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岡本taro煮っ転がし

芋の中でも里芋が結構好き。
英語で里芋はtaro.
タロ、太郎と言えば岡本だろうということで、岡本太郎について妄想しながら里芋料理の定番、煮っ転がしをどかた流にアレンジした記録。


材料

里芋   小さめを11,12個
醤油   大匙2
味醂   大匙2
摺り胡麻 黒と白を好きなだけ
鰹節   一掴み

明治四十四年(1911)現在で言えば神奈川県川崎市に誕生した岡本太郎。
父親は岡本一平という漫画家、母親は歌人のかの子。
母はかなり奔放というか心のままに振舞う人だったらしく、愛人を家に同居させる。父もまた外で遊んでいたので文句が言えずという一風変わった家庭。
幼少の太郎が母親に構ってほしくても、かの子は邪魔にして箪笥に縛り付けたこともあり、後に太郎は「母親としては最低だった」と述懐するが、敬愛していた。


皮付きのままで圧力鍋で煮る。

小学校に入学しても馴染めずに友達も出来ず、太陽が友達だったとか。後年、万博のシンボル、太陽の塔を作る原点?
成績は悪かったが絵だけは幼少期から好きでよく描いていた。
昭和四年(1929)に父、一平が朝日新聞特派員としてロンドン海軍軍縮会議の取材に出発。かの子と太郎、更にかの子の二人の愛人まで一緒に洋行。
翌年、パリ到着、両親達が昭和七年(1932)に先に帰国しても太郎はそのまま滞在して絵の勉強。
ここでパブロ・ピカソの絵を見て衝撃を受ける。
ピカソを超えることが以後、太郎の目標になる。
昭和十五年(1940)に帰国するまで絵を描き続ける。


加圧が終わった里芋の皮を剥き、醤油と味醂を混ぜた鍋で煮る。皮を剥いても洗わず、ぬめりはそのままに。

第二次世界大戦が勃発し、ドイツがパリ侵攻を開始したため、太郎は戦火を逃れるために帰国。その前年に既に母は亡くなっていた。
昭和十七年(1947)に太郎も招集されて中国戦線に送られる。
軍隊生活の逸話ですが、日本に限らず軍隊はやはり荒っぽい所。鉄拳制裁というものが付き物。
太郎の分析によると一人、二人目はまだ上官の拳は温まらず、三人目から調子が出て来て、四人目から拳が固くなってくる。
つまり、鉄拳制裁が始まったら、最初に殴られた方がいい、ということではなく太郎は自ら四人目に志願。敢えて困難を選ぶという性格を物語る。
既に30代の新兵ということで、何かと苦労もあったことだと思われる。それでも敢えて辛い道を行く。上官の命令で肖像画を描いたこともあったとか。自分の意志ではなく命令で描かされるというのも、芸術家としては屈辱だったのではないか。


沸騰してきたら、転がして煮絡める。転がして煮るから煮っ転がし。ぬめりがそのままなのでよく絡む。

終戦後、暫く中国で俘虜生活を送った後で帰国。
その時にはアトリエや住居も焼失。パリ時代に描いた絵等も消失。
しかし岡本太郎はヴァイタリティ溢れる人。消えてしまった絵も再製作。
代表作の一つである『痛ましき腕』もそうした再製作品。
戦争を生き抜き、帰還を果たした太郎は芸術活動に邁進。絵や彫刻だけでは収まらず、様々な分野に足跡を残す。
代表的な仕事が昭和四十五年(1970)に開催された大阪万博のテーマ展示のプロデューサーであり、万博の象徴となった『太陽の塔』
同じ時期に制作されていたのが現在、渋谷駅に掲げられている『明日の神話』


明日の神話

巨大な壁画ですが、駅なので振動や外気等で傷みが見られるということで現在、修復作業が進められています。
太郎の作品はこのように多くの人が見える場所に置かれたり、展覧会等に出されることはあっても、個人所有になっている物は殆どない。これは太郎がパブリックアートという概念に拘り、絵を売却することを好まなかったから。
資産家に買われた絵が持主の部屋にだけ飾られて、多くの人が見られなくなってしまうことは本意ではなかった。芸術は皆の物という考え。


汁気が半分位になったら鰹節投入。落し蓋をして更に10分、弱火に煮詰める。

昭和三十一年(1956)の映画『宇宙人東京に現る』の宇宙人のデザイン。この宇宙人パイラ人はヒトデ型の中央に巨大な一つ目。
顔や目に拘った太郎らしい。
急速に発展したテレビにも積極的に出演。
マクセルビデオカセットのCMで半鐘を打ち鳴らしたり、ピアノを弾いた後で叫ぶ
「芸術は爆発だ」という言葉は正に太郎を象徴する言葉。
「芸術はうまくあってはならない。きれいであってはならない。ここちよくあってはならない」というのも太郎の名言。


煮上がった。

「何だ、これは」というのは、縄文時代の遺物を見た時の太郎の言葉。
それまでは考古学的な価値でしか見られていなかった縄文時代の土器や土偶に美術的な側面から注目したのは岡本太郎が初。
火焔式土器等は特に炎のような太郎に似合うかと思いきや太郎自身は深海の美を火焔式土器に見たとか。やはり天才の考えは凡人には及ばない。


岡本taro煮っ転がし

摺り胡麻をたっぷり塗して完成。
敢えてぬめりを取っていないので、胡麻がよくくっ付く。今回は白と黒、それぞれ半分づつ。
胡麻の香ばしさが里芋の味を引き立てる。
里芋の食物繊維ガラクタンをたっぷりと頂ける。
優れた抗酸化物質ゴマグリナンやセサミンを含んだ胡麻との相性もよし。鰹節を塗したことで出汁も効いている。


太陽の鐘。前橋市にあります。

実質的なパートナーだった敏子氏を太郎は妻ではなく養女として縁組。
太郎は封建的な男女関係を嫌っていました。つまり女は家事をこなし、男のために着飾るべきなどという考えも大嫌い。
女は男の所有物ではないと考えていました。正に本物のフェミニスト。
「愛の前で損得を考えること自体ナンセンスだ。そんな男は女を愛する資格がない」
愛に関する太郎の名言。
こうした考えや言葉は多分に奔放だった母の影響があるのではないか。
不世出の天才芸術家、岡本太郎を妄想しながら、岡本taro煮っ転がしをご馳走様でした。

因みにこの記事も『痛ましい腕』同様再製作品。
以前に岡本太郎について書いたものの、諸般の事情により削除。
自分の記憶を辿り、新たな考えも加味して再度、岡本太郎について書きました。

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