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61 生態調査

 長らく絶滅が危惧されているマルバツキセセリについて、レッドリスト更新に際して県から調査を依頼された。とはいえ素人集団。過去に報告のある生息地に近いからとの理由で集落の暇人が集められた次第である。

 県からは一人の鱗翅目学者、要するに蝶々の先生が差向けられて、指示を仰ぐようにとのことだったが、ひと月前の台風で崩れて応急処置を施した集落への道が、三日前の地震による土砂崩れでまたふさがれ、現地までたどり着くのは難しいということだった。

 そこで仕方なしに、全くの見切り発車で調査が始まった。蝶々の先生を寄越すからには、その何とか言う生き物もまた蝶々なのだろう。そして絶滅が危惧されているからには、珍しいのだろう。どなたか、この辺りで珍しい蝶々を見たという人はいないでしょうか。と、話題が向けられると、

「このあいだ軒先で、黒くて大きな蝶を見ました」

「白や黄色のものなら畑でよく見ますが」

「小さくて青いものもたまに見ますね」

 とめいめい勝手に蝶の目撃談を述べ始めてらちが開かない。

 ともあれ対象の姿形がわからぬことには話になるまい、ということで慣れない携帯端末で検索などしてみるのだがそれらしい情報が出てこない。息子の息子が虫好きだという調査隊の一人が電話を掛けてみるのだが、取り込み中のようで繋がらない。もしかしてと思って、今回のボランティアを募った県の書類を引っ張り出してみたところ、それらしい画像が載っているわけでもない。こうなれば、残された手がかりは蝶の名前くらいのものだった。

 マルバツキセセリ。

「マルバというからには、翅が丸いのでしょう」

「それで、月の模様があるのかもしれません」

「今調べたところによると、セセリチョウという種類がいるらしいですね、せわしなく飛び回ることがその名の由来、とのことです」

 なるほど、と話がまとまりかけたところで、一人が言った。

「少しお待ちを。マルバ・ツキ・セセリではなく、マルバツ・キ・セセリ、ということもありうるのでは。あくまでも可能性の一つですが、写真などない以上、考慮が必要かと」

「なるほど、確かに。先入観をもっていては見つかるものも見つかりませんからね」

「そうなると、マルバツ・キ・セセリというのは、翅に〇×模様のある、全体に黄色い蝶、といったところでしょうか」

 これを皮切りに、議論は発展していった。

「せせるという言葉には、例えば『歯をせせる』などと言うように、ほじくる、という意味もあるようです。そうなると、何かをほじくるような生態があるのかもしれません。オケラは土をほじくりますし、カミキリムシは木をほじくって穴をあけます」

「虫が刺すのも『せせる』と言うことがあるようです。ということは、ハチのような刺す虫の可能性もあります。気を付けたほうがいいですね」

 さて、では調査に向かいますか。と、まとまりかけたところで先の一人が言った。

「そもそもセセリというのが正しいのか、敢えて疑問してみましょう。蝶々の先生が来られる予定でしたのでわれわれもまた勝手にそれを蝶々だと思っていますが、そうでなかった場合、まったく見当違いの調査を行うことになってしまいます。少々気になっていたのですが、セセリをさらに分解しまして、セ・セリと区切るとどうでしょう、植物のセリの仲間と、取れなくもないのでは」

 この意見を皮切りに、さらに念を入れて単語の区切り位置を変え、意味の通るような名称を探った結果、それぞれ異なる特徴を持つ生物が合計五〇種類、想定された。

「ちょうどここには五人いますので、各々に一〇種ずつ割り当てまして、これを見当にして探していきましょう」

 と、いよいよ話がまとまったところで五人の調査隊は現場へ向かった。住む者のいなくなって以来、今ではほとんど人の利用しなくなった山道をしばらく登り、やがて雪でつぶれた家屋の目立つ旧集落跡で車を止める。階段状の休耕田には草木が生い茂り、いかにも何かがひそんでいそうな雰囲気がある。藪を分け、ぬかるみを踏み越え、林に分け入り、廃屋にも分け入り、そうして探していくと、やがてそこここで声が挙がった。

「いましたよ、見つけました」

「こちらも見つけましたよ」

「恐らくそれらしきものを見つけましたが、今持っていきます」

「多分これだと思います、探せば見つかるものですね」

「ようやく見つけました、こんなものがいたなんて」

 めいめいが虫かごやら袋やらを持ち寄って車に乗り込み、ふたたび集落の寄合所へ戻って収穫物を披露した。月の模様のある蝶、ケラ、カミキリムシ、ハチ、セリ。〇×の模様のある蝶、ケラ、カミキリムシ、ハチ、セリ。そして得体のしれないネズミ大の動物、腕が五本ある毛むくじゃらの動物、粘液に覆われた巨大な芋虫、葦のように長いナナフシ、触覚の先端が蟻とそっくりの形状をしたキリギリス、等々――五〇種類が長卓に並ぶ。

「皆さん、どう思いますか」

「ええ、穏当に考えると、このなかのどれか一つが、正解なのでしょうけれど」

「しかしまあ、われわれとしては想定通りのものが残らず見つかりましたね。全部正解と言いたくもなりますが」

「そうはいかないでしょうね、いくらなんでも」

「もしかしてわれわれは、考えすぎたのかもしれないですね」

 と、皆がひとしきり感想を述べると、得体のしれないネズミ大の生き物が虫かごの壁面を登ろうとしているのか、カサカサした音が響いた。

「いずれにしましても、対象は絶滅が危惧されているのですから、このままこうして虫かごや袋に入れっぱなしにしておくわけにもいきません。件の先生の到着を待つにしてもいつになるかわかりませんし、どうでしょう。もといたところへ逃がしてやるよりほかにないと思いますが」

 と、調査隊の一人の意見に皆が首肯し、ふたたび車へ乗り込み生息地へ向かうと、採取した生き物を元通りの場所へ戻した。

 それから半月ほど経って、不通となっていた道がどうにか復旧し、県で雇った鱗翅目学者がいよいよ集落を訪れた。当初結成された調査隊のメンバーは何かと理由を付けて参加を辞退したので、学者はそのままタクシーで例の生息地へ向かったのだが、誰の手を借りるまでもなく簡単にお目当ての生物を見つけたのだった。

 数日後、「幻の蝶、マルバツキセセリ発見」の見だしで掲載された地元紙の記事を見ると、月の模様も、〇×の模様もない、どこにでもいそうな、これといって特徴のない蝶の写真が掲載されていた。

 それ以来、特に申し合わせたわけではないものの、調査隊の誰もあの時の出来事を話題に出すことはなかった。

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