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【読書感想】コンビニ人間/「輝ける場所」で咲けばいい!誰かの許可を求めず、いびつな私で生きていく。

コンビニ人間 /村田 沙耶香

 

オーディブル版

※聴き放題会員の方は、追加料金なしでお楽しみいただけます。

 

大ベストセラー本であり、第155回芥川賞受賞作品。

 

まず最初にお断りをさせていただきたい。

今年の年頭に「1日1冊!」と掲げた目標を、
ちゃっかり「年間で365冊」に書き換えたのはご承知の通り。

ここにきて、
「本って、読むだけじゃないよね。
オーディブルで聴いたのもカウントしていいんじゃね?」
と天使(悪魔?)がささやき始めだしたのだ。

「それもそうだな…」

素直なわたしはこの声に従い、あっさり受け入れることにした。

 

今年の目標は、

「年間365冊読破!(オーディブル含む!)」

である。

 

というわけで、今回は、
オーディブルで聴いた本の感想である。

 

※この記事は約6600文字、だいたい10分で読めます。

 

 

〇記念すべき一冊目

で、「コンビニ人間」である。
なぜこの本だったのか。

第155回芥川賞受賞作品、言わずと知れた大ベストセラー本。
海外でも翻訳されて、大好評を博している。

 

それは、わかった。
問題は「なぜこのタイミングで」だ。

 

なんのことはない。
オーディブルのおススメに出てきたからだ。

「朗読/大久保佳代子」

 

お笑いコンビ「オアシズ」の大久保さんだ。

あの、大久保さんがわたしのために本を朗読してくれる…。
どんな感じなんだろう…。

 

本のタイトルや著者ではなく、
朗読する人に興味を持った、というのがきっかけ。

まあ、
こういう感じで本との出会いがあってもいいだろう。

 

で、
かんじんの大久保さんの朗読だが、
「めちゃくちゃうまい」
というわけでもなく、かと言って

「なんじゃこりゃ」
というわけでもない。

可もなく不可もなく、
まぁ、こんなもんなんだろうな…という感じだった。
(エラそうにスミマセン)

 

ただ、
わたしが持つ大久保さんのイメージと、
この本の主人公「私」のイメージが
なんとなくいい感じに融合して、
本の世界観に没頭できた。

そういう意味では、この人選はグッジョブ!である。

 

 

○この本の特徴

今回、感想を書くために図書館から本を借りてきて驚いた。

この本、目次がないのだ。

章立てがなく、最初から最後までがひとつの文章になっている。

小説だからなのか、それともこの作者がこういう書き方をする人なのかはわからない。
(ちょっと興味あるので、他の本も読もうかな)

オーディブルで聴いてたときは、違和感はなかった。

 

この本は、主人公「私」の視点で描かれている。
彼女はこどものころからまわりから浮きまくり、
人間関係に難を抱えている。

(そういうところはわたしと同じで、
はからずとも共感してしまった)

本文には出てこないけど、発達障害の可能性がありそうだ。

そんな、ひとクセもふたクセもある主人公「私」の世界観を演出するために
あえて、章立てをせずに「ひたすら自分の視点だけで物語が進んでいく」という、クセの強い構成を選んだのか。

そういえば、この本には「はじめに」も「おわりに」も、ない。

主人公の独白感をだすためにあえて、余計なことを省いたのかもしれないな、と思った。

 

 

 

 

※※※※※

 

以下、多少なりとも「ネタバレ」を含みます。

 

※※※※※

 

 

 

〇残酷な二極化

「私」はこどものころからまわりと同じように考えられず、他の人から変な子と思われていた。

 

ある日、公園でペットらしき小鳥が死んでいるのを見つける。

「かわいそうだから埋めてあげよう」という母親に対し、
「お父さん焼き鳥好きだから、食べようよ」という「私」。

慌てふためく母親。

そりゃそうだ。
死んだ小鳥を見て「食べよう」と言い出す娘に対して
それ名案!なんていう親がいたらそっちの方が問題だ。

 

