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いいと思うのには理由がある_vol.1

いまさらながらトイ・ストーリー4を見たけど、すごく良かった。

この「すごく良かった」という、陳腐な言葉でしか書き出しを始められない自分の語彙力を呪うけど、とにかくすごく良かったと思う。
賛否両論という記事もいくつかあったけど、僕にとっては圧倒的傑作。これは間違いない。

映像表現については、はっきり言ってわからない。
僕がいいなと思ったのはストーリーのほう。ネタバレも含まれるかもしれないと思うので、「まだ見てねーぞ!」と言う方はぜひここでソッ閉じしていただきたい。


再起への道を辿るウッディ

もしトイ・ストーリー4を一言で表すとしたら、これじゃないかなと思う。再起への道。

誤解を恐れずに言えば、3が終わるタイミングでウッディは一度死んでいた。もちろん、精神的な意味で。
右足の裏に書かれた名前がアンディからボニーへと変わったことで、ウッディのアイデンティティは崩壊していたのだと思う。みんなのリーダーのウッディ、一番のお気に入りのウッディ、アンディのウッディ。

冒頭のボー・ピープとの別れの回想シーンでは「いつかは終わる」有限性が暗示され、場面は変わってボニーから悲しい扱い(=物置メンバー)を受けている現在へとうつる。
「俺はなんなんだ?」と言わんばかりの、悲しげな表情を浮かべるウッディは、もしかしたらボーのことを思い出していたのかもしれない。


それでもウッディは、変わらず「ボニーのために」と自分の信念を貫こうとする。果たして、それは誰のためだろう?


幼稚園で、ボニーがゴミからフォーキーを作った。
ゴミのパッチワークのはずのフォーキーは、なんのきっかけか命を吹き込まれて動き出す。なんとまあ、ファンタスティック。
しかし自分はゴミだからと、ゴミ箱に戻ろうとするフォーキー。そんなフォーキーを、ウッディは必死に「お前はおもちゃなんだ」と鼓舞をする。来る日もくる日も、ウッディは"おもちゃたること"をフォーキーに説くのだ。

しかし、なぜこれほどまでにウッディがフォーキーに固執するのか?
それは、その後再会するボー・ピープの「自分のためでしょ?」というセリフに表されていると思う。それから、フォーキーがウッディに放った、「僕たち同じ。ゴミだ!」といったニュアンスのセリフ。ウッディはこの言葉でギクリとしただろう。

ウッディは「ボニーのために」と言ったけど、本当はゴミ同然な存在になりさがっていた自分をフォーキーに重ね合わせて、ゴミの寄せ集めのフォーキーがボニーの一番のお気に入りになることが、自らの救いになると思ったのかもしれない。

それは、紛れもなく自分のためなんだけど、それではウッディは本当の意味で救われない。

最終的には、ウッディはボーと生きる道を選んだ。初めて本当の意味で自分の人生を優先したウッディ。

誰かの所有物としての生き方から、自分のための生き方を選ぶ。ウッディが本当の意味で救われる、そんな再起への道が描かれていたように感じた。


何が良かったのか?

そんなトイ・ストーリー4の何が良かったのだろう?


それは、「踏み出したっていいんだぜ」という、ありふれたメッセージが強く打ち出されていたこと。

ここが一番賛否両論を生んだ部分だと思うけど、ウッディが『人間のオモチャであり続ける自分を否定した』ということがとても意味あることだと思う。

おそらくピクサーとしても、オモチャのウッディをマイナスな形で描いていることはないだろう。
ただ、「俺にはこれしかないんだ」と、自分の在り方をあくまで"オモチャたること"として決め付けていたウッディが、その在り方を捨て去ったことはすごく意味ががある。その姿は、僕を含めて、多くの人たちにとても勇気を与えてくれたはずだ。


自分の価値観や"いま"を否定することって、結構しんどい。

でも、踏み出してみると実はなんてことなくて、もっといいものが見えてくることは意外に多い。
もちろん、それを選ばないことも一つの選択肢だし、別のものを選ぶことも一つの選択肢。どれがいいかということではないんだけど、「踏み出したっていいじゃん」というこの映画のメッセージは、がんじがらめの固定観念に悶々としている人たちの背中をそっと押してくれる。そこがとても良いと思うのだ。


それから、そんなウッディの背中を押してくれる、バズをはじめとした仲間たちの存在も最高にいい。

がんじがらめにしているのは、環境のせいでも周りのせいでもなく自分自身なんだけど、そんな袋小路の壁をツルハシか何かでぶち破って迎えに来て、「大丈夫だぜ」って言ってくれる仲間の存在。その存在って本当に大事だし、その素晴らしさが実によく描かれているのだ。
自分も誰かにとってのバズでありたい、そんな風に思わせてくれる。


トイ・ストーリー4は、自分のことを省みて「もっと踏み出していきたい」と思えることもそうだし、「誰かの一歩に並走できるようにありたい」と、部活をやっていた時のような熱い心を思い出させてくれる。まさに、「俺がついているぜ」な映画なのだ。


まとめ

年齢のせいだろうか?

『自分の生きる意味』とか、『仲間』というテーマのものにすごく弱い。
昔はこういうものに、感動こそするがここまで心に残ることはなかったと思う。精神的にはまだ20代前半くらいなんだけど、心は年相応に年齢を重ねるものなんだなあ…


無限の彼方へ、さあ行くぞ。

あーめん

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