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14.人にやさしく

 わたしは人を褒めることが大好きなんです。

 仕事中でもプライベートでも、いいなと少しでも思ったら迷わず口にします。それは喜んでくれるという理由でもあるし、もしかしたらその一言で、相手のモチベーションが上がるかもしれない、その一日がいい日になるかもしれない。そして照れる姿を見てニヤニヤするという、わたしのS的な面でもあります。

 そういえば昔、わたしは自分はMだと自覚しているのですが「SはSにしかなれないけどMは時にはSにもなれるんだよ!世の中を制するのはMである!」というくだらない持論を展開したことがありました。

 わたしはこれまでもよく自分は空っぽだと書いてきましたが、空っぽな人間は周りの人の表情や仕草を気にします。よく見てしまいます。それは空っぽ人間の、自己防衛の本能なんです。
 その本能に、他人を褒めるということも入ります。でも実のところは、リアクションを求めているという、自己中心的な考え方なのですが。なんせ、根底にあるのが自己防衛機能なのだから、中心にいるのはあくまで自分自身。

 お仕事を休まなければいけなくなった時期後半から、一緒に働いている人たち一人一人にお手紙を書いたことがありました。全員には無理でしたけど。
 あなたのこういうところが素敵で、ここがわたしは好きです、というようなラブレターみたいな手紙。今の時代、LINEでという選択肢もあったけど、味気なく感じ、手書きにしてお菓子のチョコパイと共に渡しました。

 ちなみになぜチョコパイなのかというと、わたしの中であのお菓子は特別な時の決め手だからです。チョコとスポンジと生クリームのバランスが絶妙。そして気軽に買える。あんなに美味しいお菓子が他にありますか?その代わり、食べ終わった後のカロリー的な意味での罪悪感も、特別です。

 みんな喜んで受け取ってくれました(と思いたい!)。泣きそうになったよーって言ってくれる人もいて、わたしも嬉しかったです。

 もしかして、これも軽い躁状態?とあとで思いました。
 でもとにかく喜んでくれたようにわたしには感じられたので、空っぽが少し満たされました。躁のパワーがもしかしたら少し上手い方向に働いてくれたのかな。こういう時もたまにはあります。

 お手紙を書きながら、相手のいいところを思い浮かべる作業がとても楽しかったです。
 手紙を書くために、まずノートに渡したい人の名前をズラズラと書き、簡単な言葉でいいところをピックアップしていきました。すると「優しさ」という言葉が一番たくさん出てきたんですよね。これはわたしだけじゃないけど、誰だって誰かしらの優しさに触れながら生きているはずで、無意識の時でさえも、その優しさをきちんと受け取っているんです。

 優しさという言葉であふれたページを眺めて、わたしは「優しい人間」になりたいんだな、と納得しました。他人の良いところ=自分がそうなりたい、ということですもんね。

 優しさにはいろんな種類があって、それはいろんなカップルや夫婦がいるように、様々な愛の形の一つだと思うんです。
 優しい言葉をかけてくれる人、何も言わずとも行動で優しさをくれる人、意図していないのに結果的に優しさになっていた無邪気な人。いろんな優しさがあります。

 あたしが双極性障害と言われた直後の悩んでいる時、そのいろんな優しさに助けられたことが何度もありました。優しい言葉、優しい行動、そして何も言わずわたしを信頼して、敢えて放っておいてくれた人。心に余裕がなくてその時は分からなかったけど、たくさんの優しさを受け取っていました。

 なにも言わず相手のために動く、相手を信頼して辛そうな時に敢えて放っておく、そんな大人の優しさというものがわたしにはできません。
 どうしたの?とすぐに声をかけ、わたしは相手から辛い理由を聞こうとします。そしてとことん励まそうとする言葉を、自分の中からこれでもかと捻り出していくんです。

 十分優しいじゃん、と思ってくれたそこのアナタ、これは違うんですよ。時と場合を使いこなせる人でないとやってはいけないことで、そしてわたしはあくまで自分中心なわけで、心のどこかで相手のリアクションを待ってしまっているんです。
 話を聞いてくれて良かった、ありがとう。その言葉が欲しいだけなんです。相手のことは二の次になっているんですよね。

 わたしは他人との距離感が上手く取れないにも関わらず、自己防衛機能として、辛そうな人はなんとなく分かってしまうんです。表情、声のトーン、空気感で。そこでわたしがとるこの行動は、相手の心に土足で踏み込んでいくようなものなのです。相手を信頼しているからこそ、放っておく。そんな接し方がとても難しい。

 ではなぜ、相手を信頼できないのか。それは相手のことが大好きで大切で、その人が自分のいないところへ行ってしまうんじゃないかという恐怖。恐れからくるものです。これも自己中心的な考え方ですね。

 人を失うということがとても怖いと思う反面、いつかは目の前から居なくなる日がくることも、頭できちんと分かっています。だからこそ言わずに後悔したくないから、褒めることも励ますことも、大きい熱量でぶつけてしまう。相手が望んでいないとしてもです。
 あくまでも、自分の軸での考え方であり、他人を信頼できないから発動する自己防衛機能。ただそれだけなのです。

 なのでわたしはちっとも優しくない。優しい風にしているだけ。そしてそんな自分がとても情けないと思う。
 わたしはバファリンの半分にもなれないのかー・・・。