彼女と同じく“変な子”だったわたしは、
「さすがに、ここまでのことはなかったなぁ…」
と、ちょっとだけ安堵。

あれ、でも、ちょっと待って。


キレイでかわいい小鳥は愛玩動物として可愛がられ、死んだら土に埋められる。

キレイでもない、かわいいかどうかさえ気にもかけられない鶏は
命を奪われ、食用として食卓に上る…。

誰かの都合によって選別され、排除され、搾取される。

それは「鳥」に限ったことではない。
「人間」だって同じことなのだ。

このエピソードは、彼女の“源流”として描かれているだけではない。
本書を通して流れ続ける

普通や平均という、世間一般から外れてしまった“異質なもの”は
集団から排除され、搾取されてしまう、
というテーマにつながる欠かせない要素のひとつとなっている。

 

 

結局「かわいそうな小鳥」は、母親によって、

「立ち入り禁止」と書かれた柵の中に穴を掘って埋められ、
誰かがゴミ箱から拾ってきたアイスの棒が土の上に刺されて、
花の死体が大量に供えられた。

<引用>

自分はいいことをしているんだから、ルールを破っても構わない。
ちゃんとゴミ箱の中に入れられていたゴミを、わざわざ散らかす。
生きている花を殺してまで、死んだ小鳥のために花を手向ける。

 

理不尽で、非合理で、矛盾に満ちた世界。

「私」には、このように映ったのだろう。

ちょっとだけ、「私」の気持ちがわかるような気がしたわたしは、
きっと彼女と同じように、やっぱり“変な子”なんだろうな。たぶん。

 

 

○みんな何かに「擬態」して生きている

「私」の視点で世界を切り取り、
「私」の視点で現実をとらえていく。

目の前に繰り広げられる世界も、
自分の身に起きた出来事も、

まるで感情がないかのように、
たんたんと、「事実」として処理されていく。

当事者として、
その場にいる一員としてというより、
どこか常に、
ガラス板一枚へだてた「向こう側」から世界を眺めている。
そんな、たんたんとした語り口調で物語は進んでいく。

 

朝になれば、また私は店員になり、世界の歯車になれる。そのことだけが、私を正常な人間にしてくれるのだった。

<引用>


 

そんな彼女が常に気にしていることは、

上手に「人間」ができている

<引用>

 のか、ということ。


「普通であること」「正常な人間」

意識して他の人の口調をまねたり、服や持ち物をとりいれたりする。

そうすることで、なんとか「平均的」で「無難」で「当たり障りのない」人間になろうとする。

これこそが「私」が考えた、生きる術なのだ。

 

友人との集まりで、
「36歳になっても結婚もせず、相変わらずバイトしている」理由をきかれ、
「カラダが弱いから…」とウソの理由をでっちあげてまで、守ろうとしたもの。

それは、他人から干渉されない自分だけの世界。

 

「なるほど、それならしょうがないね」と納得してくれる
巧妙な言い訳がないと、

まわりの人は安心できずに、
「どうして~?」「なんでなんで?」と干渉してくる。

それから逃れるためには、それらしい言い訳が必要。
それが真実かどうかは関係ない。

そしてそれは、質問してきた側の人間にとっても同じこと。

真実である必要なんてない。

納得できるかどうか。

いや、
相手だって、本気で納得したいわけじゃない。

目の前の人間が、得体の知れない、自分の理解を超えた存在になったとたんに恐怖の対象になってしまう。

それがイヤなだけなのだ。

だから、真実かどうかは関係なく、
納得したフリができる程度の言い訳でありさえすればいい。

 

そもそも、

どうしてわたしたちは、
自分の人生を他人に納得させなければいけないのだろうか、
という疑問がわいてこないこともない。

でも、そんなことを考えるくらいなら、
目の前の人が不安にならないように、
それらしい理由をつけ加えて、
納得できるような言い訳をプレゼンしてあげればいい。

納得できる「カタチ」の中に入ってさえいれば、
相手は安心できるのだ。
そのほうがお互いに平和に生きていける。
たぶん、そうなんだろう。

 

