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DWK Creative Session Vol.4-「意味」が問われる時代におけるモノづくりの仕組みと考え方・まとめと雑感

安西洋之さんによる「意味」が問われる時代のデザインについての講演。
イタリア、ミラノを中心にした製造業の例を通じて、「意味のイノベーション」という切り口でモノづくりについて話をしてもらいました。
この内容をまとめて、雑感(*から始まる段落)なんかも書きました。

最初の問い

意味についてもっと深く考えてほしい。
今の時代を例えるなら、海の中で霧に囲まれている。はっきりした見通しが無い。
また「デザイン思考」に代表されるように機能や問題解決ばかりにフォーカスしている。
問題解決のためのアイデアや方法論はたくさんあるが、果たしてそれだけでいいのだろうか?

イタリアにおける意味を転換したイノベーションの例

例1:ブルネロ クチネリ
エルメスと同等のブランド価値があると言われているブルネロ クチネリのオーナーが私財を投じて、丘から見える景観を美しくつくりなおした。
1960年代はイタリアも高度成長期だった。その時に土地を買い取って建物を「壊して」綺麗な風景をつくった。
イタリアの中では画期的。彼は「醜いものはこわすべき」という姿勢を貫いている。
http://www.brunellocucinelli.com/ja/the-beauty.html

このような思想を自社サイトに掲載している。印象的なのは
ローマの皇帝、ハドアリヌスによる言葉を引用しながら、

「私は世界の美しさに責任を感じる」

美に対する態度を明確に表明しているところ。
彼のブランドの服の特徴、ブランドロゴを見せない、奇抜さは無い。我々の会社にはデザイナーがいない、とのこと。我々は世界のファッションをアップデートし、自分たちなりのテイストを見出すことがゴール。

例2:美意識を喪失した女性の話
「旧ソ連時代、リトアニアでは美意識を喪失した」という女性の話。何が美しいかという判断力が損なわれた。一人一人が自分自身で美とは何かを判断できなかった。
ソ連時代は、各地域にそれぞれ役割を与える、ある地域はソフトウェア開発をする、リトアニアはレーザー技術やテレビをつくる役割だった。そうしたソ連経済界にあって、さらに校閲も行われていた。全ての出版物の書体は審美性を決める審議委員会が決めていた、そのため一人一人が美しさを判断する機会が無くなり、その判断力が損なわれた。

その後ソ連が崩壊し、リトアニアは不遇の時代を迎える。今世紀になってやっと新しい方向性を見いだせた。
「社会を作っているにあたり、一人一人の美意識は不可欠です。それが意味のイノベーションの実現にあたり求められる」

例3:ユニセックスファッション
それまで男性服、女性服とはっきりとした差をもってデザインされていた服に、アルマーニはユニセックスの世界をつくった。これは女性進出を促すなど大きな意味を変えた例といえる。

例4:プロダクトのエンターテインメント性
アレッシィはワインオープナーにエンターテイメント性をもたらした。こちらも意味のイノベーションといえるのでは。


*例1や2でみられるような、美意識といったなかなか外からは計り知れない要因を重要だと考える点は特徴的だと思いました。

「美意識」というと日常会話でも使われることばだけど、厳密にどんな定義かわからないなぁと思って調べると、、、

美,醜の評価が成り立つ対象一般に対する精神の活動ないし態度。それゆえ美的なものの創造,観照,批判を含む情緒的,直観的判断力を主体とし,ときに美的経験と同義に用いられる。(ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典)

とあるんだけど、まぁ更によくわからない。
個人的には安西さんの話の中にあるように、その土地の文化や歴史など、外部とのつながり、社会性をともなうような心の動きだとなんとなく思ってました。

ここは山縣先生の
https://note.mu/yamas/n/nc2073cf8c5ad
『一人ひとりが自分自身において美意識を持つ / 醸成するということ。Design Week Kyoto Creative Sessionに触発されて。』にあるような

〈美的 / 感性的眺望;aesthetic Prospect / Perspective〉という言葉を充ててみたいとも思うのです。これは〈美意識〉も含みこんだ概念としてであり、個人の内側で醸成された感性的なものの映じ方として〈美意識〉が、その人の実践を通じて他者に対して提示されていくさまを表現しようとしてのことです。

というようなニュアンスがとても近いなぁって。〈美的 / 感性的眺望;aesthetic Prospect / Perspective〉っていい言葉ですよね!


