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「狐と祭りと遊び上手と。」第三話

 青く澄んだ空の真ん中に太陽が昇る頃、キヨと畑仕事をする小珠に野狐たちが近付いてきた。無言で傍に立っているので小珠の方から「どうしたのですか?」と聞くと、中心にいる野狐が屋敷の方を指さす。おそらく付いてこいという意味だろう。

「おばあちゃん、私呼ばれたから行くね」
「おや、どこかへ行くのかい」
「午後から空狐さんと市へ行く約束をしてるんだ。おばあちゃんも、体大丈夫だったら来る?」
「市ぃ?」

 キヨより先に小珠の言葉に反応したのは、キヨの押しに負けて何だかんだ昼まで畑作りを手伝ってくれた銀狐だった。銀狐は、続けてぶつぶつと文句を垂れる。

「あのなぁ、空狐はんはそないな下賤な妖怪が集まるとこ行ってええ人ちゃうねん。一応君も場違いやで。一応。いくら振る舞いが下賤とはいえ、一応」
「でも空狐さんは了承してくれましたよ?」

 銀狐の口の悪さにも慣れてきた。平然と返すと、銀狐は信じられないといった様子で疑わしげな目を向けてくる。
 その隣のキヨが野菜の種を植えながら答えた。

「わしは今日この屋敷で医者と会うから行けないねえ。それに、折角久しぶりに畑仕事ができたんだ。そこの妖狐と妖力でどこまで収穫ができるか試したい」
「え、俺まだこれに付き合わなあかんの?」
「銀狐さん、おばあちゃんのことよろしくお願いします」
「え、俺?」

 銀狐に深々とお辞儀をし、野狐に付いて屋敷の中へ向かった。

 ◆

「…………こんなに人を連れていたらばれてしまいませんか?」

 屋敷の門の前に、物凄い数の野狐たちが並んでいる。小珠はその様を見て思わず疑問を口にした。
 空狐は彼らを皆連れて行こうとしているらしい。このように行列を作って町へ繰り出せばすぐに妖狐の一族であると気付かれてしまうだろう。

「何かあった時のため護衛の者は必要です。ご安心ください。野狐たちは一般の妖怪の姿に変化させます」
「でも……大人数で市へ行くのは不自然ですよ」

 昨日この屋敷に来る道中、野狐や空狐を見て市にいた妖怪たちがどんな表情をしていたか、小珠はよく覚えている。――怯えていた。
 少しでも小珠たちが妖狐の一族だと勘付かれることがあっては、市のあの賑やかさも一瞬で失われてしまうはずだ。

「私一人で行くっていうのは駄目ですかね……?」
「慣れない町で一人歩きは危険です。人食い妖怪もいます。妖力を取り戻しつつあるとはいえ、今の貴女はまだ人に近い」
「では、よければ空狐さんももう少し地味な服を着てください。目立ってしまいますので……」

 空狐が着ている着物は、明らかに庶民のものではない。小珠は野狐に頼んで地味な見た目の小袖を持ってこさせた。
 空狐は一瞬にして着替えてくれたが、小袖を着ていても何だかきらきらと光り輝いている。そのうえ、育ちの良さのためか、一つ一つの仕草からも滲み出る品性のようなものを感じた。

(駄目だ……どんな格好をさせても目立ってしまう気が……)

