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下ネタ松竹梅

うなぎが食べたいと考えていたのだ。
そこでふと思った。
うな重の松竹梅のように、下ネタにも松竹梅があるべきなのではないか。

こういった類のネタは、白と黒のギリギリのラインを攻めるのが一番面白い。
最高なものはいつもギリギリのラインに存在するのだ。
しかし下ネタっちゅーもんはもう少し複雑なのだ。
ネタになる下は基本的に隠されているべきなのである。
陰部という言葉があるが、格好の下のネタである陰部は隠さねばならぬのだ。

西洋の昔の絵画などでは、裸婦が描かれていることがある。
随分ラフに裸婦を出したもんだなと思うのだが、
そこから性的な興奮を得ることはない。
少なくとも私は。

ヌーディッストビーチなるものもある。
あれは大丈夫なのだろうか。
行ったことがないのでわからないのだが、
大抵の男性は陰部を手で隠さないといられないのではないかと思う。

混浴なる日本文化もある。
そもそも男性と女性が別々に風呂に入るようになったのはなぜだ。
事件性があるからだろうか。
それとも陰部が爆発して温泉どころではないからだろうか。

ありのままの人間は裸なのであり、
服を着て陰部を隠すということは人間が作った文明によるものだ。
神が創造した肉体以上に美しいものはない。
そのためそれを絵に描くということは芸術家の本能的な反応だったのではないか。

下ネタとは「美しさ」や「ありのままの姿」をネタにしたものではなく、
人間が作り出した文明による「陰」や「恥」を明らかにすることで、
人々が普段口にしないようなヤバいことを公然と発言することなのだ。
人々はその発言にユーモアを見出し、恥じらいながらも笑気を覚える。

ギリギリであればあるほど恥ずかしさと笑いがこみ上げてくるわけだが、
そのボーダーラインは非常に複雑でセンシティブだ。
男女関係で考えてみる。
下ネタが通じる異性と通じない異性はいないだろうか。
さらに細分化すれば、下ネタ自体に拒絶反応を覚える異性もいれば、
下ネタなんでもござれな異性もいる。
つまりきっぱりとした線で別れているわけではなく、
ゾーニングされているようなイメージだと私は思う。

相手のボーダーラインを理解できず下ネタを暴発することで起きる事件。
これがセクハラ事件である。

この下ネタはセクハラか否か。
この下ネタは盛り上がるのか引かれるのか。
明確な軸を持つことはとても難しいように感じる。

これは現代の人類の大問題であり、早急に解決しなければならない事案なのだ。
そこで私は、下ネタに評価基準を設けようと思ったわけである。

下ネタを投稿する側と下ネタを評価する側に分かれたプラットフォームを作る。
どちらも匿名であるが、年齢や職業などの属性情報は会員登録の際に必要となる。
投稿側は普段言えないような下ネタをいつでも投稿できる。
評価側はその下ネタを「松・竹・梅」で評価する。
笑えるか笑えないか、恥じらいを感じるかを基準とする。
投稿と評価のデータをAIで分析することで、評価軸を確立するのだ。

それはつまりこういうことを意味する。
30代の男性が20代の女性に言う下ネタのボーダーラインがわかるようになる。
これだけでもかなりの数のセクハラ発言が世の中から無くなるはずだ。
そして人類は今までよりももっと上手に下ネタを繰り出せるようになる。
とても楽しい世の中の出来上がりだ。

挑戦者も現れるだろう。
アウトとされている下ネタをあえて使うという勇者である。
それがもし受け入れられたとしたら、それはお似合いカップルの誕生でしょうね。

うな重(松)を食べながら下ネタ(松)の話をしたらどんなに楽しいだろう。

ちなみに下ネタを英語で言うと、Dirty jokesである。
つまり下品なジョークということだ。
ということは下ネタに松竹梅などないことになる。
なぜ始めにこれを調べなかったのだろうか。
私が今まで書いてきたこの大作はこの一言で覆されるのだ。

でもいいんです、思想は残りますから。

Shit!!

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