228-229 「葡萄」という名前を知ること

228. 「葡萄」という名前を知ること

今日も既に東の空高い位置に太陽が昇っている。隣の保育所の子どもたちの声、どこかで工事をする音、カモメの声が聞こえてくる。庭の葡萄の葉には水滴が乗り、階下の平らな屋根の端にも少し水が溜まっている。

昨日、庭に伸びる蔓の植物が葡萄だということをオーナーのヤンさんに教えてもらった。それまでは「伸びる蔓」だったものが「葡萄」になった。「庭に伸びる葡萄の蔓を見る」と思うとなんだか嬉しい。子どもがものの名前を知るときの喜びというのはこんな感じなのだろうか。数日前にベランダから庭を見下ろして数えたら、庭には今、13種類の花が咲いていることが分かった。小さな花や見つけられていない花もあるだろう。植物はもっとある。これらの名前を知っていったら、庭の植物一つ一つと友達になったような気持ちになるだろうか。

しかし、とも思う。名前とは文節であり、世界を切り取ること、世界を既知のものとすることでもある。「伸びる蔓」は四方に中空に手を伸ばしていくものであって、私にとっては周囲の空間を含めて「変わり続けるダイナミックな生き物」だった。その正体が分からないから毎日目をこらす。目をこらすから小さな変化が分かる。変化が分かるからますますその正体が分からない。それが「葡萄」という名前を持つことで、空間から切り離され定型を持った存在になってしまう。人の視覚野に投影されたもののうち8割は脳の視床下部という古い記憶が蓄積されているところから取り出しこられたものだと言う。「見ている」と思っているもののうち8割は記憶が投影されているものだということだ。「知っている」というのは、「記憶から情報を取り出す」ということでもあるかもしれない。もしかすると、その割合が違うから、猫は毎日あんなにも世界を新鮮に見ているように見えるのだろうか。「葡萄」という名前を知ったことは嬉しい。でも、同時にこれからもあの植物を「伸びる蔓」として見続けていきたい。2019.7.19 Fri 8:49 Den Haag

229. 気持ちと行動と言葉の変化

40分ほど前、夕食を食べ始めようとしたときに部屋の中が薄暗くなり始めていた。この時期はよっぼどのことがない限り部屋の天井の明かりをつけていないので外の明るさが家の中にも顕著に反映される。そういえば、1ヶ月ほど前は「どんどん日没が遅くなるなあ」という感覚があったが、最近はそれに慣れてしまったせいか、そういう感覚を感じていなかった。日没時刻の遅いピークはいつで、いつからまた日没時刻が早くなるのだろうと思って調べてみると、なんとハーグは今日よりも7月1日の方が日没時刻が10分ほど遅く、その頃に比べると1日の日照時間も30分以上短くなっている。気温としてはまだ上がっていくのかもしれないが、日照時間で言うと既にピークを過ぎていたのだ。6月の最終週の金曜日に隣町のLeidenで行われていたお祭りでは参加者たちに「仕事納め」のような雰囲気が漂っていたが、実際に夏休みシーズン前の最後の平日だったのだろう。8月1日には日没時間は今より更に20分早まり日照時間は30分短くなる。そう思うと、さしてアウトドア派でもバカンス好きでもリゾート好きでもないが、「夏を満喫しておかなきゃ」という気になってくる。それでも今日も日没時刻は21時52分。空には雲が広がっているが、まだ夜が始まってはいない感じだ。

欧州に来て、自然に関することで日本との一番の違いを感じたのが年間を通じた日照時間の変動の大きさだった。東京の場合、日照時間が最も長いときは14時間30分ほど、最も短いときは9時間40分ほど、その差は約4時間50分。一方、今いるオランダ・ハーグは日照時間が最も長い時は16時間40分ほど、最も短いときは7時間50分ほど、その差は約8時間50分。つまり、年間の日照時間差が、4時間も違うのだ。ざっくりと、「夏は日本より2時明るい時間が長く、冬は日本より2時間明るい時間が短い」ということだ。

この「変動の大きさ」というのが、欧州に来て初めての年とてもこたえた。肉体的にというより精神的にだ。精神的というのが肉体的にも大きく影響を与えていた。14時を過ぎる頃にはもう、「1日が終わりかけ」という雰囲気が迫ってくる。ドイツで住んでいた家は新しくてキレイで床暖房も入っていたものの今のオランダの家よりも随分冷えていたように思う。いや、やはり精神的なものだろう。お昼過ぎにはなんだかどんよりとした気分になって体も冷えてくる気がして、1日4回湯船に浸かった日もあったくらいだ。

