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自分の欲求と子供への影響。

1歳の次女がチョコのことを「こちょ」
スープのことを「ぷーす」
と言うのが堪らなくかわいくて
毎晩次女に向かって「チョコ!スープ!」と言い続けてるおじさんです。
#すんげぇかわいい


先日、地元のバスケ繋がりの先輩からこんなDMをもらった。

「バスケに未練はないんだが赤石くんの同世代とか後輩だったら一緒のチームでバスケしたかったなーという心残りだけは実はあった。バスケやってる人にあれだけ尊敬されてて人が集まってくるのは素晴らしい。俺のが年は上だけど憧れます」

褒めてもらえて素直に嬉しかった。さらに、

「赤石くんがスクール開けばすぐにビジネスになるんじゃない?」

と。
この先輩はすでにいくつも会社を興している人なので、先見の明があるかもしれない人にこう言ってもらえるのも嬉しかった。それに、このお誘いは過去に別の人たちからも受けたことがある。

自分でも、考えなかったわけじゃない。

興味はないといえば嘘になる。

うん。

自分でバスケスクールやること、人を育てることはやってみたい。

そんな欲求は間違いなくある。それが素直な気持ち。

でも、今すぐやるつもりはない。

今、その理由を、自分の中でぼんやり思っていることを書き残しておこうと思う。

その先輩にはこう答えた。

「自分がスクールやると子供もバスケに引っ張られそうで。バスケ以外にも色んなことに目を向けてもらいたいので、もう少し大きくなるまでは変に誘導しちゃわないように生きていきます笑」

なんでこんな風に考えてるのか、自分の中では割と明確で


自分がそうだったから。


両親共に教員で、バスケ部の指導をしていた。ふたりとも経験者。

なんなら父親は選手時代からそれなりに有名で、指導している部活も強く、県内ではみんな知ってるような感じ。

そんなこんなで、物心ついた時には体育館にいた。

日曜日も、祝日も、家族でどこかに出掛けたという記憶があまりない。

父や母の部活についていって、ステージの上や体育館の端っこ、教官室の風景が思い出される。弟と一緒に中学生や高校生のお兄ちゃん、お姉ちゃんにかまってもらってた記憶ばっかり。

そんな幼少期を過ごしたからか、何の違和感もなくバスケをはじめていた。自分からやりたいって言ったのか、親に促されてはじめたのか覚えてない。

仲の良いともだちが野球をやってて、一瞬興味を持って見学に行った記憶もある。昼休みにはサッカーをやっていた。
#Jリーグ全盛期

バスケが自分に向いていたかと言われれば、それなりに向いていたのかなとは思う。ミニバスは普通のチーム。強くも弱くもなかった。中学は県大会にも出たことなくて、市で3位が最高成績。なのに県選抜なんかに選ばれたから、周囲の視線が痛かったのをよく覚えている。
#絵に書いたような親の七光り

どこの高校から声が掛かることもなく、一般入試で進学する予定だった。勉強はそこそこでバスケ部もそこそこ強い高校に行くつもりだったんだけど、いきなり当時全国ベスト16まで進んだ県1位の高校と練習試合をすることになった。おそらく、父がお願いしたんだと思う。
県で1位のチームが市3位の弱小中学校を相手にするなんて何かの見えない力が働かなきゃありえない。

当時の俺といえば、その高校の強さが分からないくらい凡人だった。
#レベルが違いすぎて興味すらなかった

練習試合は当然ボッコボコにされた。
自分が何できたかも思い出せないくらい何もできなかったんだと思う。
唯一覚えているのは、帰り際に高校のコーチの後ろを通ろうとした時

「赤石、今身長いくつだ」

って聞かれたこと。「175cmです」って答えたら

「そうか。じゃあまだ伸びるな」

って言われたこと。

数日後、父から「小野先生(そのコーチ)が樹徳(高校)に来ないかと言ってくているぞ」と伝えられた。

すぐに察した。父がプッシュしてくれたんだろうなって。

まさかのできごとで急な方向転換だったけど、チャレンジしたい気持ちはあったから飛び込んだ。同期には、県内1~3位まで主力が揃っていた。県選抜で一緒だったから顔なじみではあったけど、これまた実績や実力差はとんでもなかった。
#無知の怖いもの知らず

高校ではスタイルがバチッと合ったからなのか、コーチがすぐに試合で使ってくれて経験を積めたからなのか、それなりに結果を残せた。
個人としては高校2年と3年時に県ベスト5に選んでもらった。
国体メンバーにも入れてもらって関東で優勝した。
チームとしても全国出場まで進めた。

(※大学もバスケで進学するんだけど、この話はまた今度)

そして今でも社会人チームでバスケをやっている。
県で優勝して関東ベスト4、オールジャパンの本予選に出たりとこれまたそれなりに結果を残せた。
#結構すごいことかもしれない

まぁ、結局バスケありきの人生をずっと生きてきている訳です。

でも、ふと思うことがある。


他の可能性はなかったのかな?


あまりにも必然的にバスケありきの人生を歩んできた。
色んな人に出会って、仲間もできて良い人生だと思ってるけど、ふと思う。

俺が今でも自分でバスケやっているせいで、子どもたちにとっては他のスポーツよりもバスケに触れる時間がただでさえ多い。

周囲からも「子どもたちにはバスケットやらせるんでしょ?」ってよく言われる。『赤石家=バスケ』なんだってさ。


世の中にはもっと多くの可能性があると思ってる。

スポーツだけじゃない。

音楽、ダンス、絵、歌…

なんでもいい。色んなことに目を向けて、自分の興味があることにとりあえず触れてもらいたい。

だから、現時点では今以上にバスケありきの環境を作る気はない。

それは俺の人生だっただけで、子供たちの人生じゃない。

後悔してるわけじゃないから、別に自分と同じ道を歩んでほしくないってことではないんだけど、あくまで広い視野を持って欲しいなってこと。


中盤、自分の人生の話になっててごめんなさい笑


君たちの可能性を誰よりも信じて、それを全力でサポートしていくよ。


父より

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