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うたがわきしみうわごとだものⅡ

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感じたことあれこれ。日常。コラム。創作日誌。エッセー的な。作品にはならないうわごと系の。二個め。文芸を志す方にオヌヌメ。
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2017年4月の記事一覧

『note運営事務局はいつになったらnote醸し部に金のモナカを持ってくるのか?』

note運営事務局はいつになったらnote醸し部にワイロを持ってくるんだろうね?って話ですよガチでマジで(薬効いてきた (´ー`))や、だってさ、醸し部こそnoteの救世主的存在になっていくわけでしょうが。 みみみさんはいなくなったし、イーグルさんも休んじゃったし、あちこちでやれTLがすかすかになっただの全体ビューが減ってるぞだのって……まあ、新参者だからあまりしらないけどw きっと過疎化は今に始まったことじゃなく、進行してきているんだとは思うけど。そんな時代に、TLを醸せ

同級の俳優仲間たちはほとんど役者やめて父や母になり、あるいはいい歳になるまでエキストラ的な役しかもらえないまま結局心が折れ、田舎に帰って行った。東京には数多の夢の脱け殻だけが残った。心が折れれる音。それが夢の悲鳴なのか。心が折れた時、君は君の夢を殺す。東京はいつだって夢びたしだ。

『サクラマスの話』

精神科医の斎藤茂太(歌人齊藤茂吉の長男)、通称モタさんの本で知った話↓ ものすごく体の大きなサクラマスと小さなヤマメは、生物学的には同じ魚なんだって。 サクラマスは、ひとかかえゆうに80センチもある大型魚。 それがなぜ20センチ前後の小さなヤマメと同じ魚と言えるのか。 体の形も違えば模様も違うのに。 弱肉強食の世界なんだけど、同じ時期に孵化した同じ魚で、強くて餌を食べられる個体だけが川や湖に残り、弱くて餌(のとれない個体はやむを得ず川を下って海に逃れるの。そこで別れちゃ

作品の無料スタート加速するかな。作品のクオリティーで二極化する時代か。よければいずれお金になるし、よくなきゃ食いっぱぐれる。さもありなん。有料noteで稼ごうと思っていた人たちがより試される時代かもねえ。腕を磨こう!>< http://lineblog.me/nishino/archives/9273363.html

真実を話そう 自分を大好きな人は 何をしていても人生が楽しい 自分が嫌いな人は 何をしていても虚しさが漂う 大丈夫 君は確実にスペシャルな人間だ そして実は スペシャルじゃない人間なんていない それに気づけた時 真にスペシャルな人生が始まる 我々はみな永遠を秘めた 宇宙細胞だ

角田光代先輩が小説を書くにあたって「簡単に人を殺さないルール」を科していた話に感心。人が一人死ぬって実際大変なこと。その嘘話を本当として突き通すならその小説全部それが起こってもいいような世界でなきゃいけない。推理ものだとそこに重きを置かないものもあるけど。わしも簡単に殺しすぎるw

『マガジン泣かせな作品たち』

以前から申し述べております通り……過去の自分の作品がどのマガジンに入っているのか、すっごいわかりにくい(~_~;) ※だから今日の過去作を選ぶとき困るw 原因はわかってて。つまり、自分のその作品が、詩なのか、短編なのか、ユーモア系フリー句なのか、つぶやきなのか、カテゴライズできないものが多いから、いたるところに、いろんなものが入っていて、マガジンの意味をあまりなしてない(~_~;)w 書きたいものを書きたいように書いてるからでもあるだろなあ。プリミティブなものを大事にすれ

【問】貴方は何を基準にどんなタイミングでフォローしますか? A:元々リア友 B:プロフィール(同趣味、同業種、憧れ等) C:作品の中身(才能?) D:コメントの中身(人柄?) E:知り合いの知り合いでシェア紹介 F:企画で出会って G:タグセンス H:その他(勘、フォロバ狙い等)

『フォロワーさんがたくさんいたら!?』

あ、別件なんだけどw(まだ話し足りないのかよw) や、数百人とか、1000人以上とか、フォロワーがいるオピニオンリーダークラスの人って大変だろうなあってしみじみ思ったものでw(イヤミじゃなくね、大所帯だと発言の影響力とかも気にして縛られるところあるだろうしさw) 僕みたいに図太く、えこひいきして、眺める人だけ眺められるような人ならいいけど(さーせん><)、真面目な人ほど、記事見てもらったんだから、巡回してこっちもスキ押しにいかなきゃ!っていう気持ちに縛られちゃうでしょ。

『メディアサービスの相性』

や、難しい話じゃないんですよ。 すごく当たり前のことなんだけど。 人ってホントそれぞれだよねっていう気軽さで ちょっと書いておくんだけどもさ。 僕なんか、noteくる前にこえ部にいて、 そこからいくつか投稿サイトとかで試してみて、 ぜんぜん活気がなくて反応薄くてすぐ乗り換えたり、 反応はあるけど、他の方々のクオリティやら 意識やらが緩すぎてやめたりw いろいろあって、 縁があってnoteに辿り着いたわけだけども(~_~;) 本当にコミュニケーションがゆるゆるのところって

自分に似たタイプの人間に対して、人は大好きになるか、大嫌いになるか二極化することが多いという。大好きになるときは、端的に言ってしまえば自己愛の延長線上にあるものと想像できるが、嫌いになるときというのは、自分の中の嫌いな部分を拡大鏡で照射されている気分になるのかもしれない。