普通と違う点。綺麗な普段着から、薄汚れたゴワゴワの生地の質素な服に着替えさせられる所。見た目の汚れは塗料とか無臭のものでそれらしく汚してるだけだけど、生地の肌触りだけはあまり頂けない。
 その次の準備も普通の職場とは違い、メイクを施される。これまた薄汚れた風に見えるメイク。
 メイクのトキコさんは愛想が良くて優しい。そして話し上手。僕がこの仕事を始めてからずっとメイクを担当してくれている。僕がこの職場に入る前から、前任者や別の部門のメイク担当もしてたと聞いているが、今は僕の専属みたいになってくれている。なかなか嬉しい。

 そしてメイクをしながら台本の読み合わせ。重要な様な、そうでもない様な。
 録画や収録動画をとる場合はこの読み合わせ、結構サクッと終わる。何でも、僕の演技とセリフより編集とかの方が大事らしい。仕事を始めた頃はこの台本覚えが一番厳しかったけど、今は僕もスタッフも慣れて効率が良くなって、要点のチェックと絶対言うセリフだけ確認して終わる、隔週金曜日以外は。
 そして今日はその例外の隔週金曜日、生放送の動画配信が15分。
 月に2回のこの日ばかりは、僕もスタッフも新米に戻ったように必死にセリフや演技プラン、一緒に出る他の出演者たちとのやり取りを必死に確認する。

 カンペは使わないのかって?もちろん使う、最新式のを。
 他の出演者に関しては、スタッフがスケッチブックにペンで書いた手書きのカンペ。僕には専用のカンペが在って、丁度座った目線から30度ほど上を見上げた位置に、液晶画面のカンペが用意されている。
 なんでそんな変な位置にカンペを用意するのかって?そりゃ僕もそう思う。ただ総監督のジャン=バティスト(と、名乗ってるがどう見たって日本人顔)が言うには、僕がカンペを見上げて、ぼーーっと文字を確認してる数秒、それはそれで格好良く画面に映る、という話なのだ。理解不能。

 そしてこの生放送や、収録動画の配信時間も必ず決められている、17時30分。
 という事なので、僕は大体16時くらいまで職場入りして、そこから時給が計算される契約になっている。準備大事、という事なのだろうね。何にせよ、僕みたいな朝が弱い人間には良い勤務形態になっている。長く続く秘訣。
 僕も、配信時間に関してもジャンに何でこの時間か?を聞いた事がある。何でも博士号(いやいや?修士号か名誉博士かもしれない)を持つ専門家スタッフの発案で、普通の人はこの時間帯に見聞きするものが、一番印象に残り易い、らしい。難解。
 ただ確かに、このスケジュールも仕事が上手く行ってる重要な点なのかも。

 生放送は必ずスタジオ。そして形式は2通り。僕一人と専門家一人が対話するか討論する形式か、僕一人と、スタジオの大きな円卓に座った大勢でディスカッションする形式か。意見交換だけの時もあれば、真逆の意見で討論する時も。どっちも台本と演技プランがあるので大差ない。あえて言えば、大勢だと覚える出演者が多い、くらい。
 演技プランは、結構大事。基本的には棒読み、すらすら喋ったり、感情を入れるとか、絶対駄目。
 そして時々、大声で怒った演技。これは、出演者と討論や対話している時に大声や怒るのはNG。なんていうか、一人で長台詞を言う時―――スタジオに居ない遠い人達や団体に対して徹底批判―――コレで完璧。
 この演技プランも、さっき言った博士号(もう面倒だから、これで統一)を持つ先生中心のスタッフが決めている。先生の名前はシモン(これまた日本人、それとも漢字で志門?)。ドラマや映画と比べると、どう見たって演技力が学芸会レベルだけど、これで良いらしい。

 そして金曜の緊張の生放送が終わったら、今度は配信用の動画撮影。こちらは僕もスタッフも気楽、編集と撮り直しが出来るからね。
 基本、今週の配信分を生放送の後に撮る。毎日5~10分くらい。
 僕がバイトを始めた頃は、2週分とか、1.5週分を一気に撮ってたけど、最近は動画の内容やクォリティの向上で、撮りだめは減った。
 あと、昼のロケとかもやる、不本意ながら。この時は金曜の午前中に起こされる。遠出ロケの時は、木曜の午後に。ロケのお金がかかっているので、必ず1.5週分以上の動画を撮る。でも生放送は常に屋内だけどね。で、ロケで動画分を撮っているので、生放送が終わったらその日は仕事終了、はい解散。

