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梅田にて

今から10年ほど前。
風が小寒いな、と感じる10月の中頃だったと思う。

私はアフリカンダンスという西アフリカ(主にギニア)のダンスを習っていて、梅田の扇町通りに面した地下にあるダンススタジオに、週に1度通っていた。
最近アフリカンダンス人口がどっと増えたよと聞くことはないし、今もそんなに多くはないと思うけれど、当時も少なかった。
生徒が私を含めてふたりなんてこともザラにあったし、多いときでも5名ほど。

それでも毎週、同年代の仕事終わりの女子たちと一緒に「今だけはすべてを忘れて発散できる」と、滝のような汗を流しながら踊りに没頭するのは、私にとってかけがえのない時間だった。
通い始めた当初こそ「おつかれさま〜」とスタジオを後にするアフリカン女子たちだったが、毎週顔を突き合わせているうちに、スタジオを出てすぐの歩道で、四方山話をするようになった。

仕事のこと、悩み、恋の話、彼氏の話…

当時私は大手広告代理店に勤めていた彼氏と別れて今の夫と付き合い始めたばかりだったので、その経緯もぼんやりアフリカン女子たちには伝えていた。
だから「今日新しい彼氏が車で迎えに来んねん」と言った時には、小さくも確かに場がどよめいた。
「メリーの彼氏どんな!」
に加え
「彼氏の車!」
もあったと思う。




巻き戻ること数時間前。
付き合ったばかりの彼から来た「今日何してる?」のメールに私は「アフリカン行くで」と返した。遊びたいのは山々だけど、あの時間は何物にも代えがたい。
すると「車で迎えに行こか?」と返ってきた。
私は、親が塾の帰りに車で迎えに来てくれる程度にラッキー!としか思わず「やったー!ありがとう!では◯時にどこどこで」と返事した。彼が車を持っているとは知らなかったけど、ラッキー!と。それ以上でもそれ以下でもなかった。


だからどよめいた時、なんとなくヤバと思った。
車てどんな車やろ。そういや車持ってることも知らんかったな。

“梅田にいる彼女を車で迎えに来る彼氏”の到着を待つ私たちの前を、エンブレムをつけた外国車やメタリックに光る車たちが、ネオン街に吸い込まれるように通り過ぎていく。

信号が青に変わり、勢いよく向かってくる車の列に首を伸ばした時だった。
他の車よりも頭ひとつ分飛び出た、何かがチラリと見えた。


まさか!



体が硬直した。

ラッパをつけた軽トラが、こちらに向かって近づいてくる。
まさか…まさか…
車って仕事で使ってる廃品回収車のことやったんかーーーー!!!
そう、彼は廃品回収を生業にしていた。それは知っていた。でも“車”がこの車って…


経年劣化で汚れた白の軽トラがゆっくりと減速して、私たちがいる前に停車する。
背後には、驚きで声も出せず固まってる人たち。私もみんなと同じように、ただ口をぽかんと開けて立っていた。
そのうちに、


クスクスクス
クスクス

何かが聞こえた気がして思わずパッと下を向くと、一瞬で耳まで真っ赤になった。
私はすべるように軽トラの助手席に乗り込み、自分の足元を見続けた。
意識を取り戻し満面の笑顔で「また来週ねー!」と手を振るアフリカン女子。
何も知らない彼が、私の背中越しに“彼女の友達との初対面”よろしく呑気に愛想を振りまいている。


「行って」

バレないように小さな声で、彼に言った。


アフリカン女子たちの名誉のために言っておくが、彼女たちは人を見下げたり、軽んじたりするような汚れた魂の持ち主ではない。むしろ気持ちいいほど裏表がなく、ポジティブで風通しの良い心を持った人たちだ。
だから私は、このことを思い出すたびに「はて、クスクスクスは私の卑屈な心が作り出した幻聴やったんかな」と考える。
…いや、わろてた。絶対わろてた。オモロすぎて我慢できんと全員ワロてた!
何度考えてもみんな吹き出してたし、私だっていつ思い出しても笑ってしまうのだ。


そんなこんなであれから10年。
もう廃品回収は営んでいないけど、我が家にはまた別の軽トラが鎮座している。
「ケイ太郎」と名付けられた、大人2人しか乗れないその“車”の助手席に乗り込むたびに、甘酸っぱい気持ちが込み上げるのである。




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