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芸術は、いったい何の役に立つのさ?①

 ある工業高校にいた時の授業で、印象的な出来事があった。

 その工業高校では、1年生から工業の授業がどんどん入ってくるので、芸術は1年生でやり、本当は1年生でやるべき家庭科を2年生でやる。
 ある美術の時間に、
「来年は美術の授業は無いから、今のうちに頑張って絵を描いておきなさい!」と言ったら、
「え~、来年、美術ないの~!!!」と残念がる子と
「やった~!」と喜ぶものもいて、
「じゃ、来年は、この時間、何になるの?」
と言う質問に、
「家庭科がはいってくるね!」と答えると、
「え~っ!つまんね~」「やだ~」の声が上がった。

 この学校は工業高校で、生徒はほとんどが男子。そして、高校3年間をすごすと、黙って、すぐ就職していく。
 こんな、可愛くて、働き者の男子が、こんなところにいたか!という驚きを持って受け止めた学校である。勉強はあんまり好きじゃないみたいだけど、1日が掃除ボランティアの日とか、超、張り切って掃除している。
 窓ふきとか、生き生きを身を乗り出して、その様子と言ったら、本当に可愛い人々だと思う。いくら青森県だとは言え、そんなかわいい子供たちがいるとは、思わなかった。十和田市、凄い(⋈◍>◡<◍)。✧♡!
 きっと彼らは、働くことがスキで、掃除とかさぼるとかそういうこと考えないタイプの少年たち。

 そんな学校ではあるが、さっきの会話は、中でもやんちゃな少年が集まった機械エネルギー科の授業中。

 私は、家庭科を擁護するために発言した。
「何言ってんの!
 君たちは、高校を卒業したら、すぐ、就職して独り暮らしが始まる。
 掃除洗濯、料理、君たちにとって家庭科は一番大事な教科で、
 一番、君たちの役に立つ教科でしょ!」

 すると、ある少年が、すかさず、こう言った。

「じゃ、先生、芸術はいったい、なんの役に立つのさ?」

 それを聴いて私は、ぐうううううううと答えに詰まった。
 芸術の素晴らしさを、芸術を解する大人たちと認め合うのは簡単だけど、突然の授業中、騒然としたクラスで、このやんちゃな少年を説き伏せることが、自分には難しい!と咄嗟に判断したのだ。

「ごめん、この答えは、ちょっと待って。
 先生に宿題として家に持ち帰らせて!」

と、持ち帰ることにした。
 この日から、私は、この状況で、やんちゃな少年を説き伏せる芸術に対しての哲学を持っているだろうか?と考え始めたのだ。

 それから、出会う人ごとに聞いてみた。

「あなたなら、この状況で、このやんちゃな少年にどう答えますか?」

 いつもの居酒屋で出会うデザイナーとかいろんな人に聞いてみた。
 ほとんど記憶が無い笑。
 きっと、あんまり腑に落ちる答えは返ってこなかったのだ。

 その時に、十和田市現代美術館の企画で、アーチストと、十和田市の学校で働く教師が数名集まって、お茶会で、話をするというものがあった。

 その時に作品をそこに展示していた鴻池朋子さんというアーチスト。美術館のカフェ部分に飾っていた作品は、ボッティチェリの有名な絵と同じタイトルだけど、足だけの女の子?にナイフが集まる不穏な空気の絵だ。

現代美術館に展示していた鴻池さんの「プリマヴェーラ」

 思い切って、彼女に質問してみた。
 アーチストならどう答えるんだろうという興味があったのだ。状況も詳しく説明して、このやんちゃな少年にどう答えるか聞いてみた。

「芸術は・・・はっきり言って、何の役にも立ちません」

と彼女はきっぱり言った。
 聞いた途端、ぎょっとするような潔い答えだった。

「その少年の考えは、
 役に立つから、何かをやる。
 100円を入れたら、ジュースが出てくる、っていう貨幣経済の考え方です。でも、世の中には、おカネにならなくても素敵なことはいっぱいありませんか?老人に席をゆずるというようなこと。」

 さすがだなと思った。

 少年の質問の背後にある社会の考え方まで見抜いている。
 さすが、アーチストだと思う。
 アーチストや詩人が、戦争のきな臭さに気付いたりすることには意味があると思った。作品を作っているとそういうことに気が付いてしまうのだ。

誰かの本の表紙で見たことがある鴻池さんの絵

 しかし、あのやんちゃな少年がこの答えに「はいそうですか」と答えるかと言うとそうは思えない。
 私は私なりの彼らに答える答えを見つけなくては、と思った。(つづく)