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わたしが新卒でPR会社へ入社してよかったと思うこと(※約10年前の話です)

お仕事遍歴

私はこれまで新卒でPR会社→公社→民間企業(現職)と3社の社歴があり、約12年間さまざまなブランディング業務に携わってきました。私はどの会社も、定年まで勤めあげよう(笑)というつもりで入社しました。でも、そんな私を時代や環境がどんどん追い抜いていって、そこに長くいることが自分にとって良いとは思えなくなり、転職しています。そうしたキャリアの中でも、自身の職業観のベースとなっているのは、やはり新卒で入社した会社です。春から就活が始まりPR業界を目指される方、PR会社へ転職しようと考えている方など、いらっしゃると思います。あくまで私個人の感想ですが、なにかヒトカケラでも参考になればと思います。

そもそもPR会社って?

PR(ピーアール)」という言葉自体は、みなさん一度は耳にしたことがあると思います。PRという言葉はそもそも「Public Relations」の略で、公益社団法人日本パブリックリレーションズ協会によると「組織とその組織を取り巻く人間(個人・集団)との望ましい関係を創り出すための考え方および行動のあり方である。」と定義されています。日本語で平たく言うと「広報」といっていることとほぼイコールです。それらをクライアント企業に代わって実施したり、コンサルテーションするのがPR会社の業務ということになります。いまはPR会社といってもひとことでは表せないくらい多岐にわたる業務を請け負っている会社が多いと思いますが、ここでお話するのは、まだSNSがこんなにも普及していない約10年ほど前(twitterが立ち上がったくらいの頃)に、報道機関を通した広報活動をメインに受託するPR会社で経験したことになります。主に、プレスリリース、記者発表会、プレスキャラバンなど記者とのコミュニケ―ションを通して、企業の商品やサービス・CSR活動・ブランディング活動の認知拡大をサポートするお仕事になります。その成果は、新聞でいうところの「記事欄」(下段の広告枠ではなく)、テレビでいうところの「情報番組」や「ニュース」(CMではなく)に取り上げられる、つまりメディアでの露出を獲得するということになります。※広告枠やCMを扱っているのは、広告代理店

そこは「正確に伝えることがいかに難しいか」を学ぶ場所

私は人に何かを伝える仕事がしたいと思って、PR会社へ入社しました。でも、正確に人に物事を伝えることって本当に難しいんです。入社研修では、PR手法をどんどん教えられるのかと思っていたのですが、まずはいかに相手に伝えたいことが正確に伝わらないかを徹底的に叩き込まれました。PR会社では、自分が伝えたいことではなく、クライアントが伝えたいことを、いかに効率的に第三者であるメディアを通してターゲットに届けるかということを、最終的にはできなければなりません。実はかなり高度なコミュニケーション力が必要なんですね。そのため、まずはひとりの人間が情報を発信するときに大前提として身に着けておくべきDo&Don'ts を、PRのhow to の前に学びます。この経験があったから、物事を伝える前に、まずは相手にとって自分が信頼に足る人物に映るにはどう振る舞うべきか、信頼関係が構築できた後にはどんなに難しい物事でも、相手が小学校高学年だと思って、いかに分かりやすく伝えられているかということを常に繰り返すようになりました。このことが、これまで約12年間のブランディング業務の中で活かされなかった日はなかったと思います。それくらい素晴らしいことを教えてもらえた場所ですし、キャリアのスタートでそうしたマインドセットを体得できたことは、本当にラッキーだったなと思います。

PR会社から●●への転職

PR会社に入社した当初、同期社員は十数名いましたが、いまもその会社に在籍しているのは1割以下のメンバーです。PR・広報という職種は、ほかの職種と比較して人材の流動が比較的激しいため、入社して3年で5割が、5年もたてば7割が転職してきます。同期は、広告代理店、球団広報、外資系金融機関広報、メーカー広報、はたまた公務員へ転身したりと多種多様なキャリアを歩んでいます。かくゆうわたしは、自分の好きなことのPRに携わりたいという思いから、2社目はアロマテラピー関係の広報・宣伝、現職3社目はデザイン&アートを通した街のブランディングに携わっています。

PRの知識だけでは効果的な広報戦略は作れない

こんなことを言っては元も子もないかもしれませんが。。。わたしが、2社目で初めてインハウスの広報を経験して痛感したことは、PR会社時代にクライアントの言っていることを、いかに実感を持って理解できていなかったかということです。外部から、しかもPRの知識しかない人間がコンサルテーションするというのは、いま思えばアウトプットのクオリティが少々お粗末だったなと反省せざるを得ません。もちろん、広報・PR街道まっしぐら、そこを極めていきます!という方もいらっしゃると思いますし、それももちろん素晴らしいことだと思います。ただ、私の場合は、2社目で広報に加えて宣伝含めた幅広いブランディング業務に携わって初めてその中で広報・PR戦略がどうあるべきかを明確に自分自身で示すことができるようになったなと感じています。なので、広報・PRで力を発揮したいのであればその周辺領域も含めた知識や経験を得ていくことが、ポイントだと思います。

There are always two sides to a coin.

