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葱タレ豆腐屋の四季

どかた家の食卓によく上る食品に豆腐がある。
氣が向いたら自分で作ることもあるけれど、所詮は素人の手慰み。↓

失敗することもあるが、そんな時に脳裏に浮かぶ歌。

「泥のごと出来損ないし、豆腐投げ、怒れる夜のまだ明けざらん」
この短歌を詠んだ作家を妄想しながら、豆腐に合うタレを自作した記録。


材料

葱    1本
唐辛子粉 小匙1
生姜   半欠け
胡麻油  大匙1
塩    小匙半分
醤油   大匙1
味醂   大匙1
豆腐   好きなだけ

昭和十二年(1937)大分県中津市小祝の豆腐屋に誕生した龍一(戸籍名)が後の松下竜一。
赤子の時に高熱。その影響で右目を失明。他にも肺病や痔等、多くの病に終生、悩まされる。
学業優秀だったものの、病弱だったことに加えて母親の急逝により進学を断念して父親と共に豆腐屋を生業に。


葱を微塵切り。

機械化される前の豆腐屋は重労働。暗い内から起き出して製造、配達と働きづめ。そんな生活の密かな楽しみとして竜一は短歌を作っては新聞に投稿。
配達先の雑貨屋の娘と結婚。
昭和四十三年(1968)自身の短歌とそれに関わる文章を纏めて自費出版。それが『豆腐屋の四季』
講談社に送ったら、編集者の目に止まり翌年に商業出版。
緒形拳主演でテレビドラマ化。
高度経済成長期、地方で自分の分を守り黙々と働く模範青年の姿が世間の脚光を浴びた。


胡麻油で葱を炒める。

しかし、本人はそうした世間に期待される姿に違和感。
昭和四十五年(1970)に豆腐屋廃業。これは著作の大ヒットで作家転身ということではなく、父や自身の体がもたなくなり、止む無く。
書くべき対象としたのが、開発優先で圧し潰される庶民の声。
セメント工場誘致に反対する人々を書いた『風成の女たち』
著作だけではなく、居住していた中津に隣接する福岡県豊前市に建設が進められていた豊前火力発電所反対運動に身を投じる。
こうした経緯から、途端に嫌われ者に。
「たった一度の成功で思い上がって」とか
「あなたはすっかり変わってしまった。元の豆腐屋の青年に戻りなさい」
とか言われ、苦情や抗議の電話も鳴り放しだったとか。


調味料を投入。

私が松下竜一の名前を知ったのは平成十年(1998)だったと思う。全集の刊行が始まり、NHKで特集番組が放送され、地元の大型書店に特設コーナーが設けられていたのを覚えています。そこで断片的に知った情報というかキーワードが「豆腐屋」「市民活動」「草の根通信」等。
イメージしたのが豆腐屋を営みつつ作家活動、そして市民運動の先頭に立つ怒れるオジサン。
しかし勘違いでした。
当時は既に豆腐屋は廃業。市民活動に携わっていても普段は物静かで病弱。
最初に抱いた勝手なイメージとの落差に余計に惹きつけられ、一時期、松下竜一の著作を読み漁りました。


いい感じに混ざってきた。

逮捕者まで出た豊前火力発電所反対運動の頃から竜一が唱えていたのは「環境権」
最近、誰かが流行らそうとしているインチキ臭いSDG's等とは全く異なる。
今以上の開発は要らない。電気で煌々と夜まで照らすよりもたまには明かりを消して夜の星でも眺めましょうという「暗闇の思想」
その方が本来、日本人が大事にしてきた地に根差した生き方ではないかと私は思う。
開発優先に異議を唱えるノンフィクション、そして児童文学、エッセイ等の執筆で、いのちきを続ける。
「いのちき」とは大分の方言で何とか生きてるという意味。
本当に何とか生きていたということを示す逸話。
確定申告で年収欄を見た税務署員は、
「これは年収ですか?月収ですか?」と訊いたとか。
大杉栄と伊藤野枝の末娘である伊藤ルイと知り合い、彼女の半生を執筆した『ルイズー父に貰いし名は』は第四回講談社ノンフィクション賞を受賞。
参考↓

大杉の同志だった和田久太郎の評伝『久さん伝ーあるアナキストの生涯』
を上梓。これが収監中だった大道寺将司、反日武装戦線のリーダー格つまり過激派で三菱重工爆破事件等で死刑判決を受けたテロリストの目にも届き、獄中から感想文を送ってきた。これが契機となり、彼等を書いた『狼煙を見よ』を発表。
『怒りて言う、逃亡には非ず』で日本赤軍コマンド、泉水博を書いた。
過激派シンパと見られて、警察の家宅捜索も受ける。
結構な波乱万丈さ。


葱タレ豆腐屋の四季

ピリ辛な味が淡白な豆腐に彩りと深い味わいを加えてくれる。
加熱した葱は甘味が出るので、辛みと程よくマッチ。
葱のアリシンが食欲増進。硫化アリルで血液サラサラ。
因みにこの豆腐は自家製ではなく、買ってきたもの。

平成十六年(2004)67歳を一期として死去。
当時、福岡に住んでいた私は中津市で催された松下竜一を偲ぶ集いに参加しました。終生、交流があった緒形拳からの献花があったのを覚えています。
まだ松下竜一氏が存命中、住んでおられた中津市小祝界隈を車で訪れたことがあります。憧れの人が書いた文章に登場する場所を見て回り、「軒低く貧しげなる家」と自嘲しておられたお宅の前も通ったのですが、お訪ねする勇気は出ませんでした。
平成二十八年(2016)にそのお宅も道路拡幅に伴い取り壊されたと風の噂に聞きました。昭和の風景がまた一つ消えてしまった。
後年、相米慎二監督が『豆腐屋の四季』を映画化したい意向を持っていたらしいのですが、監督の急逝で果たせず。

おまけ。

ご飯にかけてみたら、これも美味かった。

最後に環境に関する毒を吐きます。

現在、本当かどうかも怪しい地球温暖化などが喧伝され、再生可能エネルギー等と称して、やたらと太陽光パネルが彼方此方に貼られている。これは環境のことを思ってのことではない。利権でしかない。エコロジーとか環境に優しい等とは絵空事。
松下竜一氏が唱えた環境権とはまったく異なる。
言わばやたらと発電するより節電しましょうと言うべきか。
パネルを貼るために山が切り開かれ、景観も生態系も崩している。最近、熊が人里に出てくると騒いでいるが当たり前だろ。山を荒らしている人間が悪い。
ローンの金利が安くなるとか自家発電で電気代が安くなるとか言われて、自宅の屋根にまでパネルを貼る人々。あんな物はメンテが必要になるし、廃棄する場合の費用を考えたら、決して得していない。
それどころか、私のような反対派にまで再エネ賦課金が課されて電気代が割高になっている。
万一、パネルが壊れたら、中身が零れだして土壌汚染。
こう考えるといいことは何もない。
松下竜一氏がご存命ならば、私と同じことを言ったのではないだろうか。
そんなことを妄想しながら、葱タレ豆腐屋の四季をご馳走様でした。

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