とはいえ、色んな人と話をすると、人によってはあくまで個人的な、一人一人の内で完結する概念であって「社会性は伴わない」と解釈していたりするそうです。
社会性が伴うのは、(あくまで個人的な)「美意識」が、経済合理性や倫理観、道徳などと混ざり合った結果としてそのように見えるだけなのでは、と。
確かにそういう解釈もできるなぁと思って、なかなかに理解が難しいと感じます、(と書いて、ここは曖昧なまま終わらせようと思います。)

どちらにしても美に対して「自分なりの尺度」を持つ、ということの重要性は変わらないのかも、と思いつつ。
もしそうだとして、個々の人々が各々の(特にどこかで合意や共通意識が形成されることの無い)「美意識」を発揮したら、それはそれでなんだかなぁ、、、という気もします。わかんないけどなんとなく。


調べていたら『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?』の著者である山口周さんのインタビュー記事が以下にあがっていました。
**
『#面白法人カヤック社長日記 No.43 美意識の正体について 山口周さんと 対談してみました』**
https://www.kayac.com/news/2018/07/yanasawa_blog_vol43
それによると山口さんは

美意識を鍛えるというと、よく誤解されるのですが、「正しい美意識」というのがどこかにあって、名作といわれる芸術の良さがわかるように感性を鍛えることだと。僕がいいたいのはそういうことじゃないんです。自分がワクワクするものを見つける、そこに軸足を乗せて、自分で意思決定していくということなんです。

といわれていて、確かにそうした意見には納得感があります。とはいえその尺度を持っているかどうかというのは、自分自身にしかわからないものなのだろうか?もしくは外部からある程度評価できるものなのだろうか?という疑問もわきました。

なぜかというと、デザインやビジネスの文脈で「美意識」をもって活動を行うとき、何にせよその姿勢は良かったのか、悪かったのか、といった評価やフィードバックが必須だから、という前提に立つからです。
まぁ上記のインタビュー記事にもあるように、そうしたサイクルが必須、という考え方自体が必ずしも正しいというわけでは無いのかもしれないですね。

とはいえ最近個人的に感じるのは、デザイン思考のようなフレームワークをエクスキューズにして、決して美しいとは思えないようなアウトプットがみられる(気がする)。それもあまり歓迎できるもので無いかなぁと思っているので、美意識が大事だ!というのは非常に重要な事だし共感します。(自分にブーメランが帰ってこないように気を引き締めないと、、、)


Made in Italy

「Made in Italy」は世界の研究者が注目している(Googleの検索結果数)。
一方「Made in Japan」はバブル崩壊後に下降気味。これ以降、日本の国家はCool Japan に力をいている。
AmazonにはMade in Italyというカテゴリがある。これはイタリア国内のみならず、諸外国のサイトにも存在する。これはMade in Italyブランディングがいかに成功したかということの証左と言える。他の国にはこうした事例は見られない。
そのほか特筆すべき点として、Made in Italyというカテゴリに出展している会社は、中小企業が多くウェブサイトを持っていないと考えられる。

アルティザンの定義

地域・文化によってアルティザンの定義・文脈が異なる。
イタリアのアルティザンは少量製造するのなら、完璧に仕上げられるが、月に百個製造するなら完璧にできるはずがない、という考え方、歩留まり。中規模量産にアルティザンを活用する。この手法の良さは、クオリティは既に確保されている。その上で生産量を上げる方がやりやすい。

1960年代以降のデザイン界では、デザインへの科学的分析研究が導入された。
スカンジナビア文化圏での参加型デザイン手法。コンピュータの進化・普及とインターフェース。→デザインのマス化と簡素化が「デザイン思考」に代表されるのでは。
バウハウスは大量生産品の質を上がることにフォーカスして教育した。デザインを学術的に語る研究者が出てきたのは1960年以降。そしてデザインは
1)意味をつくること
2)可視化すること
3)審美性

というのがその頃の共通認識として広まったと考える。

この三点のデザインの視点(意味をつくること・可視化すること・審美性)は時代が進むにつれて損なわれてきた。
なぜなら民主主義的なプロセスを入れた際に、こうした指標は客観的に判断できないとしてこぼれ落ちたため。

これから「意味」と「美意識」を再度考え直さなければいけない。
アート思考が最近取り上げられている理由は、その2点をデザイナーが語らなくなったからでは。


*審美性ということばの定義もままならないけど、いろいろと考えを巡らせていると「美」ということばも解釈が難しいものだなと改めて気づかされます。
僕が「美」というものを考えるときに、いつも思い出すのは小林秀雄さんの言葉なんですよね。

美しい「花」がある、「花」の美しさという様なものはない

デザインを学んでいた大学生の時に知ったこのことばを、自分としてはこんなふうに解釈しました。
美というものは何かの属性として存在するのではなく、自分(主体)と花(客体)の関係性の中にのみ存在する。
ということかなぁって。

美学の歴史の中では、もちろんそうした事はそれこそ際限なく議論されてきたんだと思います。
ヒュームやハチスンなどはそうした事を探求してきたらしいですね。
カントは「表象と主体との関係についてのもの」ととらえ、判断の種類を性格づけるものととらえたそうですが、難しくて何のことかわかりません。
今はもっと別の捉え方があるんでしょうか?