 がくりと項垂れた小珠は、ふと思い付く。

「空狐さんって変化ができるのですよね?」
「ええ、はい」
「狸の姿にはなれませんか?」
「狸……? この僕がですか?」
「嫌ですか?」

 じっと空狐を見つめると、空狐は同様にじっと見つめ返してきた後で、目を瞑って頭を押さえた。

「僕が……狸……」

 非常に抵抗があるようだ。

「それから、この牛車も必要ありません。空狐さんさえよければ歩いて行きたいです」

 空狐が用意した立派な牛車を指さして言う。昨日のものよりは小柄で、空狐なりに目立たないよう配慮してくれたことが感じられるが、そもそも庶民は牛車など乗らない。

「僕は構いませんが……小珠様が疲れてしまうのでは?」
「体力には自信があります。何なら走って行けますよ。こうやって」

 衣服の裾をたくし上げて足を出すと、空狐がすぐにその裾を元に戻させてきた。

「女性が足を出してはなりません」
「あ……すみません」

 はしたない真似をしてしまったかもしれないと反省する。

「僕は狸の姿で小珠様に付いていき、野狐はこの屋敷で待機するということでいいですか?」

 空狐の確認にこくこくと頷くと、空狐は次に野狐たちの方を見て命令した。

「何かあればすぐに連絡を入れます。駆けつけられるよう準備しておいてください」

 こうして一悶着あったが、空狐と小珠のお出かけは開始した。

 狸の姿をした空狐は可愛かった。もふもふしていて軽いので、抱きかかえたまま歩くことにした。腕の中にある小さき存在を可愛がりながら道を進んでいく。
 町には少し歩くだけでも様々な見慣れない生き物――妖怪がおり、小珠はそれを見るたびあれは何かと腕の中の空狐に質問した。空狐は一つ一つ丁寧に教えてくれた。

 川にいた胴体が蛇の姿をした女性は〝濡れ女〟。
 川辺で不気味な歌を歌いながら何かを研いでいたのは〝小豆洗い〟。
 道端にしゃがみ込んでいた、目も鼻もない、お歯黒の口だけがある女性は〝お歯黒べったり〟。
 一本足で歩きながら移動していた目が一つの妖怪は〝一本だたら〟。
 長い首をくるくるさせながら歩いていたのは〝ろくろ首〟。

 様々な妖怪の種を知ることができた。妖怪と一言に言っても色んな見た目の者がいる。人間の場合はそれほど外見的特徴に違いはないので新鮮だった。

 しばらく歩いていると、ようやく市の近くまでやってきた。まだ少し距離があるが、ここでも賑やかな声が聞こえてくる。今日も沢山の妖怪が集まっているのだろう。

 途中の道端に、よしず張りの休憩所が見えた。〝おやすみ処〟と書かれた掛行灯が出ている。茶屋だ。お茶とお菓子の良い香りがする。中では床几《しょうぎ》に座って妖怪たちが砂糖餅を食べながら休んでいた。

「空狐さん、ここに寄ってみてもいいですか?」
「茶屋ですか……。実はどんな処か僕も知らないのですが、小珠様は歩き疲れたでしょうし、構いませんよ」

 疲れているわけではなかったが、団子につられて中に入った。中には木綿の赤前垂れにたすきがけで働いている、蛇のような髪を持つ美しい看板娘がおり、「あら、いらっしゃい」と小珠の姿を見て優しく微笑んでくれた。

「お茶とお団子をお願いします」

 その美貌に惚れ惚れしながらも、野狐たちに預かった貨幣を渡して注文をする。

「ちょうどよかったわ。お団子今できたところなのよ。ちょっと先に味見するわね」

 看板娘の蛇のような髪が動き、団子を一つ掴んだかと思えば、彼女の後頭部が大きく口のように開いた。そのまま、髪で掴んだ団子がその後頭部の口の中に入っていく。看板娘の後頭部が、団子をもぐもぐと食べた。
 その様子を見て、小珠は唖然としてしまう。

「あれは二口女という妖怪です」

 床几の隣に座らせた空狐が小声で補足してくれた。

 その後、団子と茶はすぐに用意された。黙って食べていると、二口女が話し相手になってくれた。

「貴女まるで人間のような見た目ね。一人で来たの? この辺りは妖怪が多い分物騒だし、人間と勘違いされて食われたら大変よ。暗くなる前に帰りなさいね」

 団子を頬張る小珠に対し、二口女が心配そうに忠告してくる。小珠は「ありがとうございます。気を付けますね」とお礼を言いながら、団子の一つを狸の姿をした空狐に与えた。

「市の方、賑わっていますね」
瑞狐ずいこ祭りが近いからね。皆活気づいているのよ。この茶屋も今は暇だけど、夕方になれば仕事終わりの妖怪たちがわらわらやってきて大変よ」

(きつね町にも瑞狐祭りがあるんだ)

 小珠は二口女の言葉に驚いた。キヨと毎年行っていた、今年はないと思っていた瑞狐祭り。もしかすると、あの村で行われていた瑞狐祭りの発祥はきつね町なのかもしれない。山を越えて隣にある町なのだから、同じ祭りをしていてもおかしくはない。

