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百年後に地球はあるのか?十年後人間は海で泳ぐことが出来るのか?

とある東南アジアの国の出張先で、乗ったタクシーが急に海岸付近に止まる。助手席に置いてあった大きなビニール袋と珈琲の缶を持って海へ向かうと手ぶらで戻ってきた。
「どうしたの?」
と聞くと、
「海がゴミを綺麗にしてくれるから捨ててきた」
と曇りのない表情で応える。
「えっ?海に捨てたゴミがどこに行くかわかってますか?」
と思わず聞き返すも、
「海が片付けてくれる。」
と彼は答えた。
…………
北国のとある田舎町の病院で働く友人の医師が言う。
「白血病の罹患率は1万人に数人のはず。しかし人口が1万人もいないこの町で僕は連日、白血病患者を発見し、治療をしています。
ここの魚介類、僕もたくさん食べましたが、1年で都会に戻りました。りりいちゃん、この町の海は、おかしいよ。」

前職の工場から大量の白濁水が流れ、魚が消えた。工場長は言う。
「問題がなかったのに、近隣住民の通報があったから一応伝えますが、異常はなかった。」と。
…………
近隣国のミサイルも、
東南アジアのとある国のゴミも、
日本の処理水も、
海はその全てを飲まされてきた。

汚染した時、人は口を揃えて言う。
生態系に影響はないと。
…………
何かを生み出すと、排水が生まれる。出来上がる人の欲を満たす製造品の後ろには、汚染がある。
生み出す以上は、汚染を片付ける能力が必須のはず。しかし汚染の浄化には充分に目を向けられない。

例え猛暑が進行しても、
異常気象が続いても、
季節外れの氷が降ってさえも、
人は欲望を満たす開発を止められない。

珊瑚の住む美しい海を守ろうと言うのなら、温暖化は止めなければならない。
ならば、
ペットボトルの使用は完全禁止、
排ガスを出す乗り物は全て停止。
ドアは自動で開く必要はなく、上の階へは階段で。

きっとそこまでしなければ、もう間に合わないだろう。
…………
海を見ると、家族と一緒に幼い頃、入ったなと思い出す。
美しい海底をシーウォークしたこと、カニを見つけて追いかけたり、水浴びしたこと。

今、海を見ると、「入っても大丈夫かな?」と心配になる。
医者の友人の言葉、
ゴミで溢れる海岸線の光景。
生き物が住まない白濁水。
それらが脳裏に浮かぶのだ。

猛暑や自然災害の度に心が痛む。きっと地球が怒っているのだろう。しかし、温暖化の進行を一挙に止めるための大きな働きかけをするすべは私にはない。
ただいつの日か欲望のままに行動をした人間には、当然の報いがくるのだろうと思う。
…………
百年後、地球はあるのか?
陸地はどれほど残っているのか?

生き物は海に入ることができるのか?

美しい海の中を潜ったり、海水浴を楽しんだ沢山の思い出があるばかりに、
ほんの十数年で汚染が進行してしまった海を見るとやるせない。
そして更にその数十年後には生き物が住めないのではないかと憂いる。

私の海への想いは哀しみ。
美しい海を未来に残すために、これ以上の開発を止めなければならないのを知りつつ、それを止められない人間の愚かさが哀しい。

とても嬉しいので、嬉しいことに使わせて下さい(^^)