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 生放送と動画撮影が終わったら控室に戻って、美容師見習いをやっているエリナちゃんに髪を切って髭を剃って貰う。
 言い忘れてたけど、動画撮影が終わるまで、前の週から髪と髭は伸ばしっぱなしで職場に来る。これもシモン先生の発案。おかしいよね?普通は観ている皆、綺麗な人を観たいはず。
 でも、エリナちゃんに毛先や生え際を整えて貰い、髭を綺麗にすると一気にさっぱり。スタジオにシャワーも有るので最高の気分。
 それでシャワー室の鏡で自分の顔を見てみる。全くもって普通の顔。
 ただ、僕がこのアルバイトに採用されたのは、この顔のおかげらしい。言ってみれば、年齢不詳、あと、国籍不詳。20歳前後と言えば20歳前後、そして40歳or50歳と言えば、確かにその年齢にも見える顔。そして骨格も彫りの入り方も、日本人と言えば日本人だけど、中東や東南アジアのエキゾチックさも、なくはない。
 僕にとっては、ずっと見慣れた普通の面白くない顔なのだけど。

 そして僕の普段着は、仕事の間にしっかりクリーニングされている。
 その頃になると、時間は大体23時を過ぎて、下手をしたら0時近くになるけど、僕もスタッフの皆も充実感でいっぱい。ジャンやシモン先生は誰かとの電話や会議で、撮影終了後も忙しそうにしてる。
 僕はトキコさんを探して話しかける。トキコさんとはずっと仲が良くて、以前は仕事が終わってもずっと世間話してて、そのまま食事に行く事も多かった、過去形。まあ、仲が良いのは同じなのだけど、トキコさんは寿退社で、この職場を辞めて結婚しちゃう。今はその準備で忙しそうだから、僕も帰り際に社交辞令な挨拶だけ、悲しいよね。

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 正直な話、僕はトキコさんと結婚するものだと思ってた、仲が良いだけじゃなく歳も近かったし。ホテルには1回だけ、一緒に行った。結局、数日の間互いに口数が少なくなって、その後は元の仲の良い関係に戻っただけだったけど。その時はこのバイトを始めてまだ3か月、異性に対して慣れてなかったし、免疫も無かった感じ。僕が。

 この動画配信が始まってもう3年近く。自分で言うのもなんだけど、今になって女性関係は苦労しなくなってきた。つまりモテ期。この仕事を始める前の事だけど、なけなしの月給でお店に行ってたのが嘘みたい。不思議と、出会って気に入った女の子はOKしてくれる。そういうのは、ジャンが連れて来る子たちだけどね。
 ジャンが言うには、最初から僕を崇拝(言い回しが大げさ)している子たちなので、誰を選んでも大丈夫、という事。上手い話があったもんだ。
 でも、その子たちは一晩一緒に居ても、恐れ多い事です。とか、身に余る光栄です。とか、何か恋愛って感じじゃなく堅苦しく終わっちゃう。トキコさんや女性スタッフとかとの会話や、あとは学生時代の同級生女子との会話の想い出の方がまだ楽しい。

 で、結局、仕事の後にエリカちゃんを誘って食事に行く、こっちの方が恋愛っぽい。エリカちゃん、マイナーなアイドルグループに居そうなくらい可愛いし。ただ話はトキコさんみたいに上手じゃないので、互いに無言になっちゃう。エリカちゃんはそれでも良い、って言ってくれるけどね。

 昼に普段着で遊びに行けるのは、エリカちゃんや昔からの友達くらい。
 動画のイメージを崩して欲しくない、という事で、ジャンやシモン先生からは、しっかり変装する様に言われてる。
 3年近く配信してると、流石にそこら中に動画が拡散していたりする。驚くのは、スマホやタブレットだけじゃなく、時々街中の大型ビジョンに僕の動画が流れる、15分のフルサイズで。
 改めて観ると、やはり薄汚れた衣装にメイク、棒読みセリフ、そして突然怒り出す謎の沸点、もはや赤面する以外に何もない。その時エリカちゃんやトキコさん、友達と一緒だと気を使って、大型ビジョンの見えない屋内に移動しよう、と言ってくれる。気遣い感謝。
 そして、これだけ広まると変装していてもファンが近づいて来る。その時は何処からともなく黒服が来て、ファンを引き離してくれる。でも、妊婦さんや赤ちゃんを抱いてる人、あとお年寄りには無理な事が出来無い。その時は、変装してる帽子とかを取って、赤ちゃんやお年寄りを撫でてあげる、ファンサービス重要。