物事にはコインの表裏のように、良い面と悪い面が必ずあります。上記では良かったことを中心にお話していますが、もちろん良くないこともありました。10年以上前の話なので、今は当然事情が異なるとは思いますが、当時はサービス残業は当たり前、あらゆるハラスメントは存在するし、新卒を0から育てるという環境は、わたしがいた場所にはありませんでした。PR会社だけでなく、どんな会社に入るときもそうですが、そういったネガティブな面もある程度知った上で、それでも自分がそこで働くか意志があるかどうかを冷静に見極められるといいですね。新卒の就職活動は、学生という限りなく自分のことだけに集中でき、エネルギーも多いにある状況下なのではないかと思います。(ご自身で経済的に自立されている方などは除いて)社会人になると、常に誰かの指示に従い、慣れない環境で週5日、好きでもない相手に気を配りながら1日7時間以上を過ごすことになります。これは、想像以上に大変なことで、そうした中でも本当に自分の力が最大限発揮できそうか、自分がなにを目的に生きていきたいのかよくよく考えてみてください。こんなに自分の人生のこと、自分のことを自問自答するのは、そんなにないことだと思うので、いい機会だと思って前向きに。

行かなかった道

アメリカの著名な詩人ロバート・フロストは、人生のターニングポイントについて、下記のように詩に表現しています。要約すると、“分かれ道があったとき、誰も踏み入らなかった方の道を選んだ、そしてその選択が自分の人生を大きく変えた。”きっとロバートはこの詩を通して、「勇気を出して、みんなが行かない方に行ってみなよ、そしたらきっと見たこともないすばらしい景色が待ってるよ。」ということが伝えたかったのだと思います。とてもアメリカ人らしい進取の精神を称えるはなむけのメッセージだと思います。ただ、わたし自身は、行かなかった道を選んだ方が良かったかもしれないと思うことは、いまだにあります(笑)。新卒で大手企業に入社していれば、待遇や人材育成環境も整った企業風土で、何度も転職する必要はなく、組織の一員として、着実にステップアップしていたのかなとも思います。一方で、本当にロバートの言う通り、私が選んだPR会社から始まったキャリアは、他の人が得難い経験がたくさんできているのも事実です。人生において、これが正しかったとか、これでよかったと思えるタイミングというのは、人によって違うと思いますが、どんな道を選んでも後悔しないように、つきなみだけど一日一日を大切に過ごすことが大事なことなのかもしれないなと思います。みなさんに、素晴らしいお仕事との出会いが待っていますように。


行かなかった道 /ロバート・フロスト

黄色く染まった森の中で 道が二つに分かれていた
残念だが二つ道を行くことはできなかった
長い間立ち止まって
私は一方の道を眺めていた
下生えの中 曲がっている道を
どこまで続くかできるだけ遠くまで

それからもう一方の道を眺めた
同じくらい美しかった
こちらのほうが私の心を捉えた
なぜならそれは草に覆われ踏み均されていない道だったからだ
私がそこを通れば踏み均されてしまうわけだけど

二つの道は 同じ様に私の前に横たわっていた
誰の足跡もないままに こんな風に考えていても もう同じ場所には戻って来ないだろうことも知っていた

溜め息とともに これだけは言える
遠い遠い未来のどこかで
森の中 道は二手に分かれている
そして私は、、、
そして私は 誰彼もが選ばない道を選んできたのだ
そのことが どれだけ大きく私の人生を変えたことかと


THE ROAD NOT TAKEN / Robert Frost

Two roads diverged in yellow wood,
And sorry I could not travel both
And be one traveler, long I stood
And looked down one as far as I could
To where it bent in the undergrowth;

Then took the other, as just as fair,
And having perhaps the better claim,
Because it was grassy and wanted wear;
Though as for that, the passing there
Had worn them really about the same,

And both that morning equally lay
In leaves no step had trodden black.
Oh, I kept the first for another day!
Yet knowing how way leads on to way,
I doubted if I should ever come back.

I shall be telling this with a sigh
Somewhere ages and ages hence;
Two roads diverged in a wood, and I ---
I took the one less traveled by,
And that has made all the difference.


執筆者: 谷 綾花/Ayaka Tani (ライター)
PR会社などで多岐にわたるブランドマネジメント業務を経験。会社員として企業のブランドマネジメントに携わりながら、ライター・編集としても活動中。書くことを通して、書籍・映像・音楽など形に残る作品製作に携われたらと思いnoteをはじめました。 [Instagram]atnf428

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