「ただ、今年は祭りの目玉である花降らしができそうにないのよね」
「花降らし……?」
「雨を降らせて花を散らすの。この町の中心に大木があるでしょう」

 二口女は遥か遠く、店の外に見える大きな木を指さした。見たこともないくらい太く、どっしりと構えた大木だ。先の方しか見えないが、圧倒的な存在感がある。

「あの大木から散った花びらを集めて雨と一緒に空から降らせるのだけれど、今年はあの大木、花を咲かせなかったのよ。困ったものね」
「別の植物の花びらじゃだめなんですか?」
「だめよ。この町の象徴である瑠狐花《るこはな》じゃないと。それに、雨降小僧《あめふりこぞう》がご高齢でね。今や雨降老人よ」
「雨降老人……」
「毎年雨降老人が雨を降らせてくれていたのだけれど、去年の祭りを境についに寝たきりになったわ。彼は子孫を残さなかったから、跡継ぎもいないのよねえ」

 瑠狐花はきつね町にのみ咲く特別な花であり、花びらは深紅のようにも見えるが、微かに青みがかった薄紫色をしており、光の加減によっては紫や桃色にも変化するらしい。花の中心には、金色の輝きを持つ小さな宝石のような蕾があるそうだ。

「貴女何も知らないのね。まるで初めて外に出てきたみたい」
「引きこもりなもので……」

 小珠の無知を不自然に思ったらしい二口女が疑いの目を向けてくるので、慌てて言い訳した。

 そしてふと、今朝の銀狐の不思議な力を思い出す。種から発芽させることが可能であれば、瑠狐花を咲かせることも可能なのではないか。

「あの、狐の一族に頼んでみるのはどうでしょう?」
「……は?」
「狐の一族は特別な力をお持ちなのですよね。花を咲かせてくれるかも……」

 突然、二口女の顔から笑顔が消えた。

「〝お狐様〟たちが庶民のお祭りなんかに手を貸してくれるわけがないでしょう」

 二口女はぴしゃりと言う。〝お狐様〟という言い方が何だかいやみったらしく聞こえた。

「妖怪として優れているからって偉ぶってこの町を統治している連中よ。あの一族は私たちのことを見下しているわ。町民のことなんか何も考えていない。納める年貢の割合も年々大きくなっているし、納められないと殺されるの。貧困で死ぬ妖怪だっている。正しく統治してくれないから治安だってよくならない。昔は違ったみたいだけど……玉藻前様が長となった時代からは滅茶苦茶よ。この町はお狐様たちの独裁状態。私たちは殺されないよう常にびくびくしながら生きてるの」
「…………」

 二口女からの狐の一族への評価に驚いて黙ってしまった。空狐がこれを聞いて気分を害していないかと心配になりちらりと横目に見る。

「貴女も狐の一族が道を通る時は失礼のないようにすることね。じゃないと殺されちゃうから。……ああ、そういえば昨日あの一族、珍しくこの辺を通ったらしいわ。人間みたいな見た目の女の子を連れてたみたいよ。そういえば、ちょうど貴女のような黒髪だったって聞いたわね……」

 二口女が小珠をじっと見つめてくるので、正体がばれるのではないかと焦り、慌てて空の器が乗ったお盆を返した。
 「ごちそうさまでした、美味しかったです!」と言って駆け足で茶屋を出る。


