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「ここのところずっとね、家に帰るたびね、エレベーターで十階まであがるんだけどさ、こわいの、じぶんの部屋にはいるまで、こわいんだ」 お酒はあまり強くないけどどうしようもなくたくさん飲んで酔っ払った先週末、たぶん相当に酔ってたんだと思う、帰りのタクシーで泣きじゃくりながら友達に電話していた。他にも大泣きしながらなにかをうったえてた気がする、助けて、助けてって、きっとそれがいま一番強く思ってることなんだと思う。 ここ二、三日で仕事が本気で頭が回らなくなってきて、じぶんでなに話し
はやかわです。酔っ払いました、職場の同期、といっても七年来の友人と呼んだ方がいいのか、いややっぱり友人というのも違うな、カテゴライズできないそのひとと酒を飲んで楽しくなっています。寝る前に書きたいように書き殴らせてください。いろいろ書きます。 友人というカテゴリってここのところずっとよくわからない、ぼくたち友達だよね、みたいな感覚がいつからかぼくにはなくなっていることに最近気付いた。そのひとはそのひとだ。会話を成立させるために「職場の同期」とか「高校時代の友人」みたいな表
なんやかんやそんなこんなあーだこーだでもう三月にはいってしまった、しかも三月にはいったかと思えば、もう三日も経ってしまった。そもそも二月ってあったっけ、そう言いたくなるほどに時間が過ぎるのはとてつもなくはやかったんだけれども、毎日なにか起きていたので二月がなかったなんてのはぜったいに嘘で、本当にお疲れさまでした、よく頑張りました。 嬉しいことも嫌なこともたくさんあって、嫌なことについてはもうここで話すようなことでもないし早く忘れちゃいたいんだけど、やっぱり職場でもうむりだ
本をいっぱい買って読み始めた、旅行のために飛行機を予約した、またぜったい食べたいと思ったくらいにおいしいラーメンを食べた、ポートレート写真を撮ってレタッチもした、アニメはどちらかというと興味がないのだけれど同僚がおもしろいと言っていた葬送のフリーレンをみた、もうすぐクリスマスなので家でクリスマスソングを流し始めた、先々週と先週のことだ。 今日、午前中に起きて散歩をした、洗い物をした、部屋の掃除をした、ゴミ出しをした、恵比寿から中目黒まで歩く途中のお店で、また食べたいと思っ
投薬の副作用がないかを確かめるからと血液検査を受けた。検査結果に異常はないよと結果の説明を受けた。よかった。 今日は早めに寝ようと思って、いやどちらかというと居眠りで薬も飲まずに二十時くらいに寝始めたんだけどやっぱりボロボロで、怖い夢にずっととじこめられてたかと思ったら、起きたら二時間も過ぎていなかった。最近よくみる夢で、これは夢だなとわかって目が覚めるんだけどそれもまた夢の中だっていうのを繰り返す夢、基本的に布団の中で金縛りに合うってパターンが多いんだけど、寝た気がしな
はやかわです。書き殴ります。暗いし支離滅裂です。 精神状態はよくなったり悪くなったりするんだけれども、そういえば最近いい状態っていうのがなくて、それはべつにぼくがゲイだからとか関係なくて、いやもしかしたらぼくがゲイじゃなかったらその分のストレスはなく生きられていたかもしれないから、っていうかこの世界にもしかしたらっていうものはない。もしぼくがゲイじゃなかったらっていうのは、人生が百八十度変わっちゃうかもしれないくらいのもしかしたらだ。だれもが幾重にも偶然や必然を積み重ねて
もう十年弱も前、某緑のエプロンのお店でアルバイトをしていて、お客さんが笑顔になって帰っていくのが最高に好きだった。スムーズなやりとりを求めているひと、ちょっとしたコミュニケーションを求めているひと、商品の知識や案内を求めているひと、純粋にコーヒーが好きなひと、ニーズは様々で、お客さんの様子を見て探っていくのがちょっと得意で、とても楽しかった。 効率のいいオペレーションだったり後輩の育成だったりは苦手だったので躓くことも多かった気がする。いまの会社に入社して相当程度が経って