少なくともデザイナーという職能にある以上、不十分であってもそうした「美」とか「美意識」といった事には真摯に正面から向き合っていきたいと思いました。

意味のイノベーションの「意味」とは

意味のイノベーションにおける「意味」とは、簡単に例えるならあの人へのプレゼント。
プレゼントしようとするときに花に機能性を求める事はしない。
日常生活に新しい意味を見出すことが大事。ものを考える時には「ロジック」はそんなに重要じゃ無い。
ロジックが重要になるのは、人に説明するときだけなはず。

では、こうした意味のイノベーションはどのように進めればいいか?
最初にビジョンつくる、そうすればどの方向に進めば良いか分かるはず。ビジョンをつくる際は、必ず自分一人で考えること。誰かに相談したり多数決ではない。
信頼できる相手に成熟していないビジョンを聞いてもらう。パートナーの選定はもちろん大事。自分を鍛えてもらう相手を選ぶの重要。2人でやったあとはもう少し人数増やしてやろう。こうしたプロセスを経てビジョンやコンセプトを世に問う。
このプロセスはデザイン思考とは真逆。アイデアは外ではなく中から出そう。もう一つ重要なのは、内から外というプロセスを経る際には、父親の態度「じっと待つ」という事が参考になる。
グループワークじゃなくてもいい。もちろんどこかにそうしたプロセスあってもいいけど最初は「自分ひとり」で考えるのが大事。

意味のイノベーションのための3つの指標

意味のイノベーションのための「3つの指標」
1)0→1のように見せるアップデート
2)社会的意味・価値を考える
3)一人称で考える事を起点にする

自分自身でコンテクストを考えることが重要。


*意味についての説明の辺りは、デノテーションとコノテーションと関係するのではって指摘をもらったので調べてみたのですが、

デノテーション/コノテーション  [denotation : connotation]記号が意味を指し示す方法として、デノテーションとコノテーションがある。「バラ」という記号が、バラ科の植物一般を示すものとして用いられるとき、その意味はデノテーションされているが、その記号によって、例えば「愛」や「情熱」などの象徴的意味が付随して理解される場合には、その意味はコノテーションとして示される。すなわち、ひとつの記号によって、それが属する記号体系の中で割り与えられた意味が明示的な仕方で示されることがデノテーションであり、何らかの意味が明示的ではない仕方でデノテーション的な意味とともに示されることをコノテーションというのである。

なるほどわからん。寓意みたいなものなのだろうか。

安西さんの話の前後の文脈から解釈すると、バラを贈る時に意識するのは性能や機能とかそういったものではなく、「気持ち」とか「感情」みたいな曖昧だけど個々人の中にある「気持ち」だよね、という話なのかな。
少なくとも誰かに花を贈るときに、品種や原産地とかはまず考えないよね。みんなは考えるのかな?
この部分は小林秀雄さんも同じような事を書いていて例えば、

諸君が野原を歩いていて一輪の美しい花咲いているのを見たとする。見ると、それがすみれの花だとわかる。何だ、すみれの花か、と思った瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう。諸君は心の中でお喋りをしたのです。すみれの花という言葉が、諸君の心のうちに這入って来れば、諸君はもう眼を閉じるのです。それほど、黙って物を見るということは難しいことです。すみれの花だと解るという事は、花の姿や色の美しい感じを言葉で置き換えて了うことです。言葉の邪魔の這入らぬ花の美しい感じを、そのまま、持ち続け、花を黙って見続けていれば、花は諸君に、嘗て見た事もなかった様な美しさを、それこそ限りなく明かすでしょう 。
『美を求める心』

ここでは「言葉が這入ってくる」、という言い方だけど、純粋な心で物と向き合う大事さをひしひしと感じます。
安西さんの言うようなロジック(言葉)が這入った瞬間に、美しさがこぼれ落ちるみたいな。

デザイナーは「美しさ」と向き合ってクリエイションを行いながら、一方で誰かに「伝える」ということもしないといけないと思うんですよね。
その「美しさを求める心」「人に伝えて社会に開く」という態度を自分できちんとコントロールしながら行ったり来たりするというのが大事なんだろうなと思いました。

その時に、自分に嘘をついていたら人にも伝わらないし、美しさも実現できないんだろうなぁと思います。
仮に荒削りで不十分でも、自分にとっての「美しさ」にきちんと向き合って、「一人称」でデザインに取り組んでいけるように頑張りたいと思いました。

本で読むよりはるかにわかりやすかったし、質問にも気さくに答えていただきました。充実したとても意義のあるイベントでした。
最後に安西さんにサインももらった!ありがとうございました。


■ドイツのデザインについても検討しています↓


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