やさしさの軸。

ダイエット目的で
朝ごはんを食べない生活をするも
結局小腹が空いて
昼直前にYOKUMOKUの
お菓子を食べちゃってます。
これ。

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芸術的じゃない?
舌触りと口溶け、絶妙な甘さ。
めちゃくちゃ美味しいよね。


痩せれない。


さて、コロナ禍における『やさしさ』について
自分なりにあれやこれやと
思いつくままに書いてみます。

僕が入っているコミュニティーのひとつに
Twitterの鍵垢で構成されたものがある。
共通言語をもつ人たちが集まっていて
表現するなら『陽の空間』。
誹謗中傷や罵詈雑言を
TLで見かけることはなく
「おはよう」
「ありがとう」
「お疲れ様」といった
優しい言葉が飛び交う
本当に健全で優しい空間。
個人的にはもうそのアカウントしか
開いてないくらい。

開設から半年ちょっと経ったのかな。
ちょうどコロナが少し落ち着いた頃に始まって
半年間でたくさんの人が繋がった。
オフ会やイベントをそれぞれが企画して
多くの人が参加して絆を深めてきた。
人生の舵を大きく切った人もいる。
それくらい魅力的な時間だったんだと思う。

当然、都会は人の集まりもよく
オフ会には多くの人が集まって
楽しい時間を共にした。
もちろん、開催するお店も『仲間』のところ。
飲食店をやっている仲間の
コロナ第一波から削られ続けた体力や気力を
そんな仲間たちが支えたのは
紛れもない事実だと思う。

ただ、オンラインでは外界に触れない
閉鎖的なこのコミュニティーの中にも
コロナは入ってきた。
オフ会に積極的に参加していた仲間の中から
陽性者が出てしまった。


僕たちの実世界はオフラインだった。


もはや今のご時世
いつどこの誰が陽性者になっても
何ら不思議はない。
誰にでもどこにでもリスクはある。

でも、コミュニティー内の
オフ会に参加してた仲間から
陽性者が出たことで
一定数、ここ数ヶ月の行動に
苦言を呈すメンバーが出てきた。
オフ会の楽しそうな写真が
鍵垢の世界にたくさん溢れていたから
余計にそう思ったのかもしれない。
写真は『一瞬』を切り取るもので
断片的な情報に過ぎない。
でも、受け手によっては
それが『すべて』になってしまう。

発信側(オフ会など参加)と
受け手側(基本的に自粛)
それぞれの言い分はこうだ。

【受け手側(基本的に自粛)】
写真を見る限り、かなり密だった。
あれじゃあ、コロナにかかっても仕方ない。
自粛要請はイベントじゃない。
結果、飲食店の迷惑になっているのでは。
大人数で行くのは優しさなのか。

【発信側(オフ会など参加)】
飲食店を助けないといけない。
飲食店側も承知の上だ。
助けてと言えない飲食店もある。
公に警鐘を鳴らす方が迷惑だ。


どちらの言い分も分からなくない。
だからこそ僕は、『正義』って怖いと思った。
双方、『思いやり』と『優しさ』が軸だから。
そこの軸は一緒なのに両極になる。
『正義vs正義』の構図になっている。

ちょっとした価値観や考え方のズレで
なんだか敵のように感じられる。

でも、こうやって意見をぶつけ合うのは
良いことだと思う。
そのコミュニティーのルールが
実名登録であることがそう思う理由だ。

SNSでの誹謗中傷や罵詈雑言は
匿名性が生み出した負の連鎖だと思う。
匿名性という武器を持つと
どこの誰にでもなれてしまうから。
きっと僕がそれっぽい名前で
「アゼルバイジャンの油田を所持」
とプロフィールに書けば
何人かは信じるかもね。こわいこわい。

結果、この議論は
双方を代表する発信者たちが
勇気を持って発信し、
それを双方が受けて
特に反論する訳でもなく鎮火した。
モヤモヤが残っている人もいるとは思うけど
これで良かったと思っている。
それぞれが自分と違う価値観を受け止め
反芻し、昇華すれば良い。

『批判』ではなく『需要』することの
大切さを僕は実感している。

だって僕たちには『共通の言語』があるから。

正義と正義を戦わせることの無駄を教わったから。

コロナが落ち着いたら
自粛してたみんなも
能動的に助けに動いたみんなも


一緒にお酒飲もうね。

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