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やってもらって当たり前はないということに気が付いた

役職が上とか下とか、勤続年数が長いか短いかとか、年齢がどうか、そういうことではない。
ただ、相手とともに仕事をしていく上で何が必要か。どっちが上下ではなく、共に成果をあげる仲間として、人付き合いをしていく。

結果として、自然に「ありがとう」「お願いします」との言葉が出るようになった。
そうすると、日常でも誰かの労力に対して、成果は関係なくありがとうと感じる。

美味しくない料理にも、
イマイチなお店の予約も、
割いてくれた時間へも、

全部、まずは有り難い。
………………
社会生活を送っていると、どうしても「相手が悪いのだから、見返りをもらって然るべき」や
親が偉いのだから、子は感謝すべきとの固定観念が生まれる。

結婚を許してあげたのだから、パートナーの親族を敬うべきで、パートナーの親族は、子どものパートナーにマウントをとる。
そうすると、話したくて会いに行っても「ありがとう」はなく、次の訪問日が決まる。

組織で生きていると、話の前に相手が誰であろうとまず、「貴重なお時間をいただきありがとうございます。」から入って当たり前。だから、慣れない要求だけの交流には心の門が尖ってしまう。よって、終始、防御壁で心を覆い、大切な本題は心に残らない。

礼儀と拘束に縛られる組織が嫌いだったはずなのに、いつの間にか組織で生きるための術で世渡りをしていた自分に驚く。
………………
もちろん、自営業やリタイアした人たちが全て要求のみを突きつける人とは言っていない。会社員でなくとも、会社員よりも優れた対応ができる人は多くいる。私の友人にも、思いやりの表現が敵わないと思うコミュニケーション能力を持っている人もいる。

私が伝えたいのは、儀礼というルールに縛られるのが苦手な私だからこそ、会社員で良かったということである。

半永久的に辞める選択肢が殆どない会社員であるがゆえに、そこにいる人たちと、どうにか付き合っていかなければならない。
会議で私の意見を自分の意見として主張する人、
自分の失敗を部下の失敗に置き換える人、
インフルの欠席を「そんなことくらいで」と一掃する人、
腸煮えくり返るときも、相手を切り捨てることは出来ない。どこかで手を打たなければならない立場だからこそ、相互にまずは「ありがとう」を伝える。一緒に成果をあげる仲間でいてくれることへの感謝だと思う。
………………
こうして長年、感謝を伝えて働くうちに、婚活で出会った人や友人との付き合いが明らかに変わった。これまでの私は、自分のエゴを押し付けて、何度も同じお願いを繰り返すことがあったが、今は適切な距離を保てる人間になったのだ。
他人に何も要求せず、ただ感謝を伝える。そんな人付き合いと人間関係をするようになっていた。
断りLINEにも「連絡ありがとう」、
遅刻LINEには、「気を付けて来てね」と言えるようになっていた。
他人に自分の「断わられて腹立つ」感情や、「また遅刻かよと」いう不快感を出すことはない。

他人に甘えないし、求めない結果、付かず離れずの程よい距離間でいられるようになったのだ。

それは、私が会社員に成ることが出来たからこその自分であろう。
……………
会社員になってよかったことは、人の労に感謝することが出来る人間になれたこと。それは相手の立場によらず、成果の有無にかかわらず、である。

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