まわりの人を不必要に心配させない。
それも人間関係における気遣いの一種なのだから。

 

みんな擬態して生きている。

本当の自分のまま生きているなんて
幻想なのかもしれない。

自分が自分であるために、言い訳が必要。
だから、
必死でまわりが納得してくれる理由を探している。

そして、
他人を納得させるための言い訳を
みずから咀嚼して、飲み込んで、“腑”に落としていく。

そうやって、新しく自分自身を創り変えていく…。

 

 

○「だめんず」を笑えない…

そんななか、「私」が勤めるコンビニに新人のアルバイトが入ってきた。

名前は「白羽さん」

能書きだけは一人前。
言うことは立派(そうに聞こえるだけ)だけど、
行動がまったく伴っていない。

さぼり。遅刻。言い訳。

みずからも「コンビニ店員」でありながら、
コンビニ店員を「底辺」呼ばわりする。

誰かの受け売りなのか、何かあると
「縄文時代は…」と、2000年以上前の話を持ち出す。

そのくせ、
「自分には温めているネットビジネスがある。確実に儲かる。それを今言っちゃうとマネされちゃうから絶対に言わない」
とかなんとか言い出す始末。

彼は、典型的な「だめんず」だ。

ここまでわかりやすいと、かえって「すがすがしさ」さえ感じてしまう。
それほどまでにわかりやすい「ダメっぷり」を発揮してくれている。

 

「私」と「白羽さん」

コンビニでの働きっぷりは正反対なのに、
どこか似ているところがある。

 

ふたりとも、
「本当の自分」をどこかに置き去りにしている。

そう思った。

 

擬態を繰り返し、
そのままの自分でいられなくなってしまった「私」

現実を受け入れられず、
他人を見下すことでしか自分を保てなくなってしまった「白羽さん」


自分を守るものをなにひとつ持たず、
むき出しのままで生きているふたり。

傷口が乾かないうちに、別のところに傷ができる。
ただただ、「痛々しい」だけだ。

 

そんなふたりが、どういうわけか、共同生活を始める。

「同棲」とか「シェアハウス」とか、
そんな甘ったるいものではない。

問題を起こしコンビニをクビになって、行くところがない白羽さんを、
「私」が飼うことにしたのだ。

「私」にとっても、“これから起業する彼氏(?)”と同居していれば、
世間的にも「普通の人」として認められる。

単に、「お互いの利害が一致した」というだけの
共同生活が始まった。

それを知ったコンビニアルバイト仲間が、
「よかったじゃない!」「お似合いよ!」と
祝福しだす。

白羽さんのことを散々
「犯罪者」だの「気持ち悪い」だの
「早く逮捕されればいいのに…」とか言ってたくせに。

だいたい、
その「キモイ」「犯罪者」と「お似合い」って…。
どういうことやねん!
彼女のことも、そういう風に見てたんかい…。

あからさまな手のひら返し。
心から喜んでいるのではなく、
“やっかいもの”と“かわりもの”がくっついたという、
“ペアリングの妙”を、無責任に面白がっているだけだと思った。

思わず苦笑いが出てしまう展開だが、
当の本人たちはまんざらでもない。

世間様に対して申し開きができる、
確固たる「言い訳」「大義名分」が成立したからである。

どうしてそこまでして、
自分の人生を世間に納得してもらわなければいけないのか。

 

と、
そこまで考えて、「ハッ!」と気づいた。

もしかしたら、わたしも同じなのではないか。

わたしが外に働きに出ないのは、
重い障害をもって生まれてきた次男の、お世話をしなければならないため。

そういわれると、
「まあ、そうだよね」
「大変だけど、がんばって」
みんな納得してくれる。

 