 きつね町に住む妖怪たちが妖狐の一族をどう捉えているのか初めて知った。腕の中にいる空狐に対して少し気まずく思う。

「……町の人たちは、空狐さんたちのことを誤解しているのかもしれないですね」
「誤解ではありません」

 慰めのような言葉をかけてみたが、空狐は小珠の発言を否定した。

「彼女の評価は至極真っ当です。玉藻前様の時代から、我ら狐の一族は、町民の恐怖心を利用してこの町を統治してきました。それを抑圧と感じる者も少なくないでしょう」

 玉藻前。小珠の前世。一抹の責任のようなものを感じた。さっきの話を聞く限り、玉藻前がこの町の統治形態を変えてしまったようにも聞こえたのだ。

「見ていきな! 人のいる町の海で取れた世にも珍しい魚だよ~!」

 歩きながら考え込んでいると、突然大きな声が聞こえてきて思考を妨げられた。どうやらいつの間にか市の方まで来てしまっていたらしい。

 生の魚が大量に吊るされている。スズキ、キスやイワシ、アジ、アナゴ――小珠も見たことのある魚だった。どうやら妖怪も人間の食べる魚を食べるらしい。
 青物市場も隣にあるようで、「やっちゃ、やっちゃ!」と競りの声が聞こえてくる。
 その更に奥には屋台や露店が立ち並んでいるのが見える。食べ物だけでなく、衣類、道具、工芸品など、色とりどりの商品が売られていた。
 行き交う妖怪たちの間を通って歩を進めると、職人たちが集まる作業場もあった。木工、陶器、紙づくりなどの職人たちがいる。作業場からは、手仕事の音や木の匂いがする。

「おやおや、小さくて可愛い子だね。食べちまいたいくらい可愛いね」
「うちのおでん、食べてかないかい!」
「嬢ちゃん、寿司はどうだ!」
「とれたての魚だよ! 新鮮だよ! あっちの店よりおいしいよ!」

 道を歩いているだけで市場にいる様々な妖怪たちから声をかけられる。
 その中に、小珠でも言い伝えで聞いたことのある有名な妖怪――河童がいた。

「見ない顔だね。どこから来たんだい?」
「あっちからです」

 もう見えなくなった茶店の方向を指差すと、魚屋の河童はうんうんと頷く。

「ああ、嬢ちゃんの長屋はあっち方面なんだね。どうだい、茶店は寄ったかい。あそこの二口女は美人だろう。何人もの男があの娘を口説いているんだが、どうも人の里に降りて帰ってこない初恋の人が忘れられないみたいでねえ」

 河童は細刻《ほそきざ》みを煙管《きせる》で吸い、ふぅと煙を吐いた。異国からこのようなものが流れてきたという話は聞いたことがあったが、実際に見たのは初めてで、目をぱちぱちさせてしまう。

「ああ、勿論、嬢ちゃんも負けず劣らず可愛いよ」
「あ……ありがとうございます」

 可愛いと言われることなどこれまでなかったため、小珠は恥ずかしくて俯いてしまった。その反応が気に入ったのか、河童がいやらしい笑みを浮かべてじりじりと小珠の方へ寄ってくる。

「どうかな。この後僕と歌舞伎見物にでも行くというのは」
「歌舞伎見物……?」

 初めて聞く単語に首を傾げた。河童はにやにやしながら小珠へと手を伸ばしてくる。
 あまりに急に距離を縮めてくるので驚いて一歩下がろうとする。次の瞬間、狸の姿をした空狐が小珠の腕の中から飛び出て河童を殴った。小さな体での攻撃だが威力はあったようで、河童がよろけて後ろに倒れ込む。

「――おい河童! まーたお客さんに迷惑なことしてんのか! そんなことしたらうちにも客が寄り付かなくなるからやめろっつってんだろい! あと、そこで煙管吸うのもやめろ! 匂いが商品に移る!」

 同時に、魚屋の正面の屋台にいるからかさ小僧が河童に向かって怒鳴った。
 からかさ小僧の大音量の怒鳴り声に驚いたのか、河童はそそくさと魚屋の向こう側へ戻っていく。どうやら河童はからかさ小僧のことが苦手らしい。

「ごめんな、お客さん。あいつはどうしようもねえ女好きで……」
「ううん。怒ってくれてありがとう」

 小珠はからかさ小僧にお礼を言った。
 からかさ小僧の方は、食べ物ではなく手作りの傘を売りに出しているようだ。小珠は空狐からもらった袋から貨幣を取り出し、からかさ小僧に渡す。

「もしよかったら、一本くれない?」

 空狐があの雨の日に持っていた傘と比べればぼろぼろだが、不器用ながら一生懸命に作ったことが伝わってくる可愛い傘だ。

「えっ、いいのか? 助けたからって気ぃ使わなくていいんだぞ」
「ううん。単純に欲しいの。素敵な傘だから」

 そう言って笑うと、からかさ小僧は少し顔を赤らめて「まいど」と一本の赤い傘を渡してきた。

「それ、日傘にもなるから。これから夏が来たら便利でい」
「本当? 嬉しい」

 小珠は夏でも畑仕事で日の下にいることが多くすぐ黒くなってしまう。出かける時だけでも日傘を差せるのは有り難かった。
 購入した傘を大切に持ち、ふと気になったことを聞いてみる。