 昇給や交友関係が充実したり、あとモテ期もきているものの、どうしたって以前よりも行動が制限される。世間で言う所の有名税、ってそういうものか、と体感中。

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 さてまた仕事の話。
 討論でも対話でも、僕は結構、極端で過激な事を言う役割になっている。これもジャンとシモン先生のアイディア。
 普通は当たり障りのない、市民目線の平均的な意見を言うのが一番嫌われないのだけど、それだと、支持の人数は集められても、”分厚い客”や”熱心な客”が減るんだって。薄利多売じゃなく一極集中型。そして結局、”分厚い客”が平均の何10倍もお金を出すし、さらに布教も拡散も促してくれる、結果オーライという感じだ。
 そして、対話より討論や対決がとても盛り上がる。そこは、プロレスや格闘技イベントと同じで、僕も納得。
 だもんで、一大イベントの討論やディスカッションは、2か月以上掛けて準備する。
 まず、僕の対戦相手は最初から会社側で用意しておくか、他の大きな法人の看板や、マスコミで多用されている激辛コメンテーターあたりと契約して、脚本を読んでおいて貰う。
 このメンバーたちの、討論の本番までの仕事。テレビ番組や公の舞台で、僕や団体に対する批判や論理武装を徹底的にやって貰う。プロレスと同じだよね、対決までの流れで視聴者は盛り上がるんだから。

 そして討論本番。序盤はずっと、僕は聞き役。脚本通りとは言え、まどろっこしい感じ。相手役は言いたい事を次々話す。これも脚本通り。
 一息ついて次は僕のターン。当然、相手役の主張や論理には、最初から穴や矛盾が仕込まれている。そこを僕が穏やかに指摘する、そして相手は手も足も出ない、と、言うお芝居。これが基本的なパターンその一。
 もし、討論前にリサーチしてマスコミやネットの注目度が高ければ、ジャンが決着を引き延ばすようシナリオを書き換える。この場合は、最初に僕が反論せずに時間切れとなるか、あるいは曖昧決着で、次回へ続く。でも最終的に僕が勝つという結末で大団円。基本パターンその二。

 どっちの場合も、終わったらがっかりしている相手役を僕が褒め称えて和解する、スポーツマンシップ。そして僕らの団体に誘うのもお決まりの手順。勧誘する場合、最初部外者からは断られる事も多かったけど、最近は団体も大きくなって、週刊誌や業界筋には団体の経済力も知られ始めたので、寧ろそれ狙いで喜んで勧誘される相手が多くなってきた。なんとも現金。
 まあ動画閲覧数は公開されてて、そこから広告収入と有料会員数は誰でも逆算できるわけだし。あと団体にお金を出す熱心で実働力のある信徒にしても、既に実数では世界三大宗教のそれぞれを超えてる、という話。まあ、僕がこの前流し読みした、女性週刊誌の言い分だけれども。

 なんにせよ、ジャンやシモン先生の二人は、動画の演出も、会社と団体の経営も、そして宗派のドグマ構築もなかなか遣り手で、上手く回しているのは僕もスタッフも納得している事だ。

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 そして、最後になるけど、これからが実は本題。新機軸の大イベントの話。
 ジャンやシモン先生の説明によると、僕が演じている役回りのキャラクターは、そろそろ奇蹟を起こさなきゃいけないらしい。
 奇蹟って何?大掛かりな手品かイリュージョンみたいなやつ?と僕はその場で二人に聞き返した。二人は一瞬顔を見合わせて、そうだ。と返事をする。実際にその時点で脚本と絵コンテは用意されてて、いわゆる僕に脱出イリュージョンをやらせたい、という事らしい。

