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ハッシュド油揚元寇

まだ肉食をしていた頃、よく食べたハッシュドビーフ。ハヤシライスとも呼ばれる料理。
肉を使わずに似た物が作れないかと挑戦した、頭のおかしい記録。


材料

マッシュルーム 6個
バター     40グラム
玉葱      半分
トマト     1個
ローレル    1枚
油揚げ     1枚
ソース     大匙2
ケチャップ   大匙2
塩       小匙1
胡椒      少々
赤ワイン    1カップ

御覧の通り、油揚げを使うことに。油揚げ、げ、元寇を妄想しながら料理開始。
チンギス・ハーンから始まったモンゴル人の外征。ユーラシア大陸に跨る広大な帝国を形成。その孫、フビライ・ハンは大都(北京)に都を定め、中国の大半を支配。そのモンゴル人が率先して攻めて来たのが元寇。と思っている人が多いと思いますが、違います。


玉葱を細切り。

当時の朝鮮半島の国、高麗の王子、忠烈はフビライの娘婿として大都に。その間に国元では武臣達がクーデター。父親が退位させられます。忠烈はフビライに頼んで兵を借り、武臣達を討伐。父親を復位させました。
このことで借りが出来たフビライに、何かいい話をということで進言したのが日本侵攻計画。
当時、中国の南方にはまだ南宋が存在。フビライの帝国、元と南宋は戦争状態。日本は南宋と交易。日本を元の味方に付ければ、南宋攻略にも有利。
フビライもこの話に乗り、まずは国書を日本へ送ることに。


油揚げとマッシュルームを細切り。

国書には、まだ日本は元に朝貢してこないが、これは我らの偉大さがわかっていなからだろう。朝貢してこなければ、大変なことになるかもしれないと記され、恫喝とも取れる内容。
実質的に日本を統治していた鎌倉幕府は、この国書を無視することに。
ただ無視するというだけではなく、最悪の場合を想定して、様々な手立て。
まずは北条得宗家の跡継ぎ、北条時宗が八代執権に就任。当時18歳。
幕府の京都の出先機関、六波羅探題に居た庶兄、時輔を討伐。
更に得宗家に反逆を企んでいるとして、支流の名越北条家も討伐。
戦時には優秀な指導者に指揮系統を一本化させた方がいいということから、対抗しそうな芽をまずは摘んだと言えます。
これが文永九年(1272)に起こった二月騒動。


トマトをジュースにする。

名越家は得宗家に次ぐ力を持ち、九州に所領を持っていました。本当の狙いはここだったのでは?
九州は元が攻めてくれば、上陸が予想される地点。名越家からそこを奪い、防衛線を整える必要があったのでは?当時の武士にとって土地は『一所懸命』という言葉の通り、命を懸けて守るべきもの。まともに所領を返上せよと命じても応じる訳もないので非常手段?(あくまでも私の妄想)
そう思う根拠としては、後に名越時章は無実だったとわかったということで、時章を討った者達は斬首。これは口封じではないか?

バターで玉葱を炒める。

そして迎えた文永十一年(1274)元の軍船が日本海を渡る。
三万二千の兵が軍船900艘に。
乗っていた兵は高麗、女真族、降伏した南宋の兵が主体。モンゴル兵はあまりいなかったと言われます。
元の船は国境の島、対馬を蹂躙。ついで壱岐。これらの島では武士ばかりではなく島民の多くも殺されることに。
更に痛ましいことに死体或いは生きたままで島民の体は船の側面に縛り付けられることに。人間の盾?見せしめ?
大陸では人肉食の習慣もあったので干し肉作り?
この最初の元寇で捕虜とされた子供200人は忠烈王と妃であるフビライの娘に献上。奴隷にした?もしかしたらアドレノ採取?(これも戯言)


玉葱に油が回ったら、マッシュルームと油揚げ投入。

そして、ついに博多に上陸。
よくある誤解ですが、この時代の武士の戦いは一騎打ちで、モンゴルは集団戦法。そのため日本の武士は寄ってたかって袋叩きにされて敗れたと思っている人がいるかもしれませんが、騎乗の武士の周囲には徒歩の郎党が従っているという編成であり、言わば小集団。それが幾つも集まれば中集団位にはなります。
また弓矢の性能や技術は日本の方が上でした。
決して引けは取っておらず、それどころか地の利は鎌倉武士達にあり。
大陸のような広い平原はないので、元軍の方が集団戦法を展開出来ず。


トマトジュース、ワイン、ローレル、調味料を投入して煮込んでいく。

現在、福岡城がある周辺、赤坂で戦闘。
元軍は博多から更に奥へ進んだ大宰府の攻略を目指していたのですが、武士達の激しい攻撃にさらされ、思うようにいかず。
高麗や女真、南宋の混成部隊だったことから、意志の疎通もうまくいっていなかったのではないかと思われます。


いい感じに煮上がった。

総司令官が負傷したこともあり、ついに元軍は撤退を開始。それでも逃げる元軍を武士達は散々に追撃。ようやく船に戻った兵達は海へと逃れる。
この第一回の襲来はあくまでも威力偵察で、本気の侵略ではなかったという説もあります。三万二千の兵では確かに日本のすべてを占領するには足りないと思えます。
そして帰還の途上、壱岐沖で強風が発生。多くの軍船が沈没。
これは後世、神風と呼ばれる程の暴風雨ではありませんでした。
最初の元寇、文永の役が起こったのは旧暦の10月。今の暦だと11月。台風が吹くにはちょっと時期外れ。


ハッシュド油揚元寇

どかた家の定番、雑穀米にたっぷりとかけて頂きます。
赤ワインの風味が生きてる。ケッチャプの甘味、トマトの酸味がいい具合にブレンド。玉葱たっぷりで血液サラサラ。ソースを含んだ油揚げが素晴らしい。この選択は正解。肉よりもソースの吸収が抜群にいい。良質な植物性タンパクを摂取。
甘いと感じるので、味変に七味唐辛子を使用すると、これも美味。

しまった。
元寇のすべてを書くことが出来ず、料理が終わってしまった。
日本が最初に経験した本格的な外国からの侵略。それに挙国一致で立ち向かった事変ということから書くべきことがあまりにも多い。そのため、今回は文永の役だけで終わってしまった。
二度目の蒙古襲来、弘安の役についてはいずれまた改めてということを妄想しながら、ハッシュド油揚元寇をご馳走様でした。

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