見出し画像

2123年4月1日みなと国立国際美術館『アートで辿る小説家"飛鳥世一"の世界観』

 御用とお急ぎでない方は一寸立ち止まって楽しんで頂ければ良いでしょう。座って半畳寝て一畳。こんなもの、この程度の者でございます。嗤って頂けたり楽しんで頂けたり考え込んで頂けたり~はたまたムカついて頂くことも結構でしょう。ただ、たった一人だけでも次の原稿であり作品に足を運んでいただける切っ掛けとなればそれで良いのです。
自らをネタに書いたものにおいては、読者は気に食わなければ読まねば良いだけ。上質、良質と感じられないものからは距離を置くべきなのです。
 それが幸せの近道であり、神経を嫋やかに保つ秘訣なのですから(笑)
 令和六年四月二十二日 飛鳥世一  拝 

  自分自身のことですら割り切れる数を持たないのであるからして
  中々愉しくも興味深く愛おしいのである。

  ______________________________________________________________________________

以下初稿
※御礼※
アップからものの一日半。36時間と少しで360pv。いきなりのランクイン(笑)お運びの皆々様におかれましては心より厚く御礼申し上げます。うふっw やっぱね~この系統を好物とする人たちは居るのである(笑)
イヤイヤ楽しい。だって楽しいでしょ? 狙って書いているのだもの。狙って色々い散りばめているのだもの。わたしのフォロワーさんやフォローさんの数的ポテンシャルから云えば一日半で200迄が目一杯。これが現実。
 ただし、特定のカテゴリーに絞った時はその限りではないようで、例えばアート系、読後感想文系、紹介系______こういうものに絞った時はフォロー以外からのpvが入る。

 今回のこの原稿。
 従いまして、一日半で360pvって有難い話しとなるのでございます。
もう、感謝しなければ罰が当たります。ブッチャケ書かせて頂きますとね、どんな冴えたものを書こうと読み手がいてのクリエイティビティー。前にも書きましたが、いくら千だ二千だのフォロー抱えていても、わたしの場合はpvありき。それだけ抱えてりゃ、アクティブなフォロワーpv悪くても600や700、わたしだったら欲しい。正直にそう感じるのでございます。わたしの主観ですから、客観には当て嵌まりません。

 例えばですよ______良いのです。わたしの書いたものをおかずに厚いコミュニケーションを取って頂くこともありなのです。悪口でもなんでも良いのです。物書き冥利に尽きるわけです。だってね、ここで書いたもの、例えば文学的切り口、小説的切り口から「云々」できる人って360pvのうち何人おられるかということなのです。一つのセンテンスに散りばめた"吉行作品"を感じ取ることが出来た御仁がどれほどいらしたか。
 そう考えるとね、"見て"頂くことを目的とし、楽しんで頂くことを目的とした「作品」としての役目は大いに果たしているのです。
 物書きこ〇すにゃ刃物はいらぬ三日も読まなきゃ事切れる。
書き手はね、どうやって見たくなるもの読みたくなるものを書くか。
どうやってポチッとさせるか。そんなことを教えられた原稿とすることが出来たようです。お運びの皆様に心より感謝を。
 
 最後にひとつだけご案内があります。わたしがここnoteで紹介させて頂いているクリエーターの皆さんをはじめフォロワーの皆さんは、本当に素敵な作品を紡ぎあげる人たちであり、繊細な感性をお持ちの人たちばかり。どうか、迷惑およぶことなく丁寧に、真摯に接して頂けますよう。この一点だけはお守りいただきますよう申し渡しいたします。   飛 鳥  世 一


■『アートで辿る小説家"飛鳥世一"の世界観』開催に寄せて■

飛鳥世一 1962年生まれ 2043年歿 死地は、スイス国内のイタリアの飛び地として知られる、ルガノ湖畔カンピョーネ・ディタリアにある『カジノ』Casino di Campione d'Italiaのカードゲームテーブル・プンコバンコだったようだ。死因は心筋梗塞と報じられている。周辺をスイスアルプス、オーストリアアルプスに囲まれた湖沼地帯であり、風光明媚な山岳リゾート、湖沼リゾート地でもあるその地で、世一はどの様な最後をとげたのだろう。
 少し追ってみた。

