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人と比較してしまう私のコペルニクス的転回

もう3月も終わり。卒業と入学、入社の季節です。梅も桜も綺麗に色付き、穏やかな門出と、新生活の始まりを迎える人たちを目にする機会も増えました。

インスタで同級生だった人たちが、袴を着て友達と笑顔で写っている写真を載せているとお祝いの気持ちよりもいいな〜という少し羨ましい気持ちが先に来てしまいます。

私は変に負けず嫌いで、比べることでしか人を見ることができませんでした。自分はそういう見方しかできないと人間なんだと思っていました。それが自分が上でも、相手が上でも。

ただ、最近、人と比べることについて吹っ切れた気持ちがあります。

私の尊敬する夏生さえりさんのインスタでの質問の答えにとっても納得できたからです。

「人と比べてしまいがちで、他人の幸せに出逢ったときどう考えていますか」という質問に対して、「タイミングも転換期もなにもかも人それぞれだから点で比べても仕方ない」と答えていたんです。

そっか~と妙に腑に落ちたことを覚えています。

正直、今まで人と比べて焦っていた時、周りからは人は人、あなたはあなた、とか、捉え方次第だよ、とか、一生懸命やってればいいことあるよ、みたいなことはさんざん、それこそ耳にタコができるくらい聞いてきました。

でもそれって、人と私は違うってじゃあ私にはいつ来るの?とか、考え方変えれば嬉しかったり楽しい気持ちになるってこと?とか、私の行動次第なの?とか、なかなか納得できなかったんです。

それが、さえりさんの言葉を読んで、比べているのが点だったから、私はその一つの点を見て羨ましがっていたのかとショックを受けるほどの衝撃を受けました。

幼稚園の頃から、同じ年に生まれた子たちと一緒に入学して、卒業して、今も同級生が一斉に卒業して社会人になる。

私たちは小さいころから、同年代の人たちと一緒に成長の階段を上ることでその場その場での比較を無意識にしてしまっていたのです。生まれたときでさえタイミングはみんな違ったはずなのに。

入学、就活、卒業はみんな同じ時期に行われることが多くても、自分の幸せや、動くタイミング、思い立つ瞬間。きっとみんな一つの人生という線の上ではバラバラなのです。

そう思ったら、その瞬間の人に対して、比較しても自分とは違うから比較の対象にはなりえないよなと今までとまるで180度異なる考え方を自然に受け入れることができました。

すごく素敵な考えのおすそ分け、ありがとうございました。

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