時間は平等に過ぎていくと言うが、そう言いきるのは傲慢だ。全然平等じゃない。同じように移り変わるものは何一つとしてない、ただ時間という一つの尺度や概念があるだけだ。だれも同じように年をとらない。同じ時間をかけたとしても勉強や運動の定着の程度はまるで違う。特定の何かにかけられる時間はそのひとのおかれている環境に依存する。時間は平等に過ぎていくが、それはただ時間が平等に過ぎていくだけで、平等にリソースが与えられているわけではない。 そうは言ってもどうしようもないなと思う。どう
はやかわです。 ようやく仕事の繁忙期を終えました。もうへとへとです。でももう終わったのでしんどかったこと忘れてしまいました。 三十歳になりました。めでたいですね。 誕生日って最高ですね。大前提としていつだってぼくはぼくの人生の主人公なのですが、誕生日はもうだれがなんと言おうとぼくが主人公じゃないですか。誕生日じゃなくても毎日生きてるだけでえらいと思っていますが、とりわけ誕生日は、今日までちゃんと生きてこれたのえらいって、赤飯炊きたくなりますね。 仕事も落ちついてき
はやかわです。 冬、冷たい風がふいて今日は寒いなと感じるとき、ああいま生きてるんだなって感じます。夏の蒸し暑さに汗を滲ませるとき、ああいま生きてるんだなって感じます。朝、目が覚めて、今日も生きててよかったって思います。夜ふとんにはいるとき、今日も生きててよかったって思います。そのどれもが嬉しくて、ついにやにやしてしまいます。 桜の花が苦手です。いやな思い出があるわけでもないし、その造形がきらいなわけでもありません。そして桜の季節が終わると、少し安心します。 ぼくは
はやかわです。 昨日はじめて行った珈琲屋さんのお豆がとても好みでした。やさしいなと感じました、お豆の味も店員さんも、一緒にお店に入ったはじめましての彼も。 ぼくは珈琲が好きです。 珈琲が好きというと、毎日珈琲飲むのかとか、どれくらい珈琲飲むのかとかよく聞かれます。また珈琲が好きなひとと話すと、缶コーヒーやペットボトルの珈琲はおいしくないと嬉しそうに話します。うんざりします。 大学生のときに珈琲屋さんでアルバイトをしていたので、広く浅く知識があります。フレンチプ
はやかわです。 男女の恋愛でも男同士の恋愛でも変わらないなと思うことがあります。それは外見至上主義と年齢の呪いです。相手が男だろうと女だろうと、多くの男が相手に外見や若さを求めます。その裏返しとして、容姿が得意なひとや若さが武器になるひとはその価値に振り回されて消費される商品となり、容姿にコンプレックスのあるひとや若さのピークを超えたと感じているひとはそのことに悲観しています。マジョリティの男性が女性に求めるものの傾向や、マジョリティの女性が感じている恐怖は、恋愛対象を
「太っているのはじぶんに甘いだけだろ、デブは人間じゃない」 反芻する。数日前または数週間前にSNSで流れてきた呟きだ。正月太りは甘えだ、おれはこんなに鍛えているぞという趣旨の呟きだった。どんな風貌だったかは曖昧であるが、メディア欄にはその鍛えたからだがずらりと並んでいたことを覚えてる。 「そんな言い方しなくてもいいのにね、直接向けられた言葉じゃないかもしれないけど、その言葉に傷付くひとがいるわ」 仲のいい友人にそのことをこぼした。そんなくだらないことで悩まなくていいと、
薬指の指輪を見ると、勝手にマウントをとられた気になることが最近増えてきました。彼らにその気はありません。ただ夫婦の証として指輪をしているのみです。いつもそんな気持ちになるわけではありません。しかし、確実に目を背けたくなる頻度が増えてきました。 今年で三十歳になります。友人や職場の同僚は、ひとり、またひとりと結婚していきます。家を購入したり、出産を控えたひとたちも増えてきました。周りのライフステージがどんどん変わっていくのを感じます。結婚の制度がないこと、血のつながった子