「ここの市って、お店を出す時は誰かに許可を取らなきゃいけない?」
「そんなめんどくせえことはいらねえぞ。早いもん勝ちで場所を取って売りに出すって感じだ。この町の冬は厳しいから冬場は閑古鳥が鳴くけど、瑞狐祭りが近付くとやっぱ賑やかになるな」
「この町の瑞狐祭りって、いつやるの?」
「初夏でい。大体三月後かな。……つーかこの町のってなんでい。他所から来たのか? おめえ」

 じろりと不審がるような一つ目で見られ、慌てて小珠は「言葉の綾だよ」と否定した。小珠の慌てっぷりが可笑しかったのか、からかさ小僧はかっかっかっと笑う。その笑顔は子供のような可愛らしいもので、小珠の心は温かくなった。
 この町に住む妖怪たちは素敵な妖怪たちだと思った。

 帰る頃にはすっかり日が暮れてしまっていた。夕陽の温かな光がきつね町を優しく照らしている。市の賑やかさも収まり、妖怪たちが店仕舞いを始めていた。
 小珠は行きと同じく空狐を抱えて歩いた。
 空狐は妖怪たちの目がない細い路まで来ると、ぽんと音を立てて人の姿に戻った。もう誰にも見られないと判断したのだろう。小さな体でいるのは窮屈だっただろうか。

 夕暮れの橙色の光が空狐の頬を照らす。その横顔は美しく、小珠はまた見惚れそうになってしまった。少し緊張しながらも提案する。

「楽しかったですね、空狐さん。よければまた行きませんか? 今度はおばあちゃんも連れて……」
「市など行くのは今日限りです」

 空狐は小珠の申し出をきっぱりと断ってくる。少し怒っているような口調だった。

「貴女は玉藻前さまの生まれ変わりです。下賤の者と慣れ親しむべき人ではない」

 最初から空狐は反対していたことを思い出す。一度限りと思って連れてきたのに、小珠が二度目を求めたせいで不機嫌になったのだろう。小珠は出過ぎた発言だったと反省した。しかし、それ以外の部分で少しだけ、反論したいところもあった。

「……玉藻前様の生まれ変わりであることって、そんなに偉いですか?」

 この屋敷に着いてからずっと感じていた疑問を投げかける。
 あんなに楽しそうに互いに売り買いして生きている妖怪たちを、優しくしてくれた二口女やからかさ小僧を、纏めて下賤の者と言われたのが悲しかった。

「玉藻前様は偉かったかもしれません。でも私はただの〝生まれ変わり〟です。ただの小珠です。畑仕事をして生計を立ててきた、空狐さんたちが言うところの〝下賤の者〟です」

 空狐は少し驚いたような顔をして小珠を見下ろしてくる。小珠ははっとしてすぐに謝った。立派な屋敷で預かってもらっている身でありながら、生意気なことを言ってしまったかもしれない。

