見出し画像

能登の復興をどう考えたらいいか

ひろゆき氏が能登の復興がまったくなされていないと憤慨している動画がABEMAから流れてきました。

これによると、能登半島の復興はまず人命救助、次に道路、そして上下水道等のインフラ、それらと並行して仮設住宅等の整備、その後ようやく住宅や街の解体や修理となるそうです。

そして水道の工事は非常に時間がかかり、全国から工事業者さんが能登にやってきて対応してそれでも3か月くらいかかったらしく、そして水道が通り能登に作業の拠点を置いて対応できるようになったのがつい最近ということで、結局水道の復旧がすべてのボトルネックになっていたようです。

現在はようやく本来の復旧ペースに近づきつつあるようで、さらにそれが加速して困っている人たちに少しでも多くの助けの手が届くようになるといいなと思います。


しかしひろゆき氏やABEMAのアナウンサー(?)の方はそういう状況に対し、復興の推進力を行使しなかった政治に対し非難の声を上げていました。

そしてその怒りの演出の裏にはこのようなメッセージがありました。
「政治が能登を見捨てているから復興が遅れている」と。

確かに輪島やその周辺地域の政治家のうち野党の方一人しかこの番組への出演依頼に応えなかった(次の回には与党も出演していましたが)ことから、政治的にこの問題に正面から対応するつもりはないという姿勢は明らかです。

そして、ひろゆき氏が皮肉たっぷりに「日本の皆さんが能登を見捨てることを決めた」と言ってその番組は終わりました。


なぜそうなったのか


2011年の東日本大震災以降の復興にかかった費用は今までの累計で30兆円を超えています。
そしてそのうち10兆円以上が土木系の復興と津波対策等に使われました。

しかしそれだけの費用をかけて元通り、いやそれ以上に強固な街を作り上げたにもかかわらず、震災後の10年で被災地の多くは全国平均を大きく上回る人口減少率を記録しました。

震災の復興が「地震の被害を直す」だけでなく、「被災地を元に戻しその後永続的に発展させる」目的だったとしたら、この結果は大きな失敗と言わざるを得ません。

そしてそのために掛けた莫大なお金はもう二度と回収できません。
誰も住まない地域を新品同様に修繕しても何も生み出さず国民に借金が残るだけ、という前例が出来てしまったのです。


そうした失敗を教訓に、この能登半島地震の復興は費用対効果を考えて行うべしという厳命が下っていると考えるのが自然です。

それに対し表層的に反対を唱えることは簡単ですが、もし東日本大震災の復興税の上にさらに能登半島地震等の復興税が積まれたら、きっと能登を見捨てたと叫んだ人の大半は同じ口で「税金を上げるな」と言うでしょう。

私ももちろん能登のいち早い復興を願ってはいますが、能登の復興は東日本大震災並みに行われるべきだからそれに伴い税金が上がるのも我慢してね、と言われたらさすがに簡単に賛成とは言えません。

能登地域は東京都とほぼ同じ面積にもかかわらず人口は30万程度(東京都の50分の1)しかおらず、地震の前から過疎が進んでおり、主要インフラの修復→都市部の復旧→その他は今後の人口動向を踏まえた限定的な復旧、という形に誘導するのは、良い策とは言えませんがやむを得ない気がします。


これから日本で起きること


南海トラフ地震等、発生がかなりの確度で予測されている災害が発生したら、今後は間違いなく同じ策が取られます。
例えば、紀伊半島の南半分や高知県、宮崎県のような過疎を多く抱えた地域では、今回とまったく同じ対応が繰り返されるでしょう。

さらに、地震で崩れやすい山間部の斜面や液状化しやすい低地、高い津波がやってくる可能性が高い地域、交通インフラが寸断されると長期間孤立する恐れのある地域はそうなる可能性がとても高いです。


南海トラフ巨大地震の震度分布(予想)

そしておそらく静岡、愛知、三重、大阪に近い地域の復興が優先され、半島の先や交通網のない海岸周辺等の過疎地域は後回しにされます。

むしろ、これだけ繰り返し詳細に南海トラフ地震と津波の可能性を伝えられている地域は移住を含めた回避策を取る必要があり、お金をかけるならその対策に掛けたほうが良いはずです。


…と、ここまで理想論を書いてきましたが、長年住んだ地域を去るなんて本当に簡単なことではありません。
過疎地域で高齢者が多ければなおさら難しいです。
同じような意図で進められているコンパクトシティ構想も多くの場所でうまく行っていないようです。

私のもう亡くなった祖父母の家はかなりの田舎にあったんですが、仮に「そこに遠くないうちに災害が来るから移住しろ」と言われても、あの祖父母にそんなことは不可能だし無理強いもさせられなかっただろう、というのはよく分かります。

でも人が減るってそういうことなんだと思います。

住民として当たり前の権利や自由が保てなくなり、結局最後はそこから強制的に退出させられます。
かつての炭鉱等で栄えた町はすべてそうなりました。


これだけ過疎と少子化が進んでしまったのであればもう昔に戻るのはあきらめて、どうしたら人が減ってもよい生活を維持でき、工夫してもっと良くできるかを考えるほうが良さそうです。

ひろゆき氏のような人気者を使い同情心に訴え政治の不備を叫ばせるパフォーマンスを行うより、そっちの方がよほど大事ではないでしょうか。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?