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リカバリーに向けて


第2回目の途中経過報告をしたくなった。

 『「病気がアイデンティティ」の次の段階を目指』したらどうなったか?
 メンタルヘルスの病気とアイデンティティは切り離せないものなのか? 
「自分は病気」と思う不幸感から抜け出すことはできないのか?

 完全に失敗した試みがある。 
 それは、病気を克服したかのように実生活を送ることだった。

 病気のない健康的な人のように、多少無理をしてでも、
 アクティブで負荷のかかる生活を送ることは、
 結局のところ、体調を崩すことにつながった。
 「できないこと」を痛感させられ、
 「これができたらこんなにも人生は変わるはずなのに」と、
 苦しさを増すだけだった。 

 しかし、成功した試みもあった。
 それは、失敗した試みを真逆に行うことだった。 
 克服をあきらめ、病気の慢性性を受け入れるということだ。 

 「ひとまず」リズムを一定に整えた生活で体調を整える。 
いやな思い出や手に入らないこと、人との比較は「ひとまず」忘れて、
 今自分ができることを「ひとまず」やっていく。
 無理ができない範疇でしか行動はできない。
 病気による制約はいつも痛感する。
「ひとまず」と一時的な前置きをいつも置く。
 けれど、心は穏やかな時が増えていった。 

 「病気がアイデンティティ」ではないにしろ、
 「アイデンティティの一部は病気」だと今も認めざるを得なかった。
 ただ、病気と自分の間に、冷静な距離感やスキマができ始めていた。

 病気(特に精神疾患)からのリカバリーというのは、
 症状が医学的に治癒するという意味だけではないらしい。 

 精神障がいの当事者が集う、「べてるの家」という組織がある。
 彼らは当事者研究という、
 自身の病気・障がいを深掘りした考察・研究を行うことで有名だ。 

 「当事者研究を行うことで、病気の症状が改善した」という記述は、
 べてるの家の本には出てこない。
 しかし、本に登場する少なくない当事者は、当事者研究を行うことで、 「よりよく」生きることができるようになっていった。

自身に何が起こっていたのか、どういう仕組みで苦しんでいたのか、
言語化し、周囲の仲間に語ることで、
 自分の病気や障がいをより深く受け入れ、
 いままで生じていた困難やトラブルと向き合う。
 その一連の流れがリカバリーなのだ。

べてるの家のメンバーは、自分たちの精神疾患に独特な名づけ方をする。
 それは「病気がアイデンティティ」は悪いことだと思っていた自分には、 結構インパクトのある事例だった。

 最近は「幸せ」ということをよく考えるようになった。
同時に「諦め」ということも。

「個人的なささやかな幸せはなんだろうか」、
「どこに人生の彩りを感じるようにしようか」、
考えること、向かい合うこと、泥臭くやっていくことなどなど…
未整理の「宿題」が山積みだ。

この「宿題」は持病と切っては切り離せない関係だ。
そして、自分なりの答えと行動を要求してくる。
怪しいインフルエンサーが発信するような、
「あなたもやりたいことができる」という
人生一発逆転の魔法のメッセージは受け付けない。

べてるの家の当事者の人たちがそうであったように、
私も自分の「宿題」に向かい合うつもりでいる。
きっと、アイデンティティと病気の関係がよくなるような、
リカバリーがそこにはある。

一粒でも新しい理解や行動が出てきたのなら、
大きな一歩なのだと思う。

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