「……ごめんなさい。連れてきて頂いたのに偉そうなことを言って」
「……謝るのは僕の方です。嫌な言い方をしてしまいました」

 空狐もぽつりと謝罪してきた。互いの間に気まずい沈黙が走る。
 しばらくして、その沈黙を先に破ったのは空狐だった。

「貴女に今日、外行きの着物など着せずにいてよかったと思いました」

 周囲がだんだん暗くなってきたこともあり、少し俯いている空狐の表情は少しだけ見えづらい。

「貴女は可愛いですから。少し市へ行くだけでも妖怪たちの目を引いてしまう」

 何を言われているのか一瞬理解できず、顔を上げて空狐を見つめる。

「可愛い……」

 空狐の言葉を反芻した小珠は、遅れて意味を理解した後、何だか恥ずかしくなって不自然に目をきょろきょろさせてしまった。

「そんな風に思ってくださっているのですか?」
「勿論です。……何故僕より先に、河童が言うのか」

 ぶつぶつと何やら不満そうに呟く後ろで、動揺から足元が覚束なくなってしまった小珠は、小石に躓いて転けそうになった。
 それを空狐の大きな体が器用にも受け止める。

「すみません……」
「いえ。小珠様は意外と、そそっかしいですね」

 ふっと柔らかく笑った空狐がこちらに手を差し出してくる。小珠がおずおずとその手を取ると、転けないようにするためか、空狐は小珠の手を握って歩き始めた。

 ――その姿勢の良い背中を見た時、小珠は確信した。

 同じだ。幼い頃、キヨと神社ではぐれた時に手を引いてくれたあの人と同じ背中。泣きじゃくる幼い小珠の手を握り、祭りの中心部まで連れて行ってくれた、月白色の髪と琥珀色の瞳を持つ男性。

 空狐が、小珠の初恋の人だった。


 ◆

「よくない……よくない…………」

 その日の夕食後小珠は、今日のどきどきを思い出す度に一人で何度もそう呟いた。婚約者である天狐と、初恋の相手である空狐が同じ屋敷にいるこの状況に対して。そして、初恋の人と再会できて嬉しいと思ってしまう自分に対して。

「私が結婚するのは天狐様なんだから……」

 こんな不誠実な気持ちを抱えたままではキヨに顔合わせできないと思い、さっさと一人で湯殿に入って部屋に閉じこもった。女性使用人の気狐たちはそんな小珠を体調でも悪いのかと心配してくれたが、寝不足なだけだと誤魔化した。
 恋心を忘れるため、今日は早く寝てしまおうと布団を被る。しかし、やはりもやもやして眠れない。ごろごろと何度も布団の中を転げ回った。転がっているうちに壁に頭をぶつけてしまい、大きな音が出た。

「いったぁぁ~……!」

 頭を押さえて呻く。
 と、次の瞬間、外から勢いよく部屋の襖が開けられた。

「何暴れ回っとるねん、下品娘」

 立っていたのは寝間着姿の銀狐だ。夜はこの屋敷内を巡回しているらしい。

「銀狐さん、一応ここは私の部屋なので、開ける時は一言欲しいのですが……。これで私が着替え中だったらどうするおつもりなんですか」
「君みたいな色気ない子が着替えとってもなんも思わんわ。小さい子供のお着替えとおんなじや」

 一応自分は十八歳の立派な大人なのだが、と落ち込む。人間よりも余程長生きしている銀狐からしたら、十八など子供なのかもしれない。

「元々変やけど、帰ってきてからもっと変や。市でなんかあったん?」

 銀狐が堂々と部屋に入ってくるので、寝転がっていた小珠は慌てて座り直し、急須でお茶を入れて差し出した。銀狐は「おお、気ぃ利くやん」と遠慮もせずにそれを手に取る。

 どうやら小珠の挙動は銀狐が気付くほどに不自然だったらしい。空狐が初恋の相手だったからなどとは言えない。小珠は少し悩んだ後、代わりに、今日の昼間に茶屋で二口女に言われたことについて銀狐に伝えた。二口女からの狐の一族への評価についてももやもやしていたので嘘ではない。
 ずず、と茶を啜ってから銀狐が話し始める。

「天狐はんの代から頑張ってはいるんよ? 空狐はんも、毎朝早う起きて各所回って、この町をより良うしようとしてはるし。でも、それは玉藻前様の時代に俺らの一族が町民にやった酷い仕打ちの償いにはならん。なかなか理解は得られんよな」

 どうやら狐の一族はこの町をより良いものにしようと統治者として努力しているらしい。やはり、町の妖怪たちは少し誤解しているように思う。

「年貢の割合を上げたというのは……?」
「この町の治安を守るための組織を来年までに作ろうとしとって。今後、戦闘に優れた妖怪を集めて刀の所持も許可する予定なんよ。その予算を集めなあかんかった」
「それを町の妖怪たちに伝えるべきではないですか?」
「町の妖怪たちは俺らの言うことなんか信じへん」

