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(相手の)気持ちが分からないストレスに対処法があるとすれば。舞台感想「とのまわり」

人は感情をぶつけ合う時、「言ってくれなきゃ分からない」ということがある。しかし、言葉にしないからこそ、ダイレクトに伝わってくることもある。

山田ジャパンの舞台は、取り返しのつかない選択や余命わずかの人生といったテーマを笑いのオブラートに包んでいる。会場は笑いに包まれ、徐々に鼻をすする音に切り替わってゆく。

「とのまわり」では、余命宣告を受けた母親が「残りわずかだからこそ、自分のために生きたい」と家を出ていってしまう。

「家族なんだから、一緒にいたい」と納得のいかない夫や息子たち。しかし母は「言っても分からない、…余命宣告を受けていない人たちには」と連絡手段を一切絶っていなくなってしまった。

運よく所在を突き止めた息子が見たものは、入院先で人が変わったように明るく笑い、ふざけている母の姿。その傍らには、同じ余命宣告を受けた“恋人”までいてーー。

人生のカウントダウンが始まった人々を通して見えてくるのは、「どう生きるのか」ではなくて「どう生きたいのか」ということだ。

“恋人”の放った言葉のなかに、いちばん印象に残ったものがある。「分からないというのは、ストレスだ」。

自分以外の人のココロなんて、たとえ血が繋がっていようと、どれだけ深く愛し合っていようと、100%分かるなんてことはあり得ない。だから、言葉で伝え合おう? 検索窓に打ち込んで出てくる垢だらけのアンサーくらいに白々しい。

ここで、「とのまわり」の意味が効いてくる。

たとえば、自分の人生に大切なものリストを作ってみよう。○○と、○○と、○○と、○○と、ーー私たちの人生は「と、のまわり」で起こっている。

余命わずかの父親が、娘のからだが浮くほどきつく抱き締める。髪の毛がぐちゃぐちゃになるくらい頭をなでて、放さない。

言葉はなくても、父「と、」娘のあいだにある愛と痛みを、私たちは感じることができる。

舞台が暗転するたびに、ここがチャンスだとばかりにハンカチで顔をなぐり拭いた。

少なくとも私は、だから舞台を観るのだろう。自分以外の思いなんて分からないのだから。

けれど、ひとつ思うのは、分からないストレスに対処法があるとすれば、自分の心をはっきりと決めてしまうことなのかもしれない。

「とのまわり」にいる自分がどう生きたいか。それが大切だ。


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