 当時の大使館に入った情報では、世一はプンコバンコのプレイヤーサイドに有り金すべて€50,000をかけ、一枚目のカードが配られた際に心筋梗塞を発症したと報じられている。その後、カジノ側のディラーとピットボスは適切な処置として救急車の手配をしたのち、カジノ内のソファーに世一を寝かせると、無人となったテーブルでゲームを続けたという。『始まったゲームは止めるな』それがCasinoのルールのようだ。
 カジノ側へのzoomを通じた聞き取りで分かったことだが、このゲーム、世一の1枚目のカードはピクチャー(画・別名・フレーム、モンキーとも云う)、即ち絵札、カウントは"ゼロ"となるようだ。バンカーサイド(ハウスサイド)のカードは「刺しのサンピン」。この時点で0対3の勝負。世一サイドが負けている。無人のゲストシートに二枚目のカードが配られた・・・
 二枚目のカードまでは無条件に配られる。3枚目のカードは条件付きとなり、ルールに沿った形で配られるか否かが決まる。
 そう当時のことを調査したピットボスの口が重く動く。ロイド縁の眼鏡を外すと、人差し指と親指を使い目をマッサージしながら。大きな鼻の鼻梁両サイドにはくっきりと眼鏡パッドの痕がダイヤの刺しのリャンピン。"2"を想わせるようについていた。♦ ▲ ♦
 最初に配られたカードは世一のカードの二枚目。次に配られたカードはバンカーサイドの二枚目のカード。
 オープンの声と共に世一のカードが捲られる。足あり、星ありのフォーサイド。9だった。これで世一は『ナチュラル9』。平場であれば、ほぼ勝利を手中に収めた状況。バンカーサイドのカードがディラーの手でゆっくり開けられる。
 このシーン、zoomを通じたヒヤリング相手のピットボスの好意で、昔のセキュリティーカメラの映像を見せて頂きながらのやり取りとなった。
 セキュリティーカメラの映像が、ズームされ、ディラーの手元が大写しとなる。捲られたカードはハートの足あり、3サイドの二つ星。即ち 8である。
これでバンカー、即ちハウスサイドは、所謂、博打場用語で云う処の"チンケ" "インケツ"『1』となり、世一の勝ちが決まり、世一のチップは€10万となった。
 ディラーの手が鮮やかな手さばきで€50000のチップを積み上げ、小さく手を打つや両手を広げピットボスの確認を仰ぐと無人となった世一の席前につけられた。ここでセキュリティー映像は終わっていた。
 zoomを通じた会話はwifiが途切れたように双方ともに微動だにしない。固まった状況が続いた。
『世一のチップはどうなったのか』そうzoomで尋ねると、ピットボスは口髭をたくわえた重い口を開き、監督の行政区に報告した後に適切に処理されたようではあるが当時のnoteは残っていないと言葉を濁した。

 "ピクチャー"に愛され、ピクチャーを愛した男の最後に相応しい事切れ。
 そんな飛鳥世一は画を触媒とした小説を書くことで知られており、そのことが、今回のこの美術展開催の切っ掛けともなっている。
注)本来バカラゲームは交互に2枚のカードが配られたところから始まる。本稿では展開の旨味を追った形と理解されたし。ヨーロッパではプンコバンコと云われる。

 ここからは小説家としての顔を紹介しておきたい。
飛鳥世一 小説家 60歳を前に小説を書き始める。その小説のスタイルは、純文学系とエンターテイメント系のハイブリットということのようだが、これも生前の世一の拘りだったようだ。
『文学は学問である。したがい学ぶべきもの、修めるべきもの。修めてもいない者が、書いたものを自ら文学と呼べる道理はあるまい。そんな自惚れたことをわたしは云えない。批評する者たち、修めた者たちに委ねて然るべし』そう、常々口にしていたと伝わる。ただ自分の作品を「文芸作品」と公式に評することはあったようだ。『文章書きも芸術家の端くれ。であれば文芸・文藝といふぐらいは寛容願いたい』との言葉も伝わっている。「所属・令和独立耽美派」

 創作期間は2040年までの17年間。小説は短編・中編を中心に200本を数える。代表作に夢殿シリーズ、凍裂、薫風、細氷、燻製、鬼灯が挙げられる。タイトルからみて判るように、世一は二文字タイトルを好んで使っていた。メインタイトルは二文字、サブタイトルは別にするというスタイルだったようであり、世一の言葉として『タイトルは創造の切っ掛けであるべきであり、タイトルがテーマとイコールになる様では芸術家として多寡が知れたところ』という図太い言葉が伝わっている。

 エセーも数多く書き残している。中でも「ブワブワのすすめ」「続・すすめすすめ勝手にすすめ」「わたしのももひざ三年尻八年」「好色の系譜を継し者」「割れ鍋に綴じ蓋」「92ダースの〇〇〇たち」などが著名なところであり、硬いところでは「河井寛次郎という哲学者」「孤独とメレコライと不染鉄」「黒胆汁気質」などがあげられる。
 対談も好きだったようだが、企画側が対談相手の打診を持ち掛けると、生来の好き嫌いが顔を覗かせ、対談日の三日前になるとコロナまたはインフルエンザを発病するという悪癖を抱えていたと洩れ伝わっている。そのため、企画側の間では「魔の三日前」という言葉がまことしやかに囁かれるようになっていたようでもある。

 ■文学賞■賞との縁は薄い。世一が一番欲しがっていた賞は「太宰治賞」だったと伝わる。今際の際にあってすら"今年度の太宰治賞"は自分かと近親者に訊ねていたと伝わっていることからも、相当、脳の働きに劣化が進んでいたことが感じられる。