 銀狐が即答した。その目は少し寂しげな、諦めを孕んだような目だった。
 確かに、一度出来上がってしまった印象を急に変えるのは難しいだろう。

「……この町が変わってしまったのは、前世の私がしてしまったことが原因なんですよね」

 玉藻前の時代、この町は悪政を敷かれていた。それが玉藻前が封印された後の時代の統治にも引き継がれ、現在の狐の一族への印象にも影響を与えている。

「では私、この町を変えたいです」

 小珠ははっきりとそう言った。

 すると、胡座をかいて座っていた銀狐が「はあ?」と素っ頓狂な声を出す。

「悲しいじゃないですか。お互い誤解したままなんて」

 狐の一族は町にいる妖怪たちのことを下劣な者と誤解していて、町にいる妖怪たちは狐の一族を町民のことを何も考えていない独裁者だと誤解している。そのすれ違いはあまりにも寂しい。そのように思われていては、お互い良い気持ちにならないだろうし、良い結果にもならないだろう。

「そのためにはもっと町の事情を知らなければいけませんよね。そうだ、今度、野菜を持って市で売りに出してみます。お金稼ぎにもなりますし、町の様子も見られますし」

 最も町の妖怪たちが集まる活気ある市であれば色んな妖怪と話ができる。今日行ってみてそう感じた。
 銀狐は小珠の案を聞いて良い顔はしなかった。険しい表情で、昼間も言ってきたことを繰り返してくる。

「このお屋敷じゃ、女の子はお化粧してかわええ着物着て微笑んどったらええねんで。小珠はんは何もせんでも……」
「できることがあるのに、しないのは嫌なんです」

 キヨが体を崩して倒れた日の記憶が蘇る。
 それまでキヨは病気を疑う余地もないほどに元気だった。毎日元気に畑仕事を行っていた。小珠にとってそんなキヨが倒れたのは青天の霹靂だった。その日を境にみるみるうちにキヨの病状は悪化し、体力は衰え、以前のように立って歩くこともままならなくなった。
 小珠は、激しく後悔した。こんなことになるのであれば、もっと沢山キヨを色んな場所に連れて行ってあげればよかった、もっと沢山キヨと一緒に畑仕事をすればよかった、他にもキヨが元気なうちにしてあげられることが沢山あったのに――と。
 小珠はキヨが高齢であることを知りながら、キヨがそんな状態になるとは不思議と全く予想していなかったのだ。いつまでも元気に生きているように思っていた。キヨの健康状態が悪化してから、自分の想像力の欠如を嘆いた。

 できることは、突然できなくなることがある。当たり前にその可能性は常にある。だから小珠は――後悔しないように生きたいと思っている。

 小珠の意見を黙って聞いていた銀狐は、ことりとちゃぶ台に湯呑を置いた。その手が小珠の方へ伸びてきて、小珠を引き寄せ抱き締める。突然のことに小珠は動揺した。

「えっ、あの、銀狐さん?」
「――前世では」

 銀狐があまりに切なげな声を出すので黙り込む。

「前世では……守れんで、すみませんでした」

 抱き締められているせいで表情は見えない。声が泣いているようにも聞こえて、驚いて銀狐の表情を見ようとした――が、その前に、銀狐はぱっと小珠を離し何事もなかったかのようにすくりと立ち上がった。
 その顔はいつもの銀狐だ。

「ほな、俺見回りの続きしてくるわ。あんまり長々と小珠はんの部屋おったら多方面から文句言われそうやし」
「……銀狐さん? 今のって」
「寝言や、寝言。茶ぁ飲んで眠なってもうてん。ほんまに寝てしまわんうちに出るわ」

 眠くなる作用のある茶葉ではないはずだが……ともう一度袋を確認する。

「また明日な」

 襖を開け、銀狐がこちらに笑いかけた。それがこれまでよりも幾分か優しい笑顔に見えて、小珠は動揺しつつも小さく手を振った。

 ◆

 翌日の早朝、小珠が野狐たちと一緒に廊下の雑巾がけをしていると、そこに金狐と銀狐が通りかかった。

「あ、おはようございます!」

 額に流れる汗を拭きながら元気に挨拶する。しかし、金狐と銀狐は唖然とした表情で小珠を見つめてきた。

「え……。何しよるんですか?」
「お掃除です。野狐さんたちが朝から頑張っていたので私もお手伝いしようかなと」
「あかんあかん、あかんて。君このお屋敷の花嫁さんやねんから。掃除とかしたらあかんて。言っても聞かんと思うけど」

