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スマホ社会の中で子どもたちが失ったもの

こんにちは!ぽん先生です。
最近は更新頻度がガッツリ落ちてしまいました・・・が、
まだまだこのnoteでやりたいことはたくさんあるので、できる時に気楽に更新していきたいと思ってます!

さて、今回のテーマは子どもとスマホ。
今の子どもたちは、生まれた瞬間からインターネットやスマホが当たり前にある時代を生きていますね。
そういう私も中学生の頃には友達のほとんどがスマホを持っていましたが、今やスマホは生活の一部に取り込まれていると言っても過言ではないでしょう。
そんな中で、子どもたちにとってスマホはどのような弊害を生むのでしょうか。
目が悪くなる?
勉強に集中できない?
コミュニケーションが苦手になる?
どこかで見聞きしたような話は今日はしませんよ。
それでは一緒に考えていきましょう。


スマホによる子どもへの弊害

皆さんは、「子どもがスマホを多様することによる弊害」というと、どんなものを想像しますか?
色々あると思いますが、私は五感を使う機会を失ったことだと思っています。
例えば、スマホがあればそれでなんでも調べることができますね。
文字でも映像でも、画面を見ればそれだけで何でも分かってしまいます。
ところが、ここには大きな誤りがあるんです。
それは画面を見るだけでは分かったつもりになっているからです。
その昔、私はN響の師匠から「CDなんてただの記録だ。あんなもの音楽じゃない」と言われたことがあります。
当時はその意味が分かりませんでした。
今になってようやく分かるのが、音楽と五感の全てで楽しむものだということです。
本当の意味で音楽を楽しみたいなら、コンサートへ行かないと分かりません。
あの日、あの時間、あの会場に、たまたま集まった観客、そして演奏者。
全てが合わさって音楽になるんですね。
だから、あの独特な張り詰めた空気、緊張感を楽しめる。
でも、スマホで音楽を流しても「聞く」という五感のうち1つしか使っていません。
これでは音楽を聞いているだけ。
本当の意味で音楽を楽しむことができたなら、それは「音楽を味わう」でしょう。
このように、ただ見るだけの目の前の映像こそがこの世界そのものだと子どもたちに感じさせてしまう。
これこそが、まさにスマホの弊害と言えるのではないでしょうか?


大人には大人の弊害が

もちろん、これらは子どもに限った話ではありません。
例えば大人だと、うつ病や躁うつ病の患者さんは年々増えています。
これらの原因として、例えば職場での人間関係が挙げられますよね。
こういった心の病気の前には、必ず身体に異変が起こるんです。
でもね、そういった微妙な体の変化だったり、自分自身の不調だったりを感じ取れない人がすごく多いことが一つの原因になっていると思うんです。
だってね、うつ病なんかになる前から、ずっと身体は「今の生活を続けたらダメだよ」って話してくれてるんですよ?
「なんか胸がスッキリしない感じがする」とか、「丹田がいつもより重い」とか、はっきりしなくても何かそういうサインは必ずあるんです。
でも、それよりも”考え”を先行させてしまう。
「会社に迷惑をかけてしまう」
「上司からの期待に応えたい」
そればっかりになってしまっている人は、完全に感覚の世界から飛び出してしまっていることが分かると思います。
「その異変を無視することでようやく社会に自分の居場所を作っている」とも言えるかもしれません。
いずれにしても、今のこの風潮は異常だと思います。
ところが、そうやっていうと「そんなバカなことはない」って言う人も中にはいるでしょう。
でもね、”直感”みたいに「無いものを感じ取れ」っていってるんじゃないんです。
「目の前にある自分の身体が発する何かを感じ取れ」って言ってるんです。
まぁそれが難しいんですけどね。

とはいえ、もちろんそれ以外の原因もたくさんあるでしょう。
でも、コロナ禍で外出の自粛が原因で精神疾患やそれに近い状態になってしまった人が多くいることを考えると、五感を使うこと自体が生き物である以上、やっぱり自分の身を守るのに1番必要なことなんですね。

他にも、トランスジェンダーだってそうでしょう。
体の声を聞いていたら・・・どうですか?
これ以上は言いませんが、考えだけでできた世界の中で、私たちはどこへ向かっていくのでしょうか?
ちなみに、私はトランスジェンダーに対して差別的な考えを持っているわけでは全くありませんよ。
個人の自由だと思っていますし、友達にもそんな子がいます。
ちょっと誤解を招くような例えだったかもしれませんが、それだけになってしまっては自然界(生き物としての在り方)とかけ離れていってしまうということを説明したかっただけです。


考えるな、感じろ!

