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子ども嫌いの私が、子どもたちのために生きたいと思うようになるなんて

雨上がりの今日。

朝はまだ湿気が残り、近所の桜並木は、ちらほら咲いてきたなぁという程度だったのに、お昼過ぎに同じ場所を通ると、あっという間に三分咲きへの変化を見せていた。


桜の季節が来ると、長男の産まれた日を思い出す。



長男を出産した場所は、川沿いの桜並木道の横にあり、その日は満開の桜に晴天という最高のシチュエーション。

初めての出産で精魂尽き果てた私は、当日外の様子を楽しむ余裕など全くなかったのだけど、駆けつけた両親たちが「めでたい、めでたい!」と教えてくれた。



あの日からもう15年が経とうとしている。



私はもともと子どもが苦手。
結婚するまでは、子どもはいらないと思っていた。

ずっと家族の中で居心地の悪さを感じてきたから、自分が子どもを産んで、どう接していくのか、想像ができなかった。


けれど結婚してしばらくすると、人並みに子どもを産んでみたいと思うように。


長男が誕生してからは、まさに怒涛のような日々。
次から次へと終わらないミッションの連続。

子どもが好きとか嫌いとか、そんな感情を感じる余裕もなく、ただ夢中になったり投げ出したくなったり、それまで味わったことのない出来事が毎日巻き起こる。


次男を出産後、離婚を経てさらに、私にとって子どもたちとの時間はさらに濃いものになった。


自分自身の人生には迷走しまくってきたけれど、気が付いたら、子どもたちが私の生き方の軸となっている。

“子どもに人生を捧げる”
とか、
“子育てが生きがい”
とか、

そういう寄りかかるような一方的な愛情ではなく、私の望む生き方への『使命』のようなもの。



もとは子ども嫌いな私が、
“子どもたちが明日も生きていたいと思えるような未来を繋げたい”
そんな使命を抱くなんて、私自身が一番驚いている。



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