 生放送でお昼のロケ中に、僕が暴漢数人に襲われて、ナイフや鈍器でボロボロにされる。そして少し遅れて暴漢は取り押さえられるが、僕は助かりそうにない。心肺停止の僕が病院に運ばれるためにロケ車に入れられる。と、数分して、血だらけの衣装を着た元気な僕が、ロケ車から降りて説法、という算段。
 うん、こういうイリュージョンは僕も見た事あるけど、痛い目は嫌だよ?と二人に言うと、大丈夫、最初から君と体格が一緒で、同じ顔に整形したスタントマンに、襲われる役をやって貰うから。と、ジャンは即答した。僕はまあ、そう言われちゃうと納得するしかないよね。

 撮影後、その新企画説明が終わって仕事は終了。トキコさんに挨拶し、彼女の退職と結婚祝いをどうするかな、とか考えながら、エリナちゃんと食事。そしてホテル。
 ただその日はいつもと違って、エリナちゃんから深刻な話。それも仕事の事で。
 最初、エリナちゃんが困ったように黙ってたから、僕の方から、エリナちゃんも仕事辞めたいの?とか、職場の誰かから嫌がらせとか受けてるの?とか聞いてみたが、違う、というリアクション。

 そしてやっと話してくれたのが、なかなかショッキングな告白。僕はどうも殺される予定らしい。
 やはり、さっきのイリュージョンの話だった。ジャンとシモン先生の真の計画では、確かに替え玉は用意されるが、生き残るのが替え玉の方で、僕は暴漢に襲われて殺される、との伝聞。
 僕は思わず、何もかも上手く行ってるじゃない?と独り言をつぶやいてみる。確かに時給換算では破格の給料をもらってるし、最近は慣れてきて自分でアドリブも入れて二人に怒られるけど、それって殺されるほど?
 エリカちゃんが言うには、ちょっとした小銭稼ぎと思って立ち上げたこの団体と、僕の影響力が予想以上に大きくなりすぎて、ジャンとシモン先生は内心相当ビビっている、という話。確かに最初はここまで大きな団体になる事を、想定していなかった筈。僕が求人サイトで見つけ、応募した時は確かこんな売り文句だったはずだ。

<求む預言者(若干、救世主の兼務有り)、未経験~初心者歓迎、アットホームな職場です、優しく優秀な専門家が指導します。>

 うん、確かにこの頃は宗教学と社会学の実験被験者、という事で団体を立ち上げ、僕たちを雇っていた事を思い出した。
 彼らはこの乗りかかった船から降りたいのだろうか?それとも僕の首を挿げ替えて、アドリブを言わない従順な預言者を神輿に担ぎたいのだろうか?まあどっちにせよ、僕が殺されようとしている、というのは不快な話だ。

 僕は数分黙って、考えを纏める。殺されるのも御免だが、何より3年近く職場に通い、色々学んで大きくしてきたこの団体から降ろされるのは嫌なものだ。
 そして僕はエリカちゃんに部屋から出て行って貰い、スマホを手に取る。
 ジャンやシモン先生に抗議電話するかって?頭の良い彼らにそんな事しても、あっさり反論されて徹底論破されるだけ。無駄。
 僕の熱心な信徒は、数万単位じゃきかないくらい世界中に存在しているのだ。そして権力やお金、そして動かせる人間を沢山持つ人とは、僕個人とで連絡先を交換している。ジャンとシモン先生の目を盗んで。

 二人は預言者に奇蹟が必要だと言っていた。でも僕は別に必要な物を知っている。
 殉教者だ。
 僕の目論見を実現してくれる使徒達との電話は、10分足らずで交渉成立して通話終了した。これで明日の朝、僕らの対立団体の仕業として、ジャンとシモン先生の遺体が、どこか衆人の目が多く集まる所に横たえられている、という流れ。
 僕はベッドに横になり、二人が居なくなった後にアシスタントの誰を後釜に据えようか思案し始めた。優秀なスタッフには既に目星を付けている、代わりは幾らでも居る。そういえば、エリカちゃんの時給を上げたりも出来るかな?
 職場環境も変わるわけだし、トキコさんも辞めないで残ってくれないだろうか?

 まあいいや、上手く行くだろう。今夜の様に方法は色々有るんだもの。(完)

拓也 ◆mOrYeBoQbw

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