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こじらせ恋愛と親のトラウマ

最近、彼氏にイラッとしたり、もやっとしてしまって
ふたりの間の空気が悪くなることがたびたびあった。

喧嘩、というよりは
私が彼の言動、もしくはしなかった言動に一方的に怒ってしまうパターンがほとんど。

たとえば、週末の会う予定を決める時。
「来週は空いてる?」
「今月会えそうな週はある?」
と聞くのは、いつも私。
4年弱付き合っているけれど、彼から聞かれたことはほとんどないと思う。

出た、女特有の、男側が先に言い出してほしいとか言うやつ。

と、思ったかもしれないが、
私は別に男性にリードして欲しいタイプではないので、
何かと先に言い出すのが自分であること自体には、あまり不満はない。

ただ、私が早め早めに会える日を確認している理由を言うと、
【できるだけすべての予定を諦めずにいい感じにスケジューリングしたい】からだ。

例えば、「10月中の土日のどこかで」という予定が1番目に入ったとする。
そして、その時点では10月中の土日の予定はまだひとつもなかったとする。

その場合私は、先に彼氏との予定(どうしても10月中に会いたい人がいたらその人の予定も含め)を確認したい。
だって、もし会いたい人が10月の2週目しか都合がつかなかった場合、
「10月中の土日ならどこでもよかった予定」を先に2週目に入れてしまったら、めちゃくちゃ後悔するから。

適当に予定を組んだ結果、ダブルブッキングしてしまったら、どちらかを諦めないといけないけど、
例えば先に彼氏との予定を2週目に組んで、彼氏の都合が悪い他の週に、仕事や友だちとの予定を組めば、全部楽しめる。
だから、毎度彼氏や、どうしても会いたい友だちには割と早めに会える日を聞いたりする。

でも、彼氏の場合はそうではない。
どちらかといえば、【当日会えるか聞いてみて、だめならまあ会わなくてもいいかタイプ】なのだ。
「今日会える?」って聞いてみて、だめなら諦めるタイプ。
だから、私が先に予定の確認をしなかったら、数ヶ月会えないと思う。
(私はだいたいだいぶ前から予定を埋めてしまうので、当日突然言われて空いていることなんてほとんどない)

きっと彼にしてみたら、【なにも考えていない】だけだと思う。
MBTI診断というものがあるが、
それでいうと、私はJで彼はPなタイプなだけ。
(知らない人はこちらをみてね)
単純にただそれだけの話なのだ。

でも私は、そんななんでもない事象ひとつひとつについて、
色々と考えすぎてしまう。

当日まで予定を聞いてこないってことは、当日になっても、他のどんな予定も入らなかった場合だけ、最終的な選択肢として私と会うってこと?

とか、

もし事前に私との予定を組んでしまって、そのあとで友だちとの約束やらが同じ日に入ってきたら、そっちに行きたいのに行けなくなってつらいから
後回しにしてるってことだよね?

とか、

結果的に何ヶ月も会えなくても別にぜんぜん平気ってことだよね?

とか。

きっと、なんの意味も込められていない彼の言動(もしくはしなかった言動)について、めちゃくちゃ深読みして
勝手に意味付けしてしまうのだ。

「私を最優先にして!」なんてメンヘラみたいなことは言わないけど、
さすがに優先事項最下位にされたら悲しい。

結局彼にとって私はその程度の存在?

そんなことを思って、勝手にもやっとして、勝手に怒ってまうのだ。

これって、人によって
「うわあ、めんどくせえ女」と思う人もいれば
「それは彼氏さんがひどいと思います」って人もいると思う。

でも価値観の異なる人と人とが付き合っていく時点で、
どっちの価値観が正しいかの議論は極めて不毛だ。

誰がどうみても正しい事実なのは、
【プラスでもマイナスでもないただの言動】と
それを【プラスかマイナスかどちらかに捉える私】に
わかれているということ。

そして、自分が変えられるのは
【プラスかマイナスかどちらかに捉える私】の方だけだということ。
(「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる」的な名言あったよね)

じゃあ、どうして私はそんなふうに
考えすぎてしまったり、歪んだ捉え方をしてしまったりするのだろう。

そう考えた時、思い当たるのは父親との関係性だった。

幼い頃から高校生くらいまで、
私は、常に、父親の出した希望や条件に従いながら生きていた。

習い事はこれをしなさい。
それをするなら、ここに通いなさい。
その習い事はやめなさい。
学校はここに行きなさい。
部活はこれをやりなさい。
やるからには、勉強も部活も上位を取りなさい。

それに従わなければ、
怒られ、「なにもかも中途半端」「なんの取り柄もない」と叱責された。

従わないなら、
通いたい学校も、友だちもいない場所に引っ越すぞ、とか
携帯の契約を解約するぞ、なんて言って脅された。
(今考えたら、そんなこと別にいいじゃん、と思うけど、子どもの私にとっては一大事だった笑)

まだ、生きている世界が狭かった当時の私にとっては、
父の希望に従わないこと=育ててもらえないこと=命の危機
だった。

きっと父にとっては、
娘が人生の道をそれないように育てなければという責任を感じての行動だっただろうし、
脅し文句だって、子どもに無理にでもやる気を出させて成功させてやりたい、との思いからだったと思う。

