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37才になった今でもお母さんがほしい。

大人になり、自分が子を持ち母となった今でも、お母さんが欲しい。


2020年夏、ガラガラの新幹線に娘(3才)と飛び乗り、実家に帰った。肺に持病を持つ父が結構弱ってきていると妹からLINEで知らされ、ここで行かなければ後で後悔すると思い、検査を受け、7ヶ月ぶりに東京都から他県をまたぐ長距離移動をして、兵庫県に帰った。同じタイミングで妹も大阪から来てくれることとなり、久しぶりの一家団欒となった。


実家に帰ると「お昼ごはんには何を食べるー?」という話に必ずなる。そこで妹(33才)が必ずリクエストするのはおにぎり。母が手に塩をかけ、熱々の白ごはんを素手で握ったやつである。もちろん私もいただく。シンプルな塩と米の味がして、やはり美味しいし、落ち着く。母は文句も言わず、30代の大きな娘たちのために、手結びでおにぎりを作ってくれる。(たまに面倒だからやだと言われるけど)


私が3才の娘にごはんを食べさせる際、食器や食べ物を一時的に出しっ放しであることが多く(娘に食べさせることのほうを片付けより優先するため)、自宅では自分が片付けなければ、それらは娘が食べ終わるまで置きっぱなしになるのだが、実家では母により片付けられている。


公園に行く時にも、自宅では自分が娘やみんなのための持ち物(ウェットティッシュやビニールシート等)を用意しないといつまで経っても準備ができないが、実家だと私が娘の支度をしている間に母が適切な持ち物を自分で考えて用意し、かばんに詰め終わっている。


母になると、自分のことは後回し、常に子ども最優先ですべてのことが行われる。誰かに子どもの世話やごはん作り、片付けをお願いするとサービスを受けるためのお金がかかる。

誰かが自分たちのために見返りを求めず何かをしてくれる、Giveであり愛がこんなにもありがたいことなのか。子ども時代は親が自身のリソースすべてを子どもに注いでくれていることの尊さに全く気づかず、当たり前のように受け取っていた。大人になって、かつ自身が母になって初めて気づけた。東京の自宅でやっぱりお母さんがほしい。

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