見出し画像

とてもそんな気分じゃなくて

 まったく性的な関係ではない男性と、少しも性的ではない話をしていたのに、なぜか唐突にセックスを要求されたことが、一度ならずある。あれは本当に何だったんだろうと今になっても思うし、考えれば考えるほど悲しい気持ちになる。

 一番よく覚えているのは、学生の時の友人とのことだ。彼は私よりいくらか年上だったのだけれど、面倒見が良くて面白い人柄で、学生時代はお互いに課題を手伝い合ったりしていた。もう一人仲の良い男友達がいて、三人でよく飲みにも行った。これからどういう作品を作って行きたいとか、将来この業界はどうなると思うとか、そんな話をたくさんした。
 そんな学生時代の終わり頃、インターンで忙しくなった私はあまり彼らと頻繁に会わなくなった。彼らは彼らで自分のプロジェクトを起こしたりして忙しくやっているようで、こうして少しずつ疎遠になって行くんだな、と少し寂しく思ったりもしていた。

 そんな時に、時間があるなら近々飲みに行こう、と向こうから連絡が来た。ちょうど忙しさも落ち着き、少しは職場に慣れてきてもいたので、私はもちろん誘いに乗った。もう一人の友人は声をかけたのだけれど来られないという話だったので、私たちは二人だけで渋谷辺りで落ち合って、久しぶりに大酒を飲んだ。インターン先はインターン先でいろいろ気の重いことが多かったこともあって、まるで学生に戻ったようなその晩は本当に楽しかった。友人は私の職場での悩みも親身に聞いてくれて、酔っぱらった勢いでカラオケにも行き、終電がなくなったことに気づくと、「うちに泊まって行けば?」と言ってくれた。
 たった数ヶ月前までの学生時代、そんなことはしょっちゅうだったのだ。彼の家に1人で遊びに行って一緒にゲームをすることもあったし、そのまま帰るのが面倒になって夜明かしして始発で帰ることもあった。

 私は、じゃあお言葉に甘えて、と深く考えもせずに、一緒にタクシーに乗って彼の家へ行った。そして、いつものようにフローリングの床に寝て、毛布でも借りるつもりでいた。

 しかし、部屋に上がり込んで一息ついた後、「布団一枚借りていい?」と私が聞くと、いつの間にか着替えを終えた彼は「ベッドで寝れば?」と言ってきた。
 それはちょっと。さすがにそう思ったが、断るのも躊躇われた。
 今まで散々友人として遊んでいて、急に男女を意識したような反応をしたら、こっちが自意識過剰に思われるんじゃないかと思ったのだ。空気が読めていないと思われるのも嫌だった。それで私は、ちょっとまずい気がするとは思いつつも、「まあ大丈夫だろう」と自分に言い聞かせ、彼が寝ているベッドの隣に体をもぐり込ませた。

「じゃあ、おやすみ~」

 と、電気を消して間もなく、布団の中で、友人が体に腕を回してきた。それまでお互いを性的に見たことなんて、一度もなかったはずだったのに。
 それとも、そう思っていたのは私だけだったんだろうか。
 彼は「友人」と終電まで尽きない話をしていたわけではなく、やらせてくれそうな「女」がノコノコ終電を逃すのを待っていただけだったんだろうか。
 泊めてくれたのも友人としての好意だと思っていたのに、その代価をセックスで払えと言われたようで、私はすっかり気分が萎えてしまった。

 私が、今日は体調が悪いからしたくない、と言うと、彼はそのまま背を向けて眠った。レイプされなかっただけマシだと言われればその通りだが、その後、私は二度とその相手とは連絡を取らなかった。

 当時の私は、この事を誰にも言えなかった。相談するような友人が他にいなかったというのもあるけれど、「男の家まで行って同じベッドに入っておいて、何を今さら」と言われるのがわかりきっていたからだ。
「泊めてもらうお礼に、セックスくらいすればいいだろう」とさえ言われるかもしれない。だけれど、私が男の友人だったとしても、彼は「せっかくだからセックスしよう」と求めてきたんだろうか?そんなわけはない。

 私だって別に好きな人としかするべきじゃないとか、そこまで貞操観念が高くはない。私が嫌だったのは、結局のところ男性にとって、というより男性社会の中で、自分は女であることにしか意味がない、と思い知らされたことだった。

 その頃の私はインターン先でも、「せっかくの女子なのに可愛げがない」と、毎日のように愛想の悪さに苦言を呈されていた。その度に、男だったら私より愛想の悪い人なんていくらでもいるじゃないか、と理不尽に思っていた。それに、どこへ行っても私は「女性アシスタント」で、会議の資料を配ったり、お茶を出すくらいしかやらせてもらえない。どこかの現場に行ったら行ったで、「女の子が入ったんだね」とわざわざ性別で言われる。
「女の子」とは、愛想がよくて気が利いて、身ぎれいにしてその場の男の気分を良くする存在のことだ。
 私は、「女の子」をやるにはどう考えても向いていなかった。

 そして私はだんだん自分自身の女性性に嫌気がさしてきた。それから数年のうちには、わざと不愛想に振る舞ったり、すっぴんに眼鏡で会社に行ったり、平然とがさつな発言をしてみせたりするようになった。だけど、それでも何も変わらなかった。
 相変わらず電車や夜道では性被害にも遭ったし、仕事では「女だから」「女なのに」と言われることばかりだった。少しだけ出世しても、女性向きの案件をやらせるなら、お前よりも女らしい誰々の方がいい、とは言われるのに、男性向きの案件は男性に回されて、私の方には回ってこない。結局、損をするのは自分だったのだ。

 この世の中に生きていて、つくづくわかったことがある。
 この社会が男性中心で、異性愛者中心である以上、女は「女」として見られる義務がある。それさえ受け入れていれば、終電を逃しても泊めてもらえるという好意を得られるし、微笑みひとつで仕事だって貰えるのだ。
 それにしたって、若いうちは、に限ったことだけれど。クソッタレだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?