よくできた言葉ですよね。 「考えるな、感じろ!」
でもね、脳みそからしか感じられないものだってたくさんあるでしょう。
だから、考えることがダメなんじゃないんです。
でも、そればっかりになっているからおかしなことになってしまう。
じゃあどうしたら良いと思いますか?

それは、「なんか上手くいかないなぁ」って日の身体の感覚を覚えておくことです。
調子には波があると思いますが、「あ〜今日はダメだったなぁ」っていう日は必ず身体が何か言っています。
その感覚が分かってきたら、毎朝決まった時間なんかにふと自分の身体の声を聞いてみる。
「あ、これもしかしたら不調が来たかな?」って思ったら、いつもより慎重になって仕事を進めるように気をつけてみる。
こういう感覚の世界っていうのは、とにかく繰り返して経験を積むことしかないんです。
自分の身体なんだから、大切にしてくれるのは自分しかいないんだから、自分がしっかりと話を聞いて身体と向き合いませんか?
もちろん調子の良い日もそうでない日も、毎日身体はあなたに何かを伝えてくれているんですよ?
でも、社会の中で上手く活かすコツとして、まずは不調を感じ取るということを言ってるんです。


さあ!出かけよう

それじゃあ、子どもの話に戻ります。
私たちは、子どもにどうしてあげたら良いのでしょうか?
私なら、子どもと一緒に出かけます。
ショッピングじゃないですよ?
公園です。
公園じゃなくても、道端の草で遊び始めたらそれだけで良いんです。
時間があれば海でも山でも良いですし、できれば自然と触れ合える場所が良いと思います。
スマホといくら向き合っていても、それは「考え」や「想像」にしか繋がりません。
でも、家から一歩飛び出してみれば、そこは感覚が優位な世界です。
大人は外に連れていってあげるだけ。
あとは勝手に遊ぶんです。

この前水族館にいったんですけど、スマホで魚の写真を撮る小学生とかそんなのばっかりなんですよ。
呆れますよね笑
なんで実物が目の前にあるのに、画面越しの魚しか見ないんだって笑
一眼レフなら良いですよ?ピントを合わせてとか、まだ身体と一体感があるから。
でもね、そういう子を見てると面白い発見がありました。
ある時を境に全く写真を撮らなくなるんですよ。
なんでだと思いますか??




それは感覚の世界に入ったからなんです。
ようやく五感を使い始めたんです。
そういう私も同じ経験があって、私は思い出のためと思って家族の色んな瞬間を写真に収めるようにしています。
ところが、旅行のように長い時間を過ごしていると、「写真も撮りたいけど、今を楽しみたい」ってなってくる。
というよりかは、「あっ!写真を撮ることを忘れてた!」みたいな。
面倒っていうよりかは、今この瞬間を楽しんでいるから写真(を撮るという考え)まで頭が回らなかったみたいな。
そんな感覚になるんですよね。
とにかく、感覚の世界って「今」「ここ」「その瞬間」なんです。
それを味わうには外に出てみたら良い。
子どもと一緒に家から1歩出てみませんか?

いかがですか?
これから先、私たちの生活からスマホがなくなることは考えられるでしょうか?
最近は、「子どもの主体性」が未来を担う上で最も重要とされていますが、それと同じくらい「身体の感覚を拾い上げられる子」も重要だと思います。
子どもにとって、その最たるものが「遊び」であり、スマホの弊害は子どもが外で遊ばなくなってしまったことにあるのかもしれませんね。

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