 慌てて止めてくる銀狐と、冷たい目で野狐たちを睨む金狐。金狐はどうやら手伝わせることを許した野狐たちが悪いと思っているらしい。

「違うんです、野狐さんは悪くありません。私がやりたかったので強引にお願いしたんです。見てください、この雑巾。もう使えなくなった作業着を切って縫って昨日作ったんですよ。折角作ったので使う機会があればな、と思っていたところだったんです」

 野狐たちが責められないよう、作った雑巾を見せびらかす。
 金狐は苦虫を噛み潰したような顔をしている。貧乏臭いと思われているような気がした。それに比べて銀狐は苦笑い程度で済んでいるので、大分小珠の言動にも慣れてきたのだろう。

「ああ、そうだ、銀狐さん。今日の朝食のうちの一品は私のおばあちゃんが作ってくれるんですよ。昨日銀狐さんが手伝ってくださったアスパラガスの揚げ浸しです。おばあちゃん、お料理うまいんです。楽しみにしていてください」

 銀狐は野菜の成長を早送りすることができる。しかし、植え付けてから妖力で一気に成長させると根が弱ってしまったため、小珠とキヨはこまめに成長を止めさせ、倒伏防止の支柱と紐を用意したり、畝全体にワラを敷き乾燥を防いだりなどの手入れをした。大量に育てようと思うと妖力も借りつつ時間をかけたこまめな手入れと太陽の光が必要そうだ。
 結果、本来収穫まで三年かかるアスパラガスも、少量だが手に入れることができた。

「銀狐、手伝ったって何なん?」
「あ~……いやぁ~……なんか小珠はんらが勝手に盛り上がっとって押しに負けたっちゅーか……」

 金狐に睨まれた銀狐が視線を逸らして気まずそうに頭を掻く。金狐にとって銀狐は小珠の畑仕事に加担した悪者だろう。

 金狐が大きな溜め息を吐いた。その表情は昨日小珠に溜め息を吐いてきた銀狐にそっくりで、やはり双子なのだろうと予想する。

「小珠はんを育てた方に食事なんか作らせたらあかん。今すぐ連れ戻せ。空狐はんにばれたら怒られるで」

 金狐が野狐を睨みつけて命令するので、慌てて小珠が止めた。

「待ってください。おばあちゃん、料理が好きなのに足腰が弱くなってからは炊事場に立つこともできていなかったんです。久しぶりに自由に動けて楽しそうにしているので、できれば止めないでほしいです」

 キヨが楽しそうにしているのは邪魔されたくない。今朝張り切って笑顔で準備体操をしていたくらいだ。昨日屋敷に来た医者の治療や薬が聞いているようで、今日はとても調子が良い。
 納得できない様子で黙り込む金狐に、畳み掛けるように要求してみる。

「ちなみに、明日は私も炊事をお手伝いしようかなと思っていたのですが……だめですか?」

 おそらく断られることを予想しながら返答を待つ。金狐より先に発言したのは銀狐だった。

「諦めや、金狐。こういう子や」
「やけど……」
「言っても聞かん。なぁ?」

 銀狐はにやりと意地悪く笑って小珠を見下ろしてくる。不思議と嫌味には感じない。小珠は銀狐に対し微笑み返した。

 ――結局、渋々といった感じで金狐に明日の朝食作りを手伝うことを許可してもらった小珠は、気分良くその日の朝食に向かうことができた。

「頑張った後のお食事は美味しいね、おばあちゃん」
「そうじゃのう。妖力を加えて作った物の味はいかほどかと不安だったが、なかなかうまいねえ」

 キヨの手料理を食べるのは久しぶりで、嬉しくて涙が出そうだった。

 幸せな気持ちでアスパラガスの揚げ浸しを食べる小珠を、正面の金狐が「玉藻前様の生まれ変わり、予想の斜め上やったわ」とうんざりしたように銀狐に言っているのが聞こえた。



次話:https://note.com/awaawaawayuki/n/na5ae7aa8b767


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