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あのとき死ななかったから生きている

高校2年生のとき学校に行けなくなった。

修学旅行で班を組んだ3人グループの中で、仲間外れにされたことがきっかけだった。

たしか小学校高学年くらいのときにも似た空気を感じて怖くなったことがあった。

「どうやら女子というものには何かルールがあるらしい。しかし私にはとうてい理解ができないルールである。それに気づかないでいると、なにやら粘着質なエネルギーを向けてくる女というのがいる。」


京都に行った修学旅行、

私が彼女の気に障った理由として大きく2つ(後々人づてに聞いた)。

①西日本ではエスカレーターに乗る際、右に寄らないといけないのを知らずに行動した

②洋服屋さんで、2人が勧めてくる服を買わなかった


①についてですが私の高校は東北地方にあります。田舎です。

彼女は私がいることで田舎っぺだと思われるのが嫌だったんでしょう。

なぜ普通に教えてくれなかったんでしょうか…

②については、なぜ立ち寄るすべてのお店で買い物しないといけないんでしょうか。ピンと来なければ買わないに決まっています。

ちなみにここからは言い訳になりますが、私の家は当時結構貧しく、高校生でもお小遣いをほとんどもらえていませんでした。2人は結構きれいなものを持っていましたので、おそらく買い物慣れしているんでしょうが、私は自分で買い物なんて本当に数えるほどしかしたことがありませんでした。

もっとばんばん買って空気をよくしないといけなかったのでしょうか。財布の事情も色々なのですが。


というわけで、友達とは到底言えない心の貧しい女に露骨に負のエネルギーを向けられ、意味も解らずショックで心が凍りついてしまいました。

そのため修学旅行の記憶がほとんどありません。

そしてそこから、思いっきり人が怖くなってしまいました。

私は友達というのは、バカ騒ぎしたり、楽しい思い出を作り続けることと、つらい時にそれとなく見守ってくれることが大事で、

そんな変な理由で機嫌を損ねる人がいるなんて到底理解ができませんでした。

私は子供のまま大きくなってしまい、

周囲はいつのまにか大人になっていたということかもしれません。

わたしは、そうやっていつのまにか「大人のルール」「暗黙のルール」というものが出来ていくことが理解できずにいました。

そして何より怖いと思いました。

周囲のすべての人がそうやって思っているのかも知れないと思いました。


それから半年間、

自殺しようと思いながらなかなか実行できず、一応生きていました。


今でも、

あの時ちゃんと死んでおくべきだったと思うときがあるし、

逆に、死ななくて良かったと思うときもあります。


いったん死ぬことをやめた時は今でも覚えています。

高3のお盆でした。

おばあちゃん家で仏様に手を合わせたときです。

「いったんやめよう。生きよう。」

と感じそう決めたのです。


実際、逆立ちしても大人になれない私は、

そのあとの方がもっと色々大変な目に合うことになるので良かったかどうか解らないのですが、

「生きよう。」と決めたから生きている。ということだけ、わかっているのです。




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