気候や気温の変化に加えて日照時間の変動というのが心身に大きな負担となることを改めて実感し、海外でチャレンジする人の健康の支援をできないかと考え始めたのもその頃だ。大きな企業は英語のトレーニングやリーダーシップ研修などを実施して海外に人を送り出すが食生活の気遣いまではしてくれない。日本では労働安全衛生法によって1年に1回の健康診断が義務付けられていて海外赴任者もそれに則ることが多いが(法律自体は海外の事業所で働く人には適用されない)、海外赴任時に大きな心理的・肉体的負荷がかかることを考えるとそれでは手遅れになることもある。

そんなことをリアルに考えた1年半前の冬だったが、昨年オランダで過ごした冬は暖冬だったということもあってか思ったほど心身にこたえなかった。我が家が上下の部屋にはさまれ寒さに悩まされることなく過ごせたというのもあるかもしれない。ドイツの家と違って浴槽がなくシャワーのみの中で「もうオランダの冬はこりごりだ」と思わなかったのは奇跡に近いようにも思うが、心理的な面含めて様々な要因があったのだろう。いずれにしろ、安心して暮らせる家があること、仕事があることに感謝が尽きない。仕事というのは今の私にとって経済的なことももちろんあるが、心の栄養源のようなものでもある。専門家として価値を提供するということに責任を持っているが、同時に喜びをもらってもいる。自分なりにもっと深めたい領域や特化したいことはあるが、今やっていることは基本的にはそこにつながるものであって、お金をもらわなくてもやりたいことでもある。そう思えることに取り組めているのはつくづく幸せだしありがたいことだ。

一方で、最近、今大事にしたいと思っていること以外はなかなか腰が上がらなくなった。以前は「必要としてくれるなら」「できることは何でも手伝おう」と思っていたが、今はそれこそ「どんなにお金を積まれても…」という感じだ。(実際にお金を積まれたことがないから、実際のところは分からないが、心情としては、である)しかもそれが「信条に合わない」とか言うレベルのことではなく「なんかちょっと違うなあ」というくらいのことなのだ。ただ、厳密に言うと、表面的な物事そのものやその進め方が合わないというのではなく、その根底にある考え方や、もっと言えば、結局は根っこにある信条のようなものが違うと感じたときなのだと書きながら気づく。なるほど、今自分が感じる「ちょっと違う」は、結局のところ「全然違う」なのだ。

今までは人間関係や、それこそ「仕事だから」ということを優先してきたが、そこの重要度は大きく下がっている。というかむしろそういう理由で取り組むこと自体が自分が大事にしている活動の質を下げてしまうのではと思うくらいだ。以前ならそういう人のことを偏屈だと思ったろうし、何かとても自己中心的に感じて批判の目を向けることもあっただろう。しかし今思えばそれは、そのことで「自分の思っていることが叶えられない」という不満の気持ちから向けられたものであったように思う。

そんな心境の変化に伴ってか、自分が意図してというのもあるが、最近は文章を書くときに言い切る表現を増やしているというのも起こっている変化だ。これも以前は「物事を言い切る人は押し付けがましい」とまで思っていた。これも今思えば言い切ることを避けることで、対立が起きることも避けてきていたのだと思う。そもそも「『あわい』というのは何かと何かの間のあいまいなものを扱う取り組みなのだから」というところに逃げていたように思う。しかし今、「あわい」の意味も変わりつつある。一番新しい考えでは「あわい」とは「動的な境界」のことではないかと思っているのだが(これについてはまた別の機会で深めたい)、なんとなく「曖昧なものだから」とごまかすのではなく、曖昧さと曖昧さを生み出すものにとことん向き合い、その上で、「動的にしか捉えられないもの」を見つけたいと思っている。これは例えば数学上の空集合のように、結局のところ実態を持たないものかもしれない。「ない」と言ってしまえばそれまでなのだが、そこに「空集合」としっかりと名前をつけた根底には考え抜かれた何かがあるのではないかと思う。理論上、空集合は全体集合の中に「ある」ということになっている。捉えられないものに向き合い続けながらもそこに何らかの名前をつける勇気を私も持っていきたいと思っている。満月を過ぎ、新しい月が始まるとともに、自分の中に何か変化が起きつつあることを感じている。2019.7.19 Fri 22:25 Den Haag


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