でも、本当にそれだけか。

パートやアルバイトの面接に行っても
ことごとく「不採用」。

「わたしはいらない人間なのか」

こころが折れて、求職活動をあきらめた。

そんな現実から目をそらす言い訳として
都合のいいように使っていただけだったのかもしれない。

Kindle出版だって、大した成果は出ていない。
なんとなく「副業ごっご」を楽しんで
なにかやった気になって、悦に入ってるだけ。

「…わたしは、このふたりをバカにすることはできないな…」

本当にこころが強い人、自分軸で生きている人は、

他人が自分の人生に納得するかなんて、考えない。
たとえ、批判や嘲笑の対象になったとしても、動じない。

それは、自分がその生き方に納得しているからだ。

 

誰かに納得してもらわないといけないと考えてる時点で、
その誰かに「依存」して生きている。

 

真の自立、大人になるってことは、
誰にも許可や納得を求めず、
自分の判断で人生を描いていくこと。

 

他人を納得させることよりも、
自分が納得できる生き方を選ぶ。

まわりに振り回されず、
他人に干渉させず、
自分軸で生きていくために必要な、

忘れてはいけない考え方だな、と思った。

 

 

〇いびつでデコボコな「私」

「コンビニ人間」

この本のタイトルは、“ダブルミーニング”。
つまり、二重の意味を持っているのだ。

①コンビニエンスストアでしか働くことのできない人間
②コンビニエンス=便利な、都合のいい人間

 

社会にとって。
コンビニ経営者にとって。

集団から外れた“異質な存在”としての「私」は、
都合のいいあつかいをされても、それを受け入れてしまう。

みずからすすんで引き受けることでしか、
自分の存在価値を感じられないかのように。

 

「私」は、「白羽さん」にそそのかされて、
コンビニのアルバイトをやめ、派遣の仕事の面接に行くことになった。

「白羽さん」に働く気がなく、「私」にもっと割のいい仕事をさせて稼がせようとしていることは、誰の目にもあきらかだ。
きっと、「私」だってわかっている。

より、世間が求める、納得してくれる「カタチ」をつくるためには、仕方がないことなのだ。

 

面接の途中でコンビニエンスストアに立ち寄った。
店内を見渡してみる。

すると、どこからともなく

「コンビニの『声』が聞こえるんです」

<引用>

「コンビニ人間」として覚醒した「私」は、「白羽さん」にキッパリと宣言する。

 

「気が付いたんです。私は人間である以上にコンビニ店員なんです。人間としていびつでも、たとえ食べて行けなくてのたれ死んでも、そのことから逃れられないんです。私の細胞全部が、コンビニのために存在しているんです」

<引用>

「そうだ!いいぞ!もっと言ってやれ!!」
気がつくとわたしは、彼女を応援していた。

 

彼女は、いったんコンビニの仕事を離れたことで、
あらためて自分の本質に気づいたのだ。

 

世間体やまわりの目よりも、
自分の本能に忠実に生きよう!

他人に自分の人生を納得させるより、
自分で納得できる人生をおくろう!

人間としていびつでも、
コンビニ人間としてなら、生きていける。

 

誰かの許可も、納得も、もういらない。

 

実際、彼女の仕事ぶりは
そんじょそこらの「人間」どもには到底及ばない。

プロ=卓越した知識や経験がある人

というだけでなく、

自分の仕事に誇りを持ち、常に万全の状態で臨むこと

だとすれば、

彼女は間違いなく“プロコンビニ店員”である。

 

 

世間では、華やかに脚光を浴び、成功している人だけが注目される。

光あるところには、闇もある。
スポットライトを浴びてる人のすぐそばにも、人はいるのだ。

 

どこにでもある、身近な空間「コンビニエンスストア」

みずから光を放ち、24時間輝き続けるのは、

そこが、
「コンビニ店員」という役を演じきっている「コンビニ人間」の
「晴れ舞台」だからなのかもしれない。

 

 

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