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ASOBIJOSの珍道中⑧:NY、7年ぶりに。

 ”もう二度と飛行機なんて…”とMARCOさんは相変わらず。
 今度はニューヨークに下り立ちました。3月下旬のことです。2泊だけの予定で、今回の目的は、尺八でジャズの作曲や演奏をしているザック・ジンガー氏に会いにいくことでした。空港から地下鉄に乗り、予約していたソーホーエリアのホテルへ向かいます。
 ”切符ってこれでいいんだっけ。”
 ”なんか、うまくカード決済ができんのやけど〜”
 などと、田舎モノのわたしたち。モタモタとやっていますと、
 ”Sorry, we are in a hurry!(急いでるんだけど!)"と、急かされてしまいました。
 やれやれ、そうだった。ニューヨークの人間はせせこましいんだった。実は私にとっては7年ぶりのニューヨーク。地下鉄の看板のわかりにくさ、至るところから漂う異様なションベン臭さ、黒人たちのリズミカルなアクセント、物乞い達の嘆願する叫び声!その脇で、チュロスやポップコーンやコーラを売っているラテン人たちに、大型犬や、カゴに入った小鳥を連れた人も電車に乗ってきます。この奇妙なテーマパークのような地下鉄の有様に、あぁ、と、懐かしさが。
 とにかくニューヨークは一人一人がスタイルを持っているのです。それがただオシャレだと言いたいわけではありません。ヘソを出して、鼻や舌にピアスが入った人もいれば、オレンジ色の髪の毛の人も、ドレープの効いたディープブルーのワンピースをなびかせて歩いていく人も、ドラゴンボールのTシャツを着て、スーパーマリオの亀の甲羅をかたどったリュックを背負った人もいますし、ほぼ半裸で、真っ黒のバンダナに、真っ黒の網目のジャケットと真っ黒なパンツ、そしてそのムキムキの腕には花柄のタトゥーが入った黒人男性もいます。可愛いげでふわふわとしたチワワを連れた貴婦人は、真っ白でふわりとしたドレスに、白のフラットシューズ、それに、広いツバ付きで、やはり真っ白のハット、それらが、口紅の赤と、腰元の細いベルトの虹色だけの色彩を際立たせ、いかにも品格を感じさせます。とにかくそれぞれが、これこそが私の流儀なんだ、というものを持ち、一貫して磨き続けているような印象を与えるのです。
 地下鉄から地上に出て、横断歩道を渡ろうとしますと、いきなりスクーターが突進してきて、ひかれそうになってしまいました。間違いなく車道の信号は赤なのですが、スクーターどころか、車もお構いなしで走ってきます。そうです、我が道を行くニューヨーカーには信号などお構いなしなのです。
 トランクを全開にして、そこからなぜか巨大な龍のぬいぐるみを飛び出させたまま、何食わぬ顔でコーヒー片手に軽快に車を走らせている男性の姿も見えます。その向こうでは、車上にキングサイズのマットレスを乗せ、信じがたいほど細いロープで適当に縛った状態の小さな四人乗りの車があり、爆音のヒップホップのビートに車体ごと揺らしながら、乱暴に右折していきます。
 ”うわ〜。”
 と思わず息を呑んでいますと、その反対側からは、頭の上に三人掛けのソファを乗せたまま、よろよろと自転車を漕ぐ半裸黒人男性の姿が。
 ”自分の道の先って、ただの狂気やね”
 と、私とMARCOさんは呆然と笑うくらいしかできませんでした。
 そうこうして、予約していたビジネスホテルに到着しました。チェックインを済ませて部屋へ向かうエレベーターに乗ると、たまたま掃除係の女性たちと一緒になりました。彼女らは陽気に"Hello(ハロー)"などとあいさつをしてくれましたが、その2秒後にはスペイン語で談笑し始め、私たちをそっちのけで、訳のわからぬ冗談に手を叩いて大爆笑をし、つられて私たちも笑みを浮かべていましたが、彼女たちがお腹を抱えながら激しく足踏みをするため、恐ろしいほどエレベーターが揺れだし、また一つ冷や汗をかいたものでした。
 ”はぁ、ようやく着いた。”
 と荷物を置いて暖房を入れ、上着を脱ぎますと、クローゼットの中に黒いTシャツが2枚、脱いでクチャクチャになった状態で置かれているではありませんか。
 ”あいつら絶対掃除してないやん”
 とMARCOさんも、呆れ顔。これには私も、
 ”いやぁ、バイトでTシャツいっぱいいるけん、助かったわ”
 と、迷わず自分のカバンに突っ込んだのでした。

 さて、いつの間にか日も暮れて、私たちは老舗のジャズクラブ、ヴィレッジ・ヴァンガードへと足を運びました。相変わらずののんびり屋の私たちは、ライブの開始直前に着いたため、狭い店内はすでにギッシリと寿司詰め状態でした。案内されるがまま、暗い店内の後方の椅子席に腰を下ろすと、壁一面にはビル・エヴァンスや、ソニー・ロリンズ、ジョン・コルトレーンといった往年のジャズの名プレイヤーたちの写真が飾られているのが見えました。
 それからすぐにアナウンスがあって、後方から、今日の演奏者のブライアン・ブレイドというドラマーのバンドメンバーたちが拍手に包まれながら歩いてきました。実は私は、7年前にニューヨークへ来た時も彼の演奏を生で聴いていました。あの時と変わらぬ外見で、細っそりと長い手足を黒いスーツに包み、颯爽(さっそう)と壇上に現れました。
 上着を脱いで、シャツの裾をまくるや否や、すぐに、スパーン!と彼のシンバルが鳴り響くと、聴衆は一気に釘付けになりました。二つのサックスのホーンセクションが荘厳なテーマを吹き出すと、ブライアン・ブレイドのドラムは、急に生気を得た海面のように白波を立て始め、会場全体が、荒波の中を揺れ進む箱舟のように様変わりしてしまいました。
 そうした中をピアノの厳格で物悲しいソロが、重たくのしかかる曇り空のような情景を描き、サックスが、勇敢に飛び交う海鳥のように疾走していき、また別のサックスが、甘美に、生命の儚さに身を捧げる祈りのような音色を奏でていくと、どこからか、水飛沫が飛び交いました。
 少し冷静になって振り返れば、興奮した客の一人が中身の入ったグラスを振りまわして、”イエア!!!”と叫んでいたのですが、聴衆はそんなものも演出の一部とでも言わんばかりの様子で、音の海の中を進んでいく様を固唾を呑んで見守っていたのでした。
 大波が押し寄せ、雷が閃光を放ち、嵐が荒れ狂う中を懸命に駆け抜けるように、ブライアン・ブレイドのドラムは走り続けました。転覆すれすれの非常な緊張感から、一気に、遥か遠くの約束の島にたどり着いたかのように、穏やかに融解していくと、また聴衆は、大きな歓声を上げ、喝采でもってスポットライトの当たったステージを包んでいったのでした。
 そうして何曲かの演奏が済むと、ブライアン・ブレードはマイクを握って立ち上がり、観客に向かってこう言いました。
 ”もうジャズは過去のものだという人もいるけれど、今夜は若いお客さんが、いっぱい来てくれているじゃないか。The future is bright.(まだまだ捨てたもんじゃないね)"と。
 それから翌朝、ザック氏に会いにいき、吹き方を教えてほしい、と申し出たのでした。
 


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