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きずとも通信#2 俺の疾患と学校生活について

はじめに - 俺の障害・疾患

あるべき形であれないあなたのそばに、痣身ユフィです。
動画などでは今まで公言を避けていましたが、
俺はいくつかの精神的な障害・疾患を抱えています。

・ASD傾向の強い発達障害であり、青年期になってから診断名がつきました。
・鬱です。精神的な不調自体は長く続いていましたが、今年に入ってから身体面にも不調が表れていて、酷いときは一日中寝込んでしまうこともあります。現在は薬の処方を受けていますが、それによる改善の実感もあまり得られない状況です。

このような状況もあって配信活動などが不定期になりがちである点に関しては本当に申し訳なく感じています。

また、(これは今までにも公言していますが)俺は所謂機能不全家庭で育ったアダルトチルドレンに該当する存在です。
現在でこそ母の(客観的に見ても)「毒親」的ととれる言動は多少なりを潜めていますが、幼少期に母から浴びせられた言葉の一部が現在でも尾を引いています。

元気になりたい、でも元気になってはいけない気がする

できることなら元気になって投稿や配信をもっと積極的に行いたいと思っています。
ですが同時に、元気になろうとすること、そのように振る舞うことに対する罪の意識に似た感情が生じています。

学校生活

投稿動画では第三回においても詳しく語っていますが、特に人間の皆さんでいうところの小学校中~高学年、および中学生に相当する時期は地獄といっていいものでした。
すれ違いざまに頭を殴られるなどの直接的な暴力や嫌がらせ、付きまといといったものから、眼前で刃物(鋸)を振りかざすなどの行為まで色々なことをされ、それらは中学卒業直前まで続きました。
その苦しみから何度も自殺を考えながらも、俺は不登校・登校拒否という選択肢をとることができず、卒業まで学校に通い続けていました。
当時の俺は学校で受ける暴力以上に、学校に行かないことで家庭内において母から受ける圧力を恐れていたのです。

学校に通わない生き方について

苦しくても学校に通い続けたことでその後の人生にまで影響するほど精神に傷を負ってしまった俺にとって、当時から「学校に通わない」という選択肢がとれたらどれほどよかったか、と思っています。
同時に、「学校に通わない生き方」を実際に選択できなかった俺が、今苦しみを抱えながら学校に通っている方々にそれを推奨することは無責任ではないか、という考え方もあります。
俺にできることは「苦しみに耐えながらも学校に通う」「学校に通わないことを選ぶ」そのどちらの選択肢も肯定することだけです。
「生きてさえいれば」ということはいじめや不登校の問題において多くの方々が語っています。最終的に「生きている」という結果が残れば、その過程に第三者が善悪や優劣を定めてはいけないとも思います。
ですが俺自身のことを考えると、このような有様になってまで生き続けることが本当に幸福であるのかどうか、あの時命を捨てるべきではなかったのか、という考えが常に付き纏っているのです。
恐らくこの先も、俺は自分自身の生を肯定することだけはできないでしょう。それでも「あるべき形」であれない方々をただ肯定するために俺は活動を続けます。

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