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父の夢

たまに、父の夢を見る。

私は、ものすごく悲しくて、ものすごく怒っていて、その感情を爆発させて、怒鳴っているのに、
なぜか伝えたいことが、ほとんど伝わってないように感じる。
それで、より一層大きな声で、叫んで、泣いて、なんでわかってくれないのよ!!!!
と、言葉にした瞬間に、泣きながら目が覚める。

いつも、必ず、このパターンだ。

父とは、幼い頃ほんとに仲が良かった。
ずーっとそんな風にいられると信じていたけど、
毎度書いてるように、そうではなくなって、しばらく経つ。
許したり、許さなかったり、甘えたり、お世話になったり、と。
親子としての関係は続いてるから、
その間は、それなりにコミュニケーションが生まれるけど、
いつもどこかで、ひずみが生じて、
こんなにも、わかり合いたいのに、分かり合えないなぁと、人知れず泣く。


私には、大切な人が周りにたくさんいて、
多くの人が、私のことを理解しようとしてくれたり、受け入れようとしてくれる。

こんな年齢になったんだ、父親と分かり合えないことは、もう、本当は、取るに足らないことなのではないか?と。
忘れちゃいなよ、私。と。
言い聞かせて、納得して、そうだよなぁなんて思ってる矢先に、
冒頭の夢を見る。

何も納得なんてしていないのだ。



昨年、体調を壊し、入院した時に、
本当に何もすることがなかったから、ぼんやりと家族のことを考えて、感じたままノートにそれを綴った。

母や夫、子に対しては、感謝の気持ちがあふれるのに、
父親に関しては、
むかつく、とか、許せないとか、そーゆー類のことが浮かび、書き連ね、なぜそう思うのか?と自分に問うたところ、
“もっと話したかったのに。”
という、本音がポロリとでてきて、自分でも驚いた。
あぁ!もっと、普通の、親子の会話を楽しみたかったよなぁ!と。
それは、
お父さん、あれが美味しいよ、とか。
あのテレビみた?とか。
ラジオでこんなゲストがきたよ、とか。

そんな、どうでも良い普通の会話だ。


小学生みたいな願いを、いまだに持ち続けていて、馬鹿みたいだなぁ、と恥ずかしい気持ちになるけれど、
この気持ちを解消しないわけには、
きっと、あの悪夢から逃れることはできないだろうなと思う。

生きてるんだし、今からでもできるじゃん!
と、思う?
多分できないんだよなぁ。そんなに簡単なことじゃない気がしている。
こういうのって、みんな言葉にしないだけで、
それぞれの家族に、それぞれの形の、こういうシコリってあるものなのかもしれないよね。


シコリがシコリのままでいると、辛くなるので、
父親について綴ったノートの最後に、
“来世で会えたら、たくさん話しましょう。”
と、書いて締めくくった。

そう書くことで、とりあえず、気持ちがスッと落ち着いた。

こうやって、自分をちょっとずつ納得させたり、
やっぱり納得できないやってことを実感しながら、
程よい距離でこれからも歩くのだろう。

トライアンドエラーは、仕事においてだけではなく、家族の間柄でも起こりうることらしい。


家族って、愛しいからこそ難しい。


さて、今日は夫と次女が、お散歩に出かけ、2人で髪を切りに行き、ニコニコしながら帰宅した。
2人ともボサボサだった髪型が、綺麗さっぱりして、とても良い日曜日だった。

30年後も、夫と娘たちにはニコニコしていてほしいなと思う。
これから先、色んなことがあると思うけど、
できるだけ、その時々で、問題を解決して、
おじいさんになった夫と、おばさんになった娘たちは、仲良くいてほしい。

私もだ。
私もその中に参加して、思い切り笑おう。
その頃には悪夢から解放されて、父のことも笑って話せるようになっていれば良いなと思う。

時間をかけて、紡いでいく。
そうやって、生きていくのだ。

………

追伸
数ヶ月前に書いたものです。
私は今、イカリングをたくさん食べてとても元気です。

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