 浅い夢を見ていた世一だったが、2030年版元によって、すれすれで新設された"吉行好きだったで賞"を受賞し大いに喜び、薔薇販売人から薔薇の花束を買い付け自ら闇の中の祝祭と称し祝ったと伝わる。暗室を改修して作り上げた煌びやかであり、原色の街を想わせるような派手な受賞式会場での不意の出来事、世一は「街角の煙草屋までの旅にでる。夕暮までには戻る」と云い残したきり戻ってくることは無かったようだ。会場に残された鞄の中身を関係者が確認したところ、手帳には悪い夏の休暇の予定表が書き込まれており、そのページには男と女の子の写真が挟まっていたという。

■砂の上の作品群
 飛鳥世一、その作品のすべては、様々な時代の絵画を触媒としていることが特徴的だ。ルネサンス期からバロック、ロココ、ネオクラッシックそして近代画の黎明期である19世紀中後半のヨーロッパ絵画をはじめ日本画壇の作品も"世一"の小説の中登場する。創作活動期の世一の言葉からは創作に向き合う上でのモチベーションとなったであろう言葉が幾つか覗えるので紹介しておこう。
迂闊にもこの星は画で溢れていた。
この短い言葉の中に世一が込めた思いとは何だったのだろうか。それは次の言葉に見出すことが出来るのかもしれない。

画を観ることに制限を抱えた人にあっても芸術に触れることが出来る社会
世一は自分の小説作品のすべてを音声化し、オーディオ配信していたことでも知られている。リスナーは小説を通じ、触媒として登場する絵画を感じることができ、自らの小説を、画家とリスナーの触媒とすることを目指したのである。世一は目が見えない人々を「可視制限を抱えた人々」と呼ぶのが常だった。この他、様々に病やルールを抱えた人々を呼称する際「制限を抱えた人々」「制限を持った人々」と例えるのが常だった。

どんな画にも時間が封印されており、時間を紐解く鍵は言葉である。
世一は絵画の他にも様々な「画」をモチーフとして触媒として表現したことでも知られている。例えばタロットカード、トランプ、花札、昔のレコードジャケット、ポスターなど、人間が書いた画であることという条件のもと小説とした。世一は生前その理由として次のように語っている。『人間が画を描くとき、意識せずともそこには必ず時間が封印されるものであり、それは絵画に限ったことでは無い』としている。

■世一の好物とか_______。
 完全に「蕎麦派」だったようであり、天かす狸そば、天かす笊蕎麦をこよなく愛したと伝わるが、「うどん」だけは目にするだけでアナフィラキシーショックを起こしたようだ。 
 家飯派だった。自分の作るものを愛していたと伝わる。
麻雀とCasinoは好きだったようであり、特にCasinoは強く、オランダのスキポール空港内のCasino、スペインのCasino以外は負け知らず。
『ブラックジャックはディラーを潰すゲーム。バカラは人でなしのゲームである』として好んでいたと伝わる。
 レザークラフトが好きで、気分転換には専らレザークラフトを楽しんだ。
リザードとコードバンを愛したようだ。

飛鳥世一歿後80周年を迎えた今年。
世一の遺した功績を称え、世一が小説の触媒として書いた様々な「画」を世界中から集め、その数60作品に及ぶ著名な画を集めることが出来た。
 また、世一の遺言として残されているノートが音声データーで公開されることになっており、世一の人生に関わりをもった様々な登場人物が「仮名」で紹介されることになっているが、今となっては実名・仮名の判断はつきかねるところである。

小説家らしくこの辺りは「書き物」として残したようだが、世一を知る人物の言葉によると、40才後半を過ぎた頃から世一は一切の他人の噂話、悪口はもちろん書くことも話すことも無くなったという。どうも、身近な友人たちの離婚が契機となったようであり、別れた女や別れた男、女房亭主の悪口、悪態聞くほど愚かなことは無く、挙句がヘソ下話とあってはバカバカしくも、時間の無駄であると感じたところが始まりであったようだ。

2040年 秋 飛鳥世一 絶筆の言葉
可視制限を抱えた人のために音声朗読すればよい。聴力制限を抱えた人のために文字で書けばよい。文学であるかどうかはわたしには些末なことである。何がしたいのか。その結果がたまたま……それだけのことだった。
有難いことに、わたしの歩く道には人の姿が無かった。そのお陰で、色とりどりの花も咲き、空わたる鳥は自由に歌いさえずり、梢に羽を休ませなお謳う、野生の果実が甘美な薫りを風にのせていた。
人が歩く姿、人が暮らす姿は無かった。それはさながらシーレの小さな町や不染鉄の描く村町の画のように。
 絶筆を発表した際、世一はここまでをゆっくりと______吐露するように吐き出すと手にした煙草を口に運び、ゆるりと微笑んでみせた。

『アートで辿る小説家"飛鳥世一"の世界観』
企画責任者 M.タニザキMishaジュンノスケ・ネルカモォ


本稿は完全なフィクションである。
世一

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?