でも、当時の私にとっては
「父親という存在は、求めていることに応えないと愛してくれない存在なんだ」
つまり
【条件付きの愛】しかくれない存在なんだと刷り込まされているようなものだった。

そしてそれはいつしか、
【男性は条件付きでしか愛してくれないのが当たり前】
という間違った感覚になって私の中に定着した。

大人になって、
そんな人ばかりではない
そもそも【男の人】と一括りにすることが間違っている
と頭では理解できるようになったけれど、
一種のトラウマのよう刷り込まれてしまっている感覚は、
簡単には消えてくれない。

だから昔から、付き合った人には、
なぜ私と付き合っているのか、
私のどんなところが好きで付き合っているのか、教えて欲しかった。

もちろん「こんなところが好き」と言われたいか言われたくないかでいったら誰でも言われた方が嬉しいだろうけど、
私の中では、そんなハッピーな方向性の気持ちではなくて、
対策を打ちたい、という感覚の方が正しいと思う。

どこを好いてくれているのかがわかれば、
自分がそれを維持できさえすれば、嫌われることはない。
(実際はそんなことないのだけど)

それとは逆のことをすれば嫌われるとわかるから、
それはしないように気をつけることもできる。

たとえば、「顔が好き」と言われれば
現状の顔からできるだけ衰えないように、
できれば少しでも向上できるように、容姿を磨けばいいし、

「がんばっているところが好き」と言われれば、
とにかく努力しまくることをやめなければいい。

「仕事できるかっこいい姿が好き」と言われれば、
テキパキ働くデキる女な姿を見せればいいし、

「どじだな〜そんなところもかわいいけど」と言われれば、
デキる女は封印して、甘え上手な年下キャラでいればいい。

どの要素も、もともと自分に皆無なわけではないから、
自分にとっては、表に出す割合を調整しているだけ。
嘘をついているつもりも、演技をしているつもりも、ない。

条件をクリアし続ければ、愛され続けることができる。
条件をクリアできなかったら、嫌われる。
それは、とても単純で、わかりやすかった。

逆に、
「どこが好きとかじゃなくて、全部好きだよ」とか
「こうだから好き、っていうわけじゃなくて、君であればどんな君になっても好きだよ」とか言われると、
(いや、さすがにそんなクサいセリフを言われたことはないけれど、そんなような意味合いのことを言われると)
嬉しいはずなのに、すごく不安になってしまう。

なにを失ったら嫌われるのかわからない。
自分のどんな面を全面に出していくべきなのかわからない。
「どこが好き」というのがない好きなんて、本当にあるのかどうかもわからない。
なにも対策が打てないまま、ある日突然別れを告げられそうで、
心の拠り所がないような感覚になってしまうのだ。

条件付きの愛より、条件なんかない愛の方がずっと
安定しているし、安心できるはずなのに。


えーっと、だからなんだっけ?

あ、そうそう。

だから、話を戻すと、

「この人は私のここが好きなんだろうな」というのが
明確にはわからない人ほど、付き合うと、
【果たしてこの人は、自分のことを本当に好きなのか?】と
常に疑ってしまう節がある。

そんな気持ちが、自分でも無意識に
常に心の根底を漂っているものだから、
彼にとっては、深い意味など毛頭ないような何気ない言動も、
「やっぱり私の存在は、この人の日常においてさして重要な存在ではないということだ」
「所詮この人にとって私は、好きか嫌いかで言ったら好き、くらいのことで、自分と同じレベルの愛情を感じてはくれていないんだろう」
なんて歪んだ捉え方をしてしまうのだ。

冷静になって考えれば、
言えないだけで、彼も会いたいと思ってはくれているかもしれない。
事前に予定を決めておいて、万が一仕事が入ってしまったら、私に申し訳ないと思って遠慮してくれているだけかもしれない。
などと、マイナスではない方向に想像を膨らませることだってできるはず。(それが正解であっても、なくても)

でも、歪んだ方向に一度暴走をスタートした感情は、
もう途中で止められない。

もやっとが、悲しいに変わり、
悲しいが、イライラに変わり、
相手のことが嫌になったような気になって、
相手に怒りをぶつけてから、
LINEの返信がこなくなって、悶々として、
ムカついているはずなのに、返信を待ってる自分にイライラしてきて。

そんなふうに何時間も、
彼とのケンカのことに頭を支配されていることに心底嫌気がさして、
【彼と】ではなく、
【恋愛のことにぐるぐるぐるぐる頭を支配される自分】と別れたくなってしまう。

長くなってしまったが、
そんなこんなが、私が考える、
恋愛と、認知の歪みと、親のトラウマの関係性だ。

そうやって少し客観的に自分を眺められると、
また、もやっとしてしまっても、一度立ち止まって
「これは私側で認知を歪めてしまっていないか?」と考えることができる。

もちろん、認知の歪みとかじゃなくて、
確実に私が正しいやろー!ってときは変わらず主張していくつもり。
「靴下は丸めたままじゃなくて、広げてから洗濯機に入れて!」とかね。笑

でも、
「自分ってちょっと、認知歪んじゃってるかもな〜」
って認識できるだけでも、
けっこう他人との関係性の難易度、変わるんじゃないかな、と
そう思った最近のできごと。

24歳/新卒2年目の会社員/エッセイスト,コラムニスト/早稲田大学文化構想学部卒業/趣味は美少女鑑賞です