L.v. ベートーヴェンの足跡を追って・・ウィーン市内の居住場所とゆかりの地 ① (1792〜1795)
ベートーヴェンは引っ越し魔と言われたほど頻繁に引っ越し、その数67回ともそれ以上とも言われています。
今、私が住んでいるアバートのすぐ近所にも、ベートーヴェンが住んでいたアパートの場所や、頻繁に通っていた場所・ゆかりの地が幾つもあります。
歴史は調べれば調べるほど複雑で・・
当時の住所が変わっていたり、消滅していたり・・・また建物の壁にレリーフがある場合でも、その情報が確かでない説もあります。
250年以上も前のことなので当然かもしれません。
彼は、アパートを借りながら一時的に移動したり他の場所に滞在したり、夏にはよく保養地に滞在していましたし、移住先を順番に特定することは困難でした。
専門的な歴史研究に深入りするのではなく、散策する感覚でざっくりと探求していきたいと考えています。不明確な部分も含めて、記述していきます。
1770年 ドイツのボンで生まれたベートーヴェンは 1792年 22歳の時から死ぬまで 35年間ウィーンに住みます。
それ以前(17歳の時)にウィーン に来てモーツアルトに出会い、弟子になるべく移住する事を試みますが、不運にもドイツに居る父親の不幸と、その後のモーツアルトの死が重なり、結局 1792年ハイドンに師事するため再びウィーンを訪れて移住します。
1792 (11月) 〜 1794
Alser Straße 30/9, 1190 Wien
9区 アルザー通り30番地, 建物には文字のリリーフあり
(45 番地という説もあります)
Karl Lichnowsky カール・リヒノフスキー公爵邸
ウィーンで最初に住んだ場所です。
当時の建物がどの様だったのかはわかりませんが、当時ここの建物はリヒノフスキー公爵が所持し、住んでいたとされています。
ここでは、毎週の様に頻繁にサロンコンサート(プライベート)が開かれており、ベートーヴェンも自身の初演をしたり、即興演奏を披露しました。
また、ここで作曲した曲 、ピアノ三重奏Op.1 はリヒノフスキー公爵に献呈しました。
1795
Löwelstrasse 6, 1010 Wien, Palais Montenuovo
1区 レーヴェル通り6番地 モンテヌーヴォ宮殿
ここの2階に住んでいました。
1795年には、オグリウィ家 Graf Oglivi の(カール・ヘルマンKarl Hermann 伯爵オグリウィにちなんで名付けられた)Graf Oglivi 家として言及されています。
この建物に関する情報は残念ながらほとんど残っていません。1566年にはこの家はベーシング伯爵夫人の所有でした。その後、何度か所有者が変わり、ほとんどが異なる伯爵夫人や伯爵によるものでした。
後に、19世紀後半にモンテヌオーヴォ侯爵夫人がこの邸宅を購入し、現在の名前に至ります。
Redoutensaal レドゥーテンザール 大ホール / 小ホール
1区 ホーフブルク ヨーゼフ広場
バロック様式の祝祭ホール 、1699年に設立、大広間に設置された
宮廷劇場、観客席には皇帝の特等席があります。
当時はよくこの大ホールや小ホールで演奏会や舞踏会などが開かれてい
た様です。
・・ 雑談
当時火災が起きた時、私は既にウィーン留学しておりニュースで毎日放映されていたのを記憶しています。
まだネットの無い頃ですので、公の情報はテレビか新聞が常でした。
私はウィーンに留学して直ぐに、中古の白黒テレビを指揮者の佐渡さんからお譲り頂き、このニュースをみていました。
当時のオーストリア国内での放送は、国営放送が2つのみ。
つまり、テレビで見られる放送は ORF 1 と ORF 2 、この2つのみでした。
主要はORF 1で、ニュース、国内の番組、国内・外の(古い)映画などでした。
ORF 2 に至ってはお昼からの放送で 、1 と同様にニュース、そして国内の番組などが放送されていましたが、あまり見ませんでした。
今日、Redoutensaal レドゥーテンホールは主に結婚式、プレセンテーションや会議などに使われている様です。
日本でのボランティア演奏活動に使わせていただきます。 宜しくお願い致します。