2024/04/21 妙齢パソコン

久しぶりに連続投稿を守るための投稿をする羽目になった。なんだかやたらと小忙しい日々である。守るための投稿すらできないほど忙しくなったとき、それはもう売れすぎてまずい状況になった時ということであるから、それはそれで皆さまにはその時をお待ちいただければと思う。

そんなわけで、今日は11時に起きた。まだまだ眠たくってしょうがない。
でもやらねばいけないことがある。ウーバーだ。ウーバーをやらなければ生活ができない。
昨日家に電子サックスのYDS120が届いた。これが6万円。あと、ちょいと滞納している昨年の税金と健康保険も待っている。もう、本当におととしの自分を責めたい。なんであんなにお金がもうかったと申告したのだろう。
とにかくお金集めをやらねばいけない。

疲労困憊と、首の寝違え(と思われる痛み)がなかなかにある。首へシップを貼ろうとする。おととしくらいに爆発した、腰ヘルニアでお医者様から頂いたものがあるだろうと取り出した。使用期限が半年以上過ぎていた。とりあえず貼ってみると、じんわりと広がるクール感で、どうやら効果はありそうだ。ただ、粘着力が全くなく。首を動かせばすぐに落ちていく。こりゃダメだ。
仕方なく首の痛みはほったらかすことにした。

ちょいちょいとやることをやって、12:30にウーバーに出発した。
残りは18件で、順調にいけば6時間もあれば達成できる件数だ。平均タイムを出せれば18:30には達成。でも、これまでの感覚ではなんだかんだで17時過ぎくらいには終わるだろうと思って家を出た。
最初はテンポよく運んでいた。途中、部屋番号の記載忘れのお客様とのやり取りなんかもありつつも、予定通りに配達が終えられそうだ。
と、思ったが16時ころから1時間くらい、ノルマまで7件を残して注文が来なかった。こんなに暇ならと、少し日記に手を出してみたが、スマホで書こうとすると不思議なもので頭が動かないのだ。

いつもはパソコンで書いている。パソコンで文章を書くときは、多少知能指数の高そうな物言いになる。うんちとかちんちんとかは絶対に言わない。うんちもちんちんも言わない。言わないったら言わない。
このあたりの感覚は、国語学者さんが研究対象にしたら面白そうだ。私の経験からして、パソコンはメールでの通販サイトとのやり取りや、ちょっとしたオンラインゲームでのチャットなど、顔の見えない・想像できない人とやりとりするツールとして扱ってきた。そのため、なるべく誤解を与えないように、誰が読んでも意味が分かるようにという感覚が多少強めだ。

一方、スマホの場合。私はスマホを大学に入学するタイミングくらいで手に入れた。それまではいわゆるガラケーだ。
スマホを手にするようになって、LINEでのやり取りが増える。当時のLINEは基本的に顔と顔を突き合わせなければ連絡先を交換できなかった。できるとしても、一人の知り合いとQRを読み込ませあって、そこからグループLINEに入れてもらって、と昔のミクシーのような感じだ。ミクシーはやったことが無いが何となく言っている。
そうして、おおよそ顔を知っている。その人の普段の感情の変化の仕方、癖を知っているから、話し言葉のような言葉を使ってやりとりを行う。

その中で、大学の先生や研究で関わる外部の方とはパソコンのメールでやり取りをする。そうなれば、スマホは内輪の人に内輪の言葉遣いで、パソコンは外部の人と誤解をなるべく招かない表現でやりとりする装置という、それぞれのデバイスに対する認識が体に染みつく。

その体に染みついた感覚で、スマホを使って日記を書こうとすると明らかに内容が薄っぺらく、頭の中にむくむくと言いたいことが沸き上がる感覚が得られない。これに共感してくださる方はいらっしゃるかしら。
いねえよ、うるせえよ、帰れ!ばか!きえええええ。
私の中から、なんだか疲れたから疲れた人格が出てきてしまいました。

ということで、日記はぜんぜん書けず、いったん帰宅してパソコンで書こうかと思ったところで依頼が飛んできた。雨もぽつぽつと降り始めた。心も体もへとへとだ。
とんとんとんと運んで、さあ残り3件だ。商品を受け取って、気づけば日本橋あたりに来た。日本橋はオフィスであふれているように見えて、意外とマンションもそこそこあるのだ。一軒のマンションへお届けに行く。道幅は広いが一方通行の、日本橋あたりによくある雰囲気の通りだ。
一方通行の進行方向右手のきれいなマンションだ。ここだここだ。私は道路の左手にバイクを停めて、マンションへ向かう。商品をお渡ししてマンションの下に降りて来た。

マンション入り口に中年くらいの女性が立っていた。マンションの住人かしらと、軽く会釈をして外に出ようと思ったら、なんだか怒っていた。
「駐車場!」みたいなことを言っており、あのDAPUMPが「か~もんべいび~」の時にする手の動かし方、前を向いた状態で親指を立てて後ろに振る感じだ。
うわ、おだやかじゃねえ。と思って、自分のバイクのところを見れば、さっきまで巨大な鉄の壁だと思っていたところが上にあがって、半地下の駐車場への道になっている。私はその道の真ん中を邪魔するようにバイクを停めてしまっていたのだ。本当に申し訳なかったので、「うわあ、すみません!」と申し訳なさそうに走ってバイクを動かす。あまりにも私が申し訳なさそうだったからか、そのおばさまもその後特に怒鳴り来るなどはなかった。

今回は私がまずかった。あの大きな壁がシャッターで、ちょうど私が運ぶ、日曜の午後20時に開くのか。不運すぎる。ああ、落ち込んだ。

落ち込んだのはなんといっても、私は他人の女性が怒っているところが本当に見たくない。女性が怒っているのをみると、なんだか悲しい気持ちになってしまう。この感覚が分かるおじさんは意外と多いんじゃないかと思う。
道でおじさんが怒っているところを見ても、うわまたへんなやつがでたぞ、となんだかニヤニヤしてしまう。10代・20代くらいの若い男性・女性が怒っているのを見ても、まあ子供だしなと何とも思わない。ただ、妙齢の女性が怒っているのがとても嫌な気持ちになる。この感覚はなんなんだろう。
これも私の中にある差別意識なのかもしれない。女性は穏やかなものだ、と思ってしまっているのだろうか。

怒っている中年女性を見ると、本当に落ち込んでしまう。私は自分のミスよりも、そこに落ち込んでいた。この話題を深堀りしていくと、うっかり良くないことを書いてしまいそうだが、もうちょっと書く。

私の人生を通り過ぎていった怒鳴っている妙齢の女性と言えば、母親や学校の先生だろう。私の身の回りには怒鳴っているおじさんはあまりいなかった。怒鳴るとしても意味が分かる怒鳴り方だった。私の人生に現れた怒鳴り女性は、なんだか意味が解らないところで切れてきた。
母親はなんかわからないけども、突然ドアをどかーんと閉めたり、「はああ~~あ」とどでかい溜息を聞こえるように吐いたりと、自分が何をしたのかわからない怒られかたをしてきた。
学校の先生で言えば、さっきまでニコニコしていたのに突然眉間にしわを寄せて、目を吊り上げてどでかい声で怒鳴るなどしていた。予想ができなかった。
あくまでも私の人生の中での経験であって、世間がすべてそうではないというのは断っておきたい。私の脳内に妙齢女性の怒りは危険だというのが刷り込まれている。ああ、いやだいやだ。

そんな気持ちを落ち込ませながら、なんとかノルマを達成して帰宅する。晩御飯は親子丼を作ろうと、肉を切って玉ねぎをいれて、余っていたニンジンを入れて火を通す。酒と砂糖、しょうゆを入れて、少し煮る。味見をしてみたら、ぜんぜん甘くない。砂糖が少なすぎたかともう一度、砂糖の入ったケースを取り出して、計量スプーンでさくっとすくったところで異変に気付く。砂糖にしてはやけにサラサラだな。ケースを見てみれば「しお」
ぎゃあ、塩を大量に入れていた。最悪すぎる。

落ち込みまくった。もうなんにもしたくないなあ。食材を無駄にするのは惜しいから、食材をざるにすべて出して何度も水洗いして火にかける。
食材のうまみは全てなくなった。うまみは無くなっているのに食材の芯まで塩気がしみこんでいる。最悪すぎる。
鍋にごま油と砂糖を大量に入れて、火にかけて、なんとか食べてみた。美味しくはないよな。

今日は落ち込むことがたくさんあって、日記をかいたり動画をだらだら見ていたら、気づけば3時をすぎていた。なんも良いことない!
明日からも一週間、やることにあふれているので久しぶりにとんでもなくダウンである。ああつらいつらい。

今日面白いと思ったことは「怒鳴り妙齢女性の件は、論理的にみんなで語り合いたい。なんか怖いんだよなあ。」


ちなみに「妙齢」という言葉については様々な意見があろうことは承知しているが、現代の一般的な会話で使われている意味として使っている。


こんなつらい人生。ここに空き缶を置いておきます。