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多胡ライス

安心出来る商品を置いている信頼出来るスーパーにて、興味深い食品発見。


たこちゅ~かま

細かく切った蛸が入っている蒲鉾ですが勿論、着色料とか添加物なし。名前も絵も内容も気に入ったので購入。売れ筋商品なのか、これ一つしか残っていなかった。
さて、これを使って何を作ろう。蛸、タゴということで多胡碑を思い出して、謎と伝説に包まれた古代の人物を妄想しながら料理した記録。


材料

たこちゅ~かま 2個
蕪       1/2個
昆布      3センチ
塩麹      大匙1
出汁つゆ    大匙1
酒       大匙1
塩       小匙1
米       1・5合

平成の頃まで群馬県に多胡郡という地名。現在は高崎市と合併して消滅。
多胡郡という地名は奈良時代から存在していた歴史ある地名。それが消滅してしまったのは残念。その多胡郡が作られた経緯が記されているのが、高崎市吉井町にある多胡碑。
周辺には山上碑、金井沢碑と他にも古い石碑があり、三つ合わせて上野三碑として、ユネスコの記憶遺産に登録。訪問記を以前、書いています。↓

「上野国の片岡郡、緑野郡、甘楽郡併せて三郡の内、三百戸を郡と成し、羊に給いて多胡郡と成せ」
これが多胡碑に書かれているもっとも重要な部分。原文はすべて漢字。
多胡郡成立の経緯を記した石碑という訳。
ここに書かれている羊とは方角を指すという説もありますが、人名というのが有力な説。藤原不比等を指しているという説もありますが、この地には羊太夫という人物の伝説。


蕪をいちょう切り。

空から舟石と呼ばれる石に乗って降りて来たと言われる羊太夫、この地を治めながら毎日、都に通う日々。上野、つまり群馬から奈良まで?
方法は八束小脛という空飛ぶ従者に引かせた馬で。
多胡郡から秩父までという広い勢力圏を持ち、秩父から発見された銅を献上。それによって和同開珎が作られたといいます。
或る日、小脛が眠っている時、脇の下に羽が生えているのを発見した羊は、悪戯心から、それを抜いてしまう。
がばっと跳ね起きた小脛
「取返しのつかないことを。これでもう空を飛べなくなりました」
その言葉通り、それまでのように毎日、都に通うことは不可能に。
なかなか都に来ないことから、朝廷の者達は羊を怪しむようになる。
「自分の勢力圏に留まって謀反の準備をしているのではないか」
その疑心が募り、ついに追討軍が送られる。


たこちゅ~かまを細かく切る。

誤解とはいえ、もはやここまで来たら弁解も出来ないということから、羊も覚悟を決めて戦うことに。
城山に籠って戦うものの衆寡敵せず、ついに討ち取られたというのが羊太夫の伝説。
羊太夫は討たれたものの、その子孫は小幡氏と名乗って存続したとか。


材料と調味料をすべて入れて、30分以上浸水させてから炊飯。

羊という日本にはいない動物の名前が付けられた人物、渡来人ではなかったかと思います。
胡が多いという地名も外国から来た人が多かったことを示している。胡という文字は主にペルシャ系の人や物を指す。
あちら方面からもたらされた物や習慣には、この文字が使われている。
胡瓜(キュウリ)胡麻(ゴマ)等、胡坐(あぐら)というのも胡人の座り方。
銅を発見したのも、そこからの技術を用いた?
都まで日参したというのは誇張された表現で、信じられない速さで走る馬に乗っていたのが真相?アラビア系の馬は精悍で足も速い。
胡人達を束ねていた人物が羊ではなかったか?その技術者集団や銅山が欲しくなった朝廷は難癖をつけて滅ぼした?
そうした都合の悪い歴史だから、正使である日本書記には記されず、伝説として現地で語り継がれているのではないか。


炊き上がった。

江戸時代、松浦静山という大名が記した「甲子夜話」という随筆。
そこに多胡碑のことが記されています。それによると、JNRIと記された銅板が多胡碑の傍から出土。
これは「ユダヤの王ナザレのイエス」を示す頭文字。つまり羊太夫は原始キリスト教である景教徒?
しかし、この銅板自体は現存していません。その存在も甲子夜話にしか記されていないので検証出来ず。


多胡ライス

昆布出汁に塩麹の柔らかなしょっぱさがよく合う。塩を少し加えたことで程よい味。
たこちゅ~かまの食感もよし、中に入っている蛸も細かく、固くないので食べやすい。
蕪は大根程、繊維がないのでご飯と殆ど同化。つまりご飯のかさましになります。炭水化物を抑えたい時には丁度良い。つまりダイエットしたい人にもお勧め。
カルシウム、ビタミンC、マグネシウム等の栄養が蕪には含まれる。

多胡碑がある場所から更に山際へ行った辺りに、羊太夫が乗って降りて来たという舟石があります。すぐ傍には住吉神社。
推測するに、舟石というのは古代人が祀っていた磐座ではないか?
もしかしたらと期待したものの、残念ながらペドログラフや杯状穴は発見出来ず。
古代人は大きな石とか岩には神が宿るとして信仰の対象としていました。
その磐座が羊太夫の伝説と結び付いた?
側にある住吉神社の基となったのが、舟石と呼ばれている磐座?
住吉神社は水の神。船に乗って渡来したであろう胡人達が祀ったとしても不思議はない。

或いはもっとぶっ飛んだ妄想を楽しむならば、舟石というのは本当に空飛ぶ道具というか、ラピュタの飛行石?
古代はわかっていないことが多いので、本当に妄想が広がる。
正体不明の羊太夫の伝説を妄想しながら、多